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特別な自分は思い込みだった(美大落ち体験談)

こんにちは。初めまして。
デアです。

今日は胸の内で引っかかっていることを曝け出して話したいと思います。
ただの自分語りとなるため、結論が気になる方はイライラすると思いますが、自分が先へ進むために必要な文章であり、誰かの役に立てば嬉しいと思い、書きます。

私がnoteやYouTubeを始めた動機は、大学の勉強(機械工学)に対するフラストレーションと、サークル活動(エンタメサークル)で目立った存在として活躍していたことが合わさり、自分の価値を広く発信するためでした。

そのため、最新のトレンドを自分なりに解釈して語ったり、自分の作品を発表することで他とは違うオーラを出し続けていました。

ただ、それがポッキリ折れたのが大学3年生の時。
留年が確定して自分の存在価値を否定するものができ、それを言い訳にメンタルを負傷してnoteにも鬱のような記事を書いたり、YouTubeでの投稿が止まりました。

自分は特別な存在ではないんだ

ずっと、そのことが魚の小骨が喉に引っかかるように悶々として、自分のあらゆる挑戦心が削ぎ落とされました。

やがて、留年から1年が経ち、念願の研究室配属が決まり、徐々にメンタルが回復していきました。研究という新しいフィールドに足を入れることは怖くもあり、ワクワクもしました。

しかし、二度目のポッキリ折れた瞬間で、精神的に情緒不安定となり、強制入院となってしまいました。新学期からいつまで続くかわからない入院生活をして自分の過去から今を永久に責め続けました。

入院生活から解放され、研究室で研究を始めたのですが、理解不能なプログラミング言語に振り回されて研究室に行くのが鬱々としていました。研究なんて早く終われと思いながら、将来の進路も確定できず、とてもnoteやYouTubeなんてできませんでした。

半年が経ち、自分は科学と芸術に関することを発信してきたため、それができる大学院を受けようと思いました。その時に浮かんだ大学院は岐阜のIAMAS、日吉のKMD、御茶ノ水のデジハリでした。最終的に受けた大学院からは合格をいただき、今まで失っていた自信を取り戻し、自分の存在価値は科学と芸術の間にあると強く思い直しました。

それから、合格したことに喜んだのですが、茫漠とした不安が押し寄せ、科学と芸術の間を扱うメディアアートという領域が合格した大学院では本格的にできないことを教授陣から言われたことをきっかけに、再度、大学院受験をやり直すことを決意しました。本当に苦しかったのですが、前から気になっていたメディアアートの名門の多摩美のメデ芸の院試を受けることにしました。

3ヶ月間、研究と院試対策を両立しながら美大の予備校と研究室と秋葉原の工房を往復する毎日でした。完徹することが何日もあったのですが、本当に自分のやりたいメディアアートのために我慢と苦闘の日々でした。

しかし、院試の結果は不合格。
3回目の心がポッキリ折れる瞬間でした。

そして、今に至るのですが多摩美は自分のこれまでの活動を全力でアピールする入試だったこともあり、不合格はそれを全否定する結果だったという解釈が回って再び、挑戦心を削がれているのが現状です。

結局、特別だと思っていた自分は凡人だった。

という事実を突きつけられて、大学を卒業し、合格をいただいた大学院に進学するという今になっても、その事実がついて回って憂鬱な日々を過ごしております。

最近、東大でメディアアートができるところも見つけたので、大学院の選び方自体も間違っていたのかと思ってしまいました。

留年して自分の能力の限界を知り、入院して人生を出遅れ、美大に不合格だったことで自分の可能性を全否定する結果となりました。

以上です。
何もできない、何もしたくない、屍のような日々を送っている自分に明日なんていらないと思いながら、未遂を繰り返している日々です。

自分が特別だったと思い直せる日々は来るのでしょうか。
今はただただ死にたくなるような一日を送る毎日です。

長文失礼しました。
最後に、美大に受験をする記事やマンガや、アーティストとして活躍している人の記事を見ると死にたくなります。
だからといって、臭いものには蓋をしろと遠ざかることはしないようにしていますが、辛いのは事実です。

どうしようもなく鉛のように重い身体ですが、何とか引きずって生活しています。

こんな自分がこれまでの体験を振り返って言えることなんてありませんでした。

特別な自分は思い込みだった。

最後はこれに尽きます。

さようなら。

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