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生産者から消費者へ 我々は何者だ

19世紀後半、偶然か必然か、産業革命とフランス革命の二重革命が起こる。

権利は王族、貴族階級から一般市民に。フランス革命は偉大な成果を手に入れた。フランス革命に触発された欧州諸国も革命の波に乗ったため、欧州は18世紀末期に一気に民主化された。フランスは大成功以上のものを得た。まさにヨーロッパ全土を変えた革命だ。世界史に疎い人でもフランス革命は絶対に知っているレベルだ。

産業革命も今となれば大革命だ。機会生産が大前提の大量生産大量消費の世界の礎を作ったのは間違いなく産業革命だ。

少し話がそれるが、それは長い目で見れる我々だから言えること。

産業革命直後、機械で作られた粗悪品ばかりが市場に出回ったのだ。革命以前の手作りの手間は省けても、その手間によって生まれる高い精度のモノがなくなってしまう。その状況を良しとしなかったモダニズムの父ウィリアム・モリスが、中世の手仕事に帰り、「生活と芸術を統一」することを主張した。それはモダニズムの機械生産を主としたシンプルを追い求める思想から反しているが、その大元となった「芸術と生活の統合」という偉大な思想を作ったため、父と呼ばれている。

さて時代はモダニズム。機械生産も安定し始め、良いモノを継続的に生産できる様になると、モダン建築を主としたモダニズム時代の最盛期を迎える。特にモダニズム建築は凄い。インターナショナルスタイルと呼ばれ、世界中に質素でシンプルな箱の様な建築を乱立させていった。フランク・ロイド・ライト ル・コルビジェ、ミース・ファン・デル・ローエ、偉大なるモダン建築家三代巨匠だ。彼らは美しく、シンプルで、想像的な建築を何軒も残していった。

ミース・ファン・デル・ローエの最高傑作「バルセロナ・パヴィリオン」

世界的名建築 フランク・ロイド・ライト「落水荘」

20世紀初めからおおよそ50年近く続いた偉大な時代モダニズムも踏襲される時が来る。人々の生活は貧しかった半世紀前から大きく変わり、金を持ち始める様になった。これも全て、安価で良いものを作り出したモダニズム運動のおかげであるが、人は持て余した金の使い道があまりなかったのだろう。ポストモダンの時代が来た。「Less is More」(より少ないことはより豊かなことだ)ミース・ファン・デル・ローエの有名な名言だ。

質素でシンプルさを求めたモダニズムから一変、消費を促し、消費を良しとするポストモダンの時代が来た。人は簡素なシャツとズボンから、スーツとスラックスに変わり、高い香水をふんだんに使い、コンクリートでできたつまらない建築に飽きた。ポストモダン建築家ロバート・ヴェンチューリはこう言った。

「モダン建築家たちは少ないものはつまらないということをまだ気づかないんだ」

強烈な一言だ。そして終いには「Less is Pore」(少ないことは貧しいことだ)と言い放った。痺れる。

ロバート・ヴェンチューリといえばこれ 「母の家」

ポストモダニズムの風潮は現代においても垣間見ることができる。時代の流れを語る時に、建築というのはとても良い例になる。現代を象徴する建築家といえば故ザハ・ハディド氏だろう。あまりにも肥大した建築費と引き換えに、何者とも変えがたい美を持ち合わせた建築を建てる。欲望と富にまみれた最高級の芸術品だ。まさにポストモダン建築バブル。

有機的な曲線で作られたザハ・ハディドの「ヘイダル・アリエフ・センター」

さてそのポストモダンにも終幕が垣間見える時期ではないか。モノを欲しがり、消費する時代も近々終わる。生き様やネット上のモノや体験に価値が移り始めている。なんて面白い時代に生まれてしまったのだろう。

モダニズム→ポストモダン→次の何か という時代の流れ。僕が一番面白いと思うのは、その時々での人の呼び名だ。モダニズム時代では生産者、ポストモダンでは消費者と我々は呼ばれている。まさにその通りだ。生産がメインの時代、消費がメインの時代と、人々の生活によって我々の呼び名が変わるのはとても面白い。

では新しく来る時代では我々はなんと呼ばれるのだろう。創造者?体験者?戦争によって生き残ったら生存者だろうか。それを定義つけるのはきっと僕たちだ。どんな未来にすれどう呼ばれるのだろうか。考えるだけでワクワクして来る!

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