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大学生の頃の私⑤〜誤ちの出逢いの前に(ひと休み)

一夜限りの夢編からいきなり次へ行く前に、当時の大学のゼミのことを書いておきたいと思います。

大学生の頃の私④〜一夜限りの夢編はこちらです⬇

一夜限りの夢というより過ちかもしれませんが、現実逃避の意味も込めて夢としました。


大学によってはゼミが選択科目のところもあるみたいだけど私が通っていた大学は3年生から必須でした。

どこのゼミに入るかでその後の就職にも影響すると言われていたくらいゼミの選択は重要なことなのに私は何も考えず興味があったイギリス文学のDHロレンスのゼミかアメリカ文学のテネシー・ウィリアムズのゼミかどちらかに入りたくて面接が早かった方のテネシー・ウィリアムズのゼミに入れることになったのでそのままロレンスのゼミの見学にすら行かずにさっさと決めてしまいました。

高校生の時に好きだった甲斐バンドの曲に「ガラスの動物園」てのがあってその歌に結構ハマって聴いていた時たまたま本屋さんで同じタイトルの本を見つけたのがテネシー・ウィリアムズの戯曲「ガラスの動物園」でした。

この本を読んだことがあったという単純な理由でテネシー・ウィリアムズのゼミに興味を持ちました。

同じく高校生の時に読んだ官能的な世界を描いた「チャタレイ夫人の恋人」作家DHロレンスの研究をするゼミにも興味が湧いて。

どちらでもよかったのです。たまたまウィリアムズのゼミが先だったからこっちを選んでしまっただけ。

後に大きな過ちとなることが待ち受けている事にまだこの時は知る由もなかったのですが。

このゼミでは先生とゼミ生の前で夏と冬の2回ウィリアムズの戯曲の発表をするのが必須だったのです。3年生の終わりにはゼミ論の提出と4年生の終わりには卒論の提出が必須でかなりハードなゼミでした。

ハードなゼミだったけど、ゼミの同級生たちのほとんどは他のゼミに落ちまくって流れて来たようなひとたちばかりでした。そして、そんな人たちはゼミに来るたびに「文学なんて嫌いなんだよ。」とグチってばかり。

私は文学が好きで演劇が好きでこのゼミ選んで入ったのにみんなは違うんだってがっかりでした。

「君たちは英語科の学生だけど、英語力は期待していないから戯曲の披露は日本語でも大丈夫です。その代わり描かれている意味をきちんと理解して演じて欲しい」と。

田舎から出てきた私の英語力なんてたかが知れていたし、日本語に翻訳されていた内容ですら当時理解できていたかと問われたらほとんど理解できていなかったと思います。

それに、30年以上も昔に読んだ内容なんて今やほぼ忘れています。


それでも
演劇をするのは楽しかったし、3年生の時に演じた「夏と煙」のローザという役は思い出深く、わりと鮮明に覚えています。

テネシー・ウィリアムズの世界観に浸りながら、相変わらず社会人の彼の部屋に週2回のペースで遊びに行き、彼との時間以外は誘われるがままに飲み歩いたり遊び歩いていました。

ゼミの先生のいきつけの呑み屋にもよく連れてって貰ったり。本能のまま生きていたとも言える時期でした。でもこの頃は穏やかな日々でした。

まだまだ就活らしい就活もしてなくて、将来どんな仕事をしたいのかなんとなく夢はあっても現実的にはどうなんだろう??

地方出身のひとり暮らしで親のコネも何もなく、成績も良くもない4大卒の女子が東京で就職するって前途多難過ぎ。

それを思い知らされたのは4年生になってから。生まれも育ちも東京もしくは近郊の首都圏で生まれ育って親のコネがあってというような自宅から通っている女子大生が羨ましかった。

でも3年生の時まではそんなことアタマに過ることはありませんでした。

ただ田舎には絶対に戻りたくない、戻らないって決めていた気持ちだけは確かだったけど卒業したらどうやって生きていくんだろう。

そんな3年生の終わりの時の新学期が始まる前の春休みに、とある強烈なキャラの男と出逢ってしまったのです。

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客観的に過去の自分を見つめるとこんなだらしない生活してたら何が起こっても仕方なかったんだなと思えてきます。自戒を込めて書いているのですが本当に情けなくなります。

それでも書き続けたいと思います。

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