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反出生主義に与しない理由【質問箱】

以下のような質問をいただきました。結論は明瞭でしたが、考えてもみなかった質問だったのでその論拠を考えるうちに面白い結論になったのでnoteにしました。

生は苦しみに満ちている。かと言って死ぬことも苦しみだし、老いる事、病む事もまた苦しみである。それは若き日の釈迦が悟った四苦八苦でもあるし、地球の反対側でショーペンハウエルが論じたように、命とはキラキラしたものではなく満たされる事のない生存への果てしない暗い情念とも言える。

この主張は何も宗教や哲学に限った事ではなく、進化論でも神経科学でも同様だ。幸福は長続きせず、渇望だけが残るように脳は出来ている。なぜならば、餌を得られた幸福感がいつまでも続けば、危機感が下がり、餌を探す必死さがなくなり、やがては淘汰されていくからだ。そう、ヒトならずすべての原生種は幸福になることは生まれつき苦手なのだ。

だからこそ今はっきり言おう。それでもなおヒトは生まれてくるべきだと。私はヒトの生殖について肯定的だし、某フェミの大先生ではないので自身の生殖もまた同様に肯定する。

その理由として、もちろん種の保存の本能だとか、多様性だとかそういう話もできるのだけれど、それは後回しにして、せっかくだから生殖を否定する立場について考えた上でその否定を否定するところから始めようと思う。

まず最初にハッキリさせておきたいのは、ヒト生殖に肯定というのは、「生物集団としてのヒトにはドシドシ生殖してもらいたい」という立ち位置であって決して「ヒト集団に属するすべての個人が可能な限り生殖すべき」という意味ではない。同様に否定という立場は平たくいえば反出生主義のように、生まれてくる事が不幸だから生殖は非倫理的という立ち位置であり、中国の一人っ子政策みたいな実務上のものは除く。

生が苦しみなのか

生きることは本質的には苦しみだとした最古の例は仏教の教祖、釈迦だろう。少なくともキリスト教やユダヤ教では神が世界を作っていて、神が試練を与えたり悪魔が足をひっぱったりするけど、本質的には善か勝ち苦しみは救済される世界とされている。

釈迦は王子の生まれだが、ある時、生老病死にそれぞれ苦しむ人を見て出家する。これが四苦八苦の四苦(四つの苦しみ)の部分である。そしてさらに4つの苦しみを加え八苦と呼ぶ。その4つは以下の通り。

愛別離苦 - 親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ。愛する者と別離すること
怨憎会苦- 怨み憎んでいる者に会う苦しみ
求不得苦 - 求める物が思うように得られない苦しみ
五蘊盛蘊 - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%8B%A6%E5%85%AB%E8%8B%A6

五蘊盛蘊だけ直感的にわかりにくいが、生きてるだけで毎ターン固定ダメージが入ってくる苦しみである。五蘊とは5要素、すなわち色(身の回りの物質)、受(それを受容体が認識する)、想(受容体から一次感覚野に届いたもの)、行(高次感覚野から概念中枢あたり)、識(記憶や判断)の事である。

実際に皮肉言われても鈍感な人もいれば、夜中に急に日中の失言を思い出して恥じらいのあまり絶叫する人もいるので、苦しみというものは捉え方次第といえばそこまでの話ではあるが、少なくとも何ら防御法を習得してないホモサピにはこの四苦八苦は襲いかかってくる。

そして王族ですらこれに気づくほど、この四苦八苦の苦しみは誰にでも平等に牙をむく。

生はなぜ苦しみなのか

トヨタ式なぜなぜ分析とは、「なぜ」という問い掛けを繰り返すことで根本的な原因を探る分析手法である。トヨタ以外の職場でこれを対人使用するとだいたい5ターンキルを見事成功させパワハラになるのでやってはいけない。

前段落では生が苦しみなのはなぜか→四苦八苦があるから。となったので次にはなぜ人は四苦八苦に苦しむのかを考える。仏教でも色々教えてくれるけど、ここからは神経科学の話をしよう。

四苦には身体的な苦しみも含まれるが、それ以外は心理的苦しみだ。身体的な苦しみというのは一種の逃避を促す。たとえば夏の砂浜に立つと足の裏が熱くて苦しいのは、そこにいると足を火傷して危険だ、早く離れろという行動につながる。食あたりで腹が苦しければ次からは腐りかけの牛乳を飲まないでおこうという逃避につながる。なので問題は心理的な苦しみの方だ。

心理的な苦しみも多少は生存の役に立つ。気圧が下がり曇天の日に気分が落ち込まずハイになって外へ獲物を狩りにいった原始人は帰りに土砂崩れに巻き込まれたかもしれないし、増水した川に流されたかもしれない。こうして天気が悪い日には落ち込みやすい我らの先祖が生き残った。進化論的には我々がいくら苦しんでも遺伝子が後世に伝わればオールオッケーなので苦しむんでも生存してれば御の字なのだ。

だが生存確率を上げる以上に苦しむ人がいるのもまた事実である。心理的な苦しみは、感情処理の神経回路が関与している。繊細な人から鈍感な人まで様々いるが、社会生活に支障が出るほどに心理的な苦痛に苦しんでいる人は前頭前野、扁桃体、海馬、下垂体などの脳の様々な部位が異常な活動を起こすこと知られている。実際に、うつ病患者の脳の神経回路を調べた研究では、前頭前野や扁桃体の活動が低下し、海馬の活動が亢進する。

釈迦の答えと医学の答え

神経科学が面白いところは科学が長い弧を描いて紀元前に戻ってきたところだ。心と物質の探究が生き別れになってから連綿と続いてきた物質の探究の果てに、心を脳内における物質の受け渡しの場と理解することで、人類は宗教や自己啓発以外に心を扱う方法を獲得した。

その円弧は無駄ではなく、多くの手土産を携えてきたから、円よりは螺旋というべきかもしれない。その手土産の一つがアミトリプチン、人類が手にした第一世代の三環系抗うつ薬だ。

釈迦が解いた苦しみから逃れるやり方は2,500年経た今も色あせてはいないものの、如何せん難易度が高すぎるのと、アブラハムの宗教ほどは普及していない。しかしアミトリプチンはWHO必須医薬品モデルリストに収載された300品目の1つである。地球上で容易かつ安価にアクセス可能な、あるいはそうあるべき医薬品の一つだ。

確かにアミトリプチンはうつ病の薬であり、漠然とした生きづらさの人が内服する薬ではない。だがまだ脳の機能の解明は始まったばかりのところにいる。経頭蓋電磁刺激により喫煙の衝動を打ち消せるという研究もある。薬剤や磁場といった物理的・物質的なものが感情を修飾できる時代はもうすぐそこまで来ている。

さて、石を投げようとしているそこのあなた、少し待ってほしい。私は何も全人類が錠剤を飲んで植物のように心安らかに生きることを望んでいるわけじゃあない。スパイスは辛くて涙が出るが、スパイスカレーを好む人が多くいるように、苦しみは人生のスパイスだし、ないよりはある方が良いと思っているし、身体的苦しみにいたってはむしろ個人的には気持ちいいものだと思っている。だからいいねが1つつくたびに電流が流れる首輪をしてこの記事を書いています(大嘘)いいねを押すんだ、さぁ!早く早く早く!

だがそうじゃない人がいることも知っている。人によっては苦しみはまっぴらだと思っている人もいるだろうし、苦しむなら死にたくなる人がいる事も知っている。だからこそ、錠剤で、あるいは磁場でその苦しみを消さなくても、「消えるということを知っている」事は大きなメリットがあるだろうと思っている。これ以上苦しみが大きくなったら、と怯えているのは苦しみにおびえているのではなく、大きくなるかもしれない、という不確定性に怯えている。

苦しみと恐怖を取り違えてはいけない

平安時代の兵法書、闘戦経では「草花は秋霜を恐れるも氷雪を恐れず」と書かれている。何かが手に入りそうな時の期待が、手に入ったあとにしおれるように、何かを良くないことが起きそうな時の方が、起きた後よりも恐ろしく感じられるのは誰しも経験があるだろう。

恐怖は不安や無知と相性がいい。たとえば感情をパラメーターで表現する研究では感情を高低・強弱・快不快などの軸で表現を試みる。その時、「恐怖」を「不定性」で表現しようとする考え方がある。この説によれば、人間は自分がどのような状況に置かれているかを正確に把握できないとき、つまり不確実性が高い状況に置かれたときに、恐怖を感じるとされている。

この考え方は、進化心理学の観点からも支持されている。進化心理学的には先程の悪天候時に気分が沈む事と同様に、恐怖は自己防衛や生存戦略に必要な反応として進化してきた。そして、不確実性が高い状況に置かれた場合、危険や脅威がある可能性が高いと感じるため、恐怖を感じて自己防衛を成功させてきた個体が生き残って我らの先祖となったとされている。

生は苦しみに満ちていた、まぁ多少は除去できるけど。

冒頭で生は苦しみに満ちていると言った。それは多分正しい。だが、同時に楽しいこともそれなりにある。ちなみに俺は週末の2時間をこれを書くのにに溶かしつつあるけど、案外楽しい。楽しさと苦しみとどちらが大きいかは諸説あるけど、反出生主義においては苦しみが上回るとされている。

しかし、仏教思想から神経科学、薬理学、進化論と飛び回って得られた結論として、その苦しみは十分に適切な範囲に減弱させる方法がある、ということだ。もちろん、減弱させるかどうかは自身の判断に委ねられる。

そして、今こうやって古今東西の叡智を座りながらにしてアクセスできるのも、釈迦がいて、ショーペンハウエルがいて、神経学者がいて、インターネットの開発者がいて、これらは全部、この世に出生してきた人なんだ。

だからきっと、生きることが苦しみだとしても、今生きてる人も、これから出生してくる人も、いつか面白いことをやってくれるんじゃないかと期待している。世界はよくなりつつあるし、そして世界を良くし続けているのは我々の祖先であり、我々であり、我々の子孫なんだよ。だからこそ今はっきり言おう。ヒトは生まれてくるべきだと。

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