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映画エターナルズ 考察 ネタバレ レビュー リミット迫る議論

マーベル映画【エターナルズ】(2021)では、倫理・道徳の究極の決断をめぐりヒーローたちが直接議論を交わした。物語が進む中で、彼らの目的とは、地球の殻を破って誕生する新たなセレスティアル「ティアマット」を誕生させるための使いだった。

セレスティアルは宇宙のあちこちに「種」を撒いて、地球を宿主にした「ティアマット」が間も無く出現(誕生)しようとしている。出現のためには、知的生命体のエネルギーが必要で、これを阻む捕食種(恐竜など)を駆除する為に、ディヴィアンツを送った。しかし、ディヴィアンツが生存本能を持ち始め、彼ら自身が知的生命体に対する捕食者になり変わってしまうという「設計ミス」があった。一方エターナルズの真の目的とは、ディヴィアンツを全滅させ、知的生命体である人間の人口を増やすことで、ティアマットの出現を促すことだった。

アリシェムの説明によれば、セレスティアルズが地球からティアマットを出現させる目的は、次なる銀河を創造し、数千億の新たな命を生むためだという。これは、功利主義的な考えだ。

やがて物語が進み、あと7日間でティアマットが出現すると知ったエターナルズは再集合し、「地球の存続」か、「次なる銀河の誕生」かのどちらを選ぶべきかの議論を開始する。

セルシは「大義のために命を奪うのは過ち」だと主張する。彼女は、たとえセレスティアルの宇宙的な営みが功利主義の正義であったとしても、地球を見殺しにするのは殺人同然であり、美徳に反すると考えている。これは1521年、人々が軍事侵略される様子を見て「これは戦争ではない、虐殺だ」とドルイグは言っている。セルシやドルイグにとって、殺人はいかなる理由があろうと正当化することができない。

地球の存続を望んだセルシやドルイグらに対してキンゴは、「新たな命を生み出すのは善だ」と反論する。功利主義者のキンゴは、地球という惑星一つの生命を維持するよりも、これを種にしてより多くの銀河を作り、もっと多数の惑星を生んだ方が宇宙全体の最大幸福につながると考えている。

実際にMCUでは、これが善として描かれたことがある。【アベンジャーズ/エンドゲーム】(2019)で、トニー・スタークが自らの命と引き換えに、サノスを滅ぼしている。サノスは全宇宙の半分を再び消し去ろうとしていたのだから、これを阻止したことで、トニーは宇宙全体の最大幸福につながる「善」を行っており、そのための犠牲は正しいように見えた。

しかし決定的に異なるのは、『エンドゲーム』ではトニーが自らの犠牲を自覚・志願していたということである。(ドクター・ストレンジが予め示唆したように)トニーが犠牲になること以外に救いの道がないという、半ば強制的な状況であったとはいえ、指を鳴らしたのはトニー自身だ。つまり、本人が支払うことになる犠牲をよく理解していたかどうかが、道徳的な原理の一つとなることがわかる。

一方『エターナルズ』で、人間は自分たちが犠牲になろうとしていることを知る由もない。これを指摘するのがファストスだ。彼は、「人間は、新たな命のために死ぬことを選ぶと思うか」と問いかける。彼らが地球滅亡を正当化できるのは、人間の総意が、次なる銀河誕生のために自分たちは滅びるという考えに同意した時のみなのだ。もしも犠牲が一方的なものであるなら、それは「虐殺」であり、倫理的に間違っているということを、映画本編はドルイグの場面を通して先に示している。

ファストスの場合、広島原爆を目撃し焼け野原に両膝を落とし、「僕のせいだ(I did this)」と、自らの発明の才能が悪作用したことを反省している。また、「彼らは救う価値がない」として、一時は人間見限っていた。(やがて恋人と家族を持ったことで、再び人間を信じる心を取り戻す)

当時のアメリカ大統領ハリー・トルーマンは、原爆投下によって日本本土上陸作戦が実行されずに済み、100万人の犠牲が回避できたとする正当化論を唱えたが、ファストスはこれを支持しないだろう。なぜならファストスは、犠牲者というマイノリティの側に立つからである。少数者の犠牲が正当化されることを認めない功利主義批判の立場にあるファストスにとって、「次なる銀河」誕生の犠牲として、人間の大量虐殺を再び認めるという選択は、とても選び難く、正義ではないのだ。

エターナルズの議論は、実はアンバランスである。劇中で「次なる銀河」派の実質的な支持者となったのはキンゴのみなのだ。映画では、セルシたちに対する強力な反対勢力はイカリスとなるが、それは武力に限った強力さである。彼自身はセルシたちへの反対を、倫理・道徳的な理由からしていたわけではない。
※スプライトは恋心からイカリスに続いたに過ぎない

イカリスは、戦闘能力においてはチーム内でも最強級だが、自分の考えを持つことにはあまり興味がない様に見える。セルシに愛を伝えたのは、エイジャックにそうするよう促されたためであり、エターナルズ解散の際にも、アリシェムに意見を確認すべきだとのみ伝え、自身の考えは述べていない。またティアマット出現について意見を求められた時も、「リーダーであるセルシが決めるべきだ」と、判断を委ねている。

「実存は本質に先立つ」のが人間だが、イカリスはアリシェムが定めた「ティアマットを出現させる」という本来の目的に囚われている。ティアマット出現を拒めば、イカリスは実存的危機(自身の存在意義)を招くことになるのだ。だからこそイカリスは、「地球」派になったエイジャックを排除する。エイジャックに「ティアマット出現を止めましょう」とほかのエターナルズへ指示させるわけにはいかないからである。そして最終局面で、セルシへの愛を優先させてティアマットの出現を止めた後、いよいよ存在理由を失い、速やかに太陽に突進し自害する。

「地球」と「次なる銀河」のどちらを救うべきかというエターナルズの議論では、彼らが「地球」と「銀河」のどちらのコミュニティに属しているかを考えており、どちらに忠誠を感じているかということも、重要な焦点となる。もともとエターナルズは「銀河」に忠誠を尽くすべき存在だったが、人類と歴史を共にする中で、所属するコミュニティ意識を、銀河から地球に移していた。中でもドルイグは、特に人間への帰属意識が高いようだが、マインドコントロールを使いながら、人間と多くの時間を過ごしている。そのため他のエターナルズの多くが到達できない深さで、人間のことを理解している。

エターナルズ解散時にドルイグは、自身に人間の争いを止める力があることを認めながら、それを行使せずに黙殺し続けることが耐えられないと話す。ここで彼は、自分たちは「より良い世界(Better World)」を築けているのかと提起するが、彼らの当初の任務はディヴィアンツ退治であり、「地球を『より良い世界』にせよ」というような指示は受けていないはずだ。つまりドルイグは、創造された時にはなかった人間愛の美徳を、自ら獲得していたわけである。これはセルシらも同様だろう。

アリシェムはエターナルズを「それ以上進化しない存在」として創造したが、エターナルズの精神を可変的なものとしたため、自身や銀河への忠誠よりも人類への忠誠が優先されうるという可能性を見落としていたのだ。エターナルズもまた、セレスティアルズにとっては、ディヴィアンツ同様「設計ミス」ということになる。

映画の最後にアリシェムはセルシ、ファストス、キンゴを呼び出し、地球を救った判断が正しかったかどうか、彼らの記憶を精査して判断するとした。今後は、アリシェムが「功利主義」か「美徳」どちらの正義を選ぶかに地球の命運がかかっていくのだろう。

『エターナルズ』がそうだったように、どちらを救うべきかといった倫理的・道徳的な議論は、ほとんど同意に至ることはない。万能な原理など存在しないからだ。

本作の場合は、劇中で地球が滅びてしまえば、MCUそのものがバッドエンドを迎えることになる。つまり、結果は初めから約束されているのだから、彼らが「究極の選択」ジレンマのどちらを選んだかという結果だけが重要なのではない。そうではなく、どのような原理に基づいて、どのような正義を尊重しているのかが見どころなのだ。

エターナルズの面々は、多様な人種や、様々なマイノリティも含んだ個人によって構成されていて、ヴィランなどと明確な共通の悪を登場させず、どちらもが救われるといった幸運に委ねることもなく、彼らは彼らの内での自浄作用によって、正義をめぐる物語を着地させる。人間愛を信じ、銀河から見て少数派を保護する結末となった。

記事引用↓
THE RIVER
洋画や海外ドラマにアメコミなど、海外ポップカルチャー専門メディア。
https://theriver.jp/eternals-justice/

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