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学校行けない、行きたくないのは

『勉強すればするほど誰かの真似をするのが上手くなる。偉くなる目標がその程度だと分かった時、勉強しないのが最初の自己教育だ。レイマンの自己教育に手本は不要だ。興味あることに時間と空間とエネルギーが使える。それが自然であり、すでにエコロジーを超えている。教育も本質的に無農薬・無肥料で十分だ。』

by梶川泰司さん


レイマン(layman)は英語の単語で、専門家や職人ではない一般の人々を指す言葉である。 特に、特定の分野や業界についての専門的な知識や技術を持たない人々を指すことが多い。


学校現場は閉鎖的で、個人の意見や提案を受け入れにくい状況にある。教師が1人で、またはチーム学校として閉鎖的に責任感を持つことが賞賛される。 その責任を果たすための支援や協力が不足しているにも関わらず。レイマンである市民が介入できないようなシステムやマインドが教育環境の悪化に影響している。


学校教育が後々金銭的報酬を主な動機としている状況に子どもたちを依存させることで、多くの人々が学校を必要とする職に固執する。教師も例外ではない。経済的安定を確保するために、個々の選択肢が制限され、自己表現や直感的な思考が後回しにされる。金銭的報酬を主な動機としている事には無自覚だ。貨幣経済に人々を依存させることに学校教育は加担して来た事にも。子どもたちの興味や才能に基づいた学びや働き方を追求する余裕がなくなり、社会に出た時の金銭的報酬が主な動機なのだから個々の選択肢が狭まり、自分軸からどんどん離れていく。その犠牲者になった若者は少なくない。

結果、教育が人々を自由にするのではなく、働き方における多様性や自由が制限される結果をもたらしてきた。貨幣労働に従事できない者たちを蔑む様になり、生産性のない者だと誹謗中傷し、偏った能力主義が蔓延した。

真のインクルーシブ教育や差別のない調和の取れた世界の実現には、個々の選択肢や自己表現を尊重する事が当たり前にならなければならない。それはこれまでの経験しか知らない、しかもこれまでの価値観で成功体験、褒められた経験を重ねて来た人間には至難の業だ。何故なら自分を根底から否定する事になりかねないからだ。

このような状況を打破し、本来の学びを取り戻すためには、制度や大人たちのマインドのアンインストールが必要だ。つまり、教育現場における閉鎖的なマインドセットを変えることが不可欠であり、市民自身も積極的に関与し、改革を促す必要がある。

何か偉大な事成し遂げな生きとう意味ないの?
その人から学位とか地位とか名声とか、そういうことを差っ引いた部分がその人のほんまの価値なんとちゃうん?
byジェーンの長男

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