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ごはんの話をしよう

久しぶりの更新ということもあり、今回は長めにつらつらと感じた「ごはん」の話をしようと思う。
TOP画像は、先日見に行った「モブサイコ100原作&アニメ展覧会」にて展示された霊幻師匠のバースデーケーキです。

以下、私のまわりの「ごはん」について思うこと6点です。



1.ネコのごはん

今、我が家には「ミーチャン」というネコがいる。

3月に迎え入れた保護猫で、一緒に生活を始めてから三ヵ月が経つ。人見知りしないネコだけれど、むちゃ甘えもない。そばで寝転んで「みいー」と鳴くので、なでてあげる。しばらくするとスッと立ちあがり、二、三歩歩くとまたそこで寝転んで「みいー」と鳴く。適度な車間距離が欲しいネコなのであった。ほっといた方がいいのかもしれない。でも、私はネコを見ると触らずにいられない病にかかっている。病気だから、どうしようもない。

実家には御年20歳になるネコ「ミーブー」がいる。ミーブーはうるさい。数時間おきに鳴いたりスリスリしたりする。甘えん坊なのではない。何か食べたくて食べたくて仕方がないのだ。
「ふふ、かわいいな」
なんてレベルではなく、いつまでもエサが出てこないと爪を立てたりかじったりする。エサが出てくるまで攻撃は続く。
困ったネコだけれど、そもこれは飼い主(我々)が悪いのだ。「しつこくすればエサがもらえる」という成功体験を植えつけてしまっているのだから。
歳をとって食べる量は落ちたけれど、ネコのおやつ「ちゅーる」に対する情熱は今までのエサに対するソレと同じである。カリカリが液体に変わっただけ。いっそちゅーるの製造元である「いなば」の株を買おうかなと思うくらい、食べている。

子どものころに飼っていたネコたちも、攻撃はしなかったものの、やっぱり食い意地が張っていた。野良猫あがりのネコはそんな感じなのかもしれない。

対する我が家のミーチャンの食べ物への執着は、ミーブーに比べるとあっさりしたものだ。口寂しくてエサをほしがるようなとき、しばらく鳴いてるのだけれどそのうち寝場所に行って横になってしまう。みんな大好き「ちゅーる」でさえそう。ちゅーるを見ると狂ったように食べるけれど、袋をしぼりにしぼって何も出てこなくなり、袋を捨てると、もうねだることはしない。ミーブーのような「満足するまでどきませんぜ」という圧がない。

ミーチャンは多頭飼育崩壊現場出身だ。
多頭飼育崩壊とは、生き物をたくさん飼い過ぎて経済的にも環境的にも面倒をみきれなくなること。そしてたいてい、その状態のまま、行政や動物保護団体に介入されるまで放置される。

ネコは年に2回繁殖期があるので、去勢や避妊をしないとあっという間に子猫が増えてゆく。多頭崩壊現場では、弱い子は生き残れず、生き残って大きくなった子もまたすぐ子猫を産む。適切な飼育環境でないため病気を持っていて長生きできなかったり。そのくり返しが続く地獄のような場所。

「多頭飼育崩壊出身の子はいつも飢えていたので、食べることに関しては貧欲だよ」
と、譲り受けた当初、保護団体の方に言われた。
確かに、ミーチャンはよく食べる。でも、ミーブーのようにしつこくねだることをしない。
もしかしたら、悲惨な生活の中で、「ねだってもエサは出てこない」というあきらめを身につけてしまったのかな。

そう思う理由のひとつが「ビニール舐め」だ。
なぜかミーチャンはビニール紐とかビニール袋を舐めることがある。
これも多頭崩壊出身のネコチャンあるあるらしい。エサをビニール袋に入れて与えられていたり、ビニールでラッピングされたウインナーなどを与えられていたりすると、「ビニールの中においしいものがある」という認識になってしまうらしく、気をつけないとビニールごと食べてしまうネコチャンもいるらしい(開腹手術が必要になることも)。なので、ミーチャンのビニール舐めも、そういう環境だった故なのかもしれない。

本当のところはミーチャンしかわからない。ただの淡泊な性格なだけなのかもしれない。「この家ではそのうちエサが出てくる」から、しつこくする必要がないと理解しているオリコウネコチャンなのかもしれない。

ミーチャンが「にゃー」と鳴くと、私は泣きたくなる。
なぜなのか、私にもわからない。
 
 

2.ごはんて時間がかかるなあ

毎朝4時半前に起きる。お弁当を作るために。
その後、朝ごはんを作る。そのまたその後、昼ごはんを作る(オット氏が在宅勤務なので)。そのまたまたその後、夕ごはんを作る。

ごはんを作るためには、食材を買いに行かなければならない。
ごはんを食べるためには、作らなければならない。
ごはんを食べたら、片付けなければならない。
ごはんを片付けるためには、前回ごはんを作るのに使ったお皿だの調理器具だのを片付けなければならない。
もう寝なければならない。明日早く起きてお弁当を作るために。

やりたくないので、ついだらだらして先延ばしする。
でも、やらなければならないと思いながらだらだらするので、心の底からだらだらできない。無駄なだらだらだなと思う。

1日の中で「ごはん」に関わってる時間って、結構長い。
ごはんて時間がかかるなあ。


3.sakanaのmirai

最近、魚の切り身を買っても、一切れの量が少なくなってしまって、以前のようなメインを張るおかずにならないことが増えた。パッケージを開けてから「もう1パック買えばよかったな」と思うことが多くなった。

魚を食べる人が減り。
漁獲量が減り。
漁師さんが減り。
魚はそのうち日本の食卓から消えて、高級食になるんじゃないかな。
そんな恐怖を感じながら魚のパックを買う。


4.料理の飛車角

料理における「飛車角」はなんだと思いますか。

----- チキチキチキ ------- シンキングタイム

私は「油(oil)」だと思うんですよね。

油は料理を作るとき、とても大きな味方になります。
味に困ったらゴマ油をふっておけばなんとななります。マヨネーズをかければなんとかなります。バターで焼けばなんだってウマウマです。たいした手駒を持ってなくても油を使えばおいしくなります。

そもそも人間にとって、油を摂ることは本能的な快感につながっていて、油っぽいものが好きなように体ができてるんですよね。

TVや雑誌で紹介されるおいしそうな料理にはほぼ油が使われています。「肉汁ジューシー」は料理のほめ言葉です。
カロリーを心配して、鶏胸肉やタラといった低脂質な食材を選んでおきながら、調理するときは揚げ物にしたりソテーにしたりしています。
和食はヘルシーそうな印象ですが、お膳にてんぷらはほぼ必須です。
油は食べ物をゴージャスに変身させるのです。

人によって「飛車角」が何であるかは変わるでしょう。
棋士でもない、鉄人でもない、一介のド素人が、飛車角抜きで戦わなければならないときがあるのです。それがシュフです。


5.世の中知らないごはんばかり

海外の料理を翻訳する機会があった。
しかし私は英語ができない。そんなときの強力な助っ人が「Google翻訳」。まあ、Googleじゃなくてもいいんだけども。

海外の料理を翻訳しましたさ。

<翻訳結果>ビーフバルバコア、チキンティガ、ポークベルデ、チポトレソース、アロズブランコ、ファラフェル、アサイー、ハリッサ 、ポロック。

さっぱりわからない。
翻訳とは、ただ訳すだけではだめなのだ。その国の文化をも理解している、専門家の仕事なのだ。
それがよくわかった。

日本は世界有数のグルメな国。いろんな国のレストランが軒を連ねて、各国自慢の料理が食べられる。食卓にも和洋折衷とりそろえた料理が並ぶけれど、それでもまだ世界の料理は手中になくて。
世界は広いんだなあと思ったことであるよ。


6.ごはんの分断

少し前に、NHKの朝の情報番組「あさイチ」で食物アレルギーの特集が組まれたことがあった。
このときのゲストは狩野英孝さん。狩野さんは食物を含め多くのアレルギーを持っていて、その状態を「孤独だ」とおっしゃっていた。

私は驚いた。
狩野英孝さんほどの人気者でも、「孤独」なんだ。

食事はコミュニケーションを深めるための初手だ。「一緒に食事でも」という挨拶は話題の基本であるし、手料理をふるまうというのは最大級のもてなしだ。「同じ釜の飯を喰う」のは仲間である証拠。「ごはん」は人と人を一気につなぐ。

だからこそ余計に、これを拒まれると不愉快に感じる人は多い。
食物アレルギーの人はここからスタートするのだ。本当に大変なことだと思う。

食事を断ることに悪意はない。そういう体質だから、断らざるを得ない。
一緒に食事に行ったとしても、相手が望む店に入れるとは限らない。食べられるものがあるかどうか事前に確認してからでないと入れない。だからどうしても、誰かと食事に行くことを避けがちになってしまう。

最近はメニューにアレルゲンを表示してくれるお店が増えたが、そのアレルゲンを使用していない料理が増えたわけではない。「わからないから食べられない」から「食べられないことがわかった」に変わっただけ。個人経営のレストランやお菓子屋さんでは、有名店であっても、アレルゲンも栄養成分も表示がないところが多い。夢の国ディズニーランドでさえ、食事に制限のある人が食べられる特別食の対応はお粗末なものだ。

多くの人が無意識にとる食事を、意識しながらとらなければならない人がいる。楽しい食事の時間が、他人と自分を分断する。
「食べられない」とは、自分が食べている食事から食べられない食材と取り除くだけではない。人間関係も取り除かれてしまうのだ。

そんな中、ちょっとした希望に出会った。
国際線の飛行機の機内特別食が本当にアグレッシブなのだ。
アレルギー持ちの人、お子ちゃま、宗教上や健康上の理由で食事制限がある人等々、さまざまな乗客のニーズに対応できるように工夫され、安心して旅行できるようになっている。
インバウンドで海外からの旅行客が増えると、日本国内でもこのような工夫をするレストランも増えてくるだろう。移民政策を進めようとするなら、なおさらそういうレストランが必要になる。
特別な食事を用意する余裕がないなら、使用している食材や栄養成分を表示するだけでもいい。それだけでも、食事の選択肢が増える人がたくさんいる。

大勢の人たちが食卓を囲む。そんな温かい光景が、多様性あふれる場になることを切に願う。




ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
久しぶりに長文を書いたので、もしかしたら意味不明構文やだるい文章があったかもしれません。
最後まで読んでくださったあなたはいい人です。

茉莉花堂

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