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醜い自分も受け入れる


日本神話って、子どもの頃日本人なら誰もが何らかの形で一度は触れる物語だと思います。
日本を造った男女の神様イザナキ、イザナミ、因幡の白兎、ヤマトの大蛇、須佐之男命など。
でも深い部分までは知らなくて最近知ったこの神話の真髄。

例えば、伊弉諾尊・伊弉冉尊(いざなきのみこといざなみのみこと…伊邪那岐と伊邪那美だとか様々表し方がある様です)日本神話で地上に現れた初めての神で夫婦神ですね。
天地開闢、世界の始まり、の時にあらわれた五柱の神々の命で二神は日本の国土を産み、森羅万象に宿る神々を産んだとされています。


🌊おのごろじまの誕生から

海に漂っていた形の定まらないふにゃふにゃの国土を固めるよう命じられたイザナキとイザナミは、天の浮き橋に立ち、「天沼矛」(あめのぬぼこ)でころころと海をかき回します。
矛先から滴り落ちたものが積もって出来上がったのが「淤能碁呂島」(おのごろじま)だと言われています。(諸説あり)


おのごろじまに降り立った二柱の神は結婚、世界で初めての夫婦が誕生します。
《イザナキはイザナミに「あなたの体は、どのようにできているのか?」と問うと、イザナミは「一か所だけ足りない部分があります」と答え、
イザナキが「私の体には一か所余った部分がある。私の余ったところをあなたの足りない部分に突き刺して塞ぎ、国土を生みたいと思うが。どうだい?」と。
イザナミは「それはいいですね」と言う。これが結婚の交渉成立である。始めての性交という話だなんて知りませんでした(^^;;
天の御柱の回りを、イザナキは左回りで、イザナミは右回りで回り、出会ったところでイザナミが言う。「おお、なんといい男でしょう」答えてイザナキが言う「おお、なんといい女だろう」
そして、足りない部分を余った部分で塞ぐ。》

でも最初に生まれた子は、骨がなく未完成のまま生まれてしまったため「水蛭子」(ひるこ)として船に乗せて流します。
二番目の子アハシマも不具合があったため船に乗せて流した。(なんでやねーんとツッコミたいところですが)

(「蛭子」(ひるこ)は蛭子神(えびす)=戎神とし、「アハシマ」は淡島神・粟島神とする説もある。)


天上にいる別天津神に、なぜ失敗したのかを確認したところ、「女の方から誘ったのが悪かった」ということ。(これにも諸説ありますが、男尊女卑だとか近親相姦に対する戒めだとか。)
今度はイザナキから先に相手を褒め、性交を行うことにした。そうして、日本の国土を生んでいきます。

国生みを終えたイザナキとイザナミは神産みを始め、木、水、山、川、野、風などの自然や自然現象を司る神々を、たくさんたくさん産みます。(八百万の神といわれる所以ですね)

最後に火の神、火之迦具土神を産んだ時、イザナミは陰部に火傷を負い、それが原因で重体になります。(病床で苦しむイザナミの吐しゃ物などからも、神々が生まれます。これはもしかして苦しみの中でも国造りをしようとした、イザナミの直向きな気持ちを表したのかもしれません…私の意見ですが。)

病に苦しんだのち、イザナミは亡くなりますが、妻の死を嘆き悲しみ号泣する夫、イザナキの涙からも神が生まれたとか。

イザナキは、妻の亡骸を出雲と伯耆の境にある比婆山に埋葬しに行きます。妻を失った悲しみは子どもである火之迦具土神への怒りと変わり、天之尾羽張(あめのをはばり)という十拳剣で切り殺してしまいます。その剣についた血からも、切られた火之迦具土神の身体からも神々が生まれ…。

このあと、イザナキは亡くなった妻を取り戻そうと、黄泉の国へ向かうのですが…。
(黄泉の国とは「死者の国」)


黄泉の国の前に到着したイザナキは、戸びら越しにイザナミに話しかけます。

「まだ国土は完成されていない。一緒に帰ろう。」

イザナミは
「もう少し早く来てくれたらよかったのに…。黄泉の国の食べ物を食べてしまったから、もう生き返ることはできません。でも、黄泉の神に相談してみます。それまで、決して私の姿を見ようとはしないで下さい。」

イザナキは、待てど暮らせど妻がなかなか戻ってこないため、自分の左の角髪(みずら)につけていた櫛の端の歯を折って、火をともして中をのぞき込んでしまいます。

するとイザナミの体は腐って蛆が湧いていて、蛇の姿をした8柱の雷神「八雷神」がまとわりついて醜い姿に変わり果てていたのです。
驚いたイザナキは逃げようとします。
(まあ生と死を分離すると確かに驚くし怖いしね。でもどんなに醜い私でも受け止めてほしいと思っただろうな…イザナミさん)

イザナミは自分の醜い姿を見られたことを恥じ怒り狂い、「黄泉醜女神」にイザナキを追わせます。

逃げるイザナキ、追う黄泉醜女。
彼はありとあらゆる術を介している間に逃げまくるのです。

イザナミは、さらに「八雷神」と「黄泉軍」にイザナキを追わせます。逃がすものか、という感じですね。でもイザナキはようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に着きます。

最後に、とうとうイザナミが追ってきます。イザナミを含む悪霊が出てこないように、イザナキは大きな岩石を置いて黄泉比良坂をふさいでしまいます。

その大岩の向こうでイザナミは、

“そこまで私を嫌うの?あれだけ見ないでくださいと言ったのに。
約束を破ったのはそっちでしょ?なのに何故…“

耐えがたい怒りと恥ずかしさと悲しみで、思わず呪詛を叫びます。


「愛しいあなた、私は今後あなたの国の人を毎日千人ずつ殺しますからね!」

イザナキは、そんな彼女に呪詛返しを告げます。

「愛しい君よ、それなら私は人間が滅びないように一日に千五百人生みだそう!」

(えぇ〜~_~;違うでしょ、そこは、すまない、許してくれ、オレも君と一緒に黄泉の国に行くから、じゃないの??)


あんなに愛し合っていた二神は、永遠の別れをしたまま今も和解していません。だから生が光で死が闇とされてるんでしょうね。

2人の国造りの紆余曲折、愛し合い支え合う話〜の火之迦具土神を産んでイザナミが死んでしまう話、喪失感で自ら生んだ神の首を刎ね、黄泉の国へイザナミを追いかけたかと思えば、変わり果てた彼女に恐れをなして逃げ惑うというどうしようもない夫イザナキの話、あの世とこの世の境目、黄泉比良坂を大岩で塞いだエピソードは人間の男性性と女性性の徹底的な分離の話なんじゃないのかなと。

そこから人類は、男性性優位(ポジティブ、光、力、成功)となり、女性性(ネガティヴ、陰、無力、失敗)が敬遠されてきたのではないか?そんなメタファーなのでは?と思うのです。

男性性の、女性性への罪悪感があったから。
どんな姿でも最後まで愛せなかった後悔と罪悪感が女性性を極度に嫌がる原因になったのかもしれない。

女性性の、愛する男性から愛してもらえなかった、拒絶された悲しみが男性性への凄まじい怒りとなり、でもその背景には無条件の愛を求めた健気さがみえてきます。

天の御柱で契りを交わしたあの頃を思い出し、共に歩んだ国生み、神生みの思い出と、黄泉比良坂に大岩を置かれて絶縁された記憶…切なくて胸が苦しくなりませんか。

私たち人類は、自分の中のイザナミの積年の悲哀を受け入れる時に来ているのではないかと思うのです。対立や分離を超え、和解と調和のために自分の中のネガティブを包み込み、癒して陰陽の統合を達成するために。


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