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久しぶりの日本帰国~出発編

前回の久しぶりの投稿でチラッと触れた件について、多くの人からリクエストを頂き(うそ)今日は日本での3か月リモート生活をしたためようと思われる。

時は2022年2月の黄昏。
ゼロコロナを推し進めるどこぞの圧力により、ワタクシの暮らしていた街も「ビルごと突然封鎖」だの「一区画丸ごとロックダウン」だの、しかもその扱いが…食料品の配給なども全く持ってオペレーションが煩雑で、やれ自由を奪われ、陽性ならどこぞの隔離刑務所施設に叩き込まれるだの、ワクチンを接種も3回しなければ(*若干語弊あり)スーパーにも入れない、美容院にも行けないなどなど様々な最低限の生活をも脅かす規制が執り行われ、挙句には全員強制検査だの、ワクチンの半強制だの、食料品の入手が困難になりそうだとかうわさが出ると、食材がスーパーから姿を消したりトイレットペーパーが消えていくような…ただでさえ常日頃から競争心むき出しで他人よりも自分や家族のために買い占める!!というのを露骨にするこの街の人達が「より一層」そんな競争色を強め、ワタクシとしてはコロナなんかよりよっぽど規制やこの街の民度の方が恐ろしかった次第である。

トイレットペーパーに群がる人々


そんな魔の手が忍び寄ろうとしていた折、実家から連絡が。母がガンになったと言われ、でも初期の初期で見つかったのも奇跡みたいなものだから大丈夫だと言いつつ露骨に落ち込む姿を見て、さすがに帰国しようかと考えていた折、「大丈夫だから帰ってくるな」というのを随所に言われ、

…帰るか否かを決めるのはこのワタクシであって、
何だろうこの薄っすら感じる透明の先に進ませてもらえない壁は?

と感じていたのである。

もとよりうちの親は親戚がなくなっても危篤になっても「家の人が一人行けばよい。皆で言っても迷惑になるのだから」と、緊急時に駆け付けるという事をさせない親だった。

そのため
「ドラマなどで血相を変えて必死に駆けつけるシーンっていったいいつなのかしら…」と、ぼんやり、しかし、モヤモヤしながらイライラと考えていたのである。

そして、上司とビデオ会議をした際、決まり文句の「How are you?」に対し「こんなことがあってさ~まぁ、でも大丈夫だから帰ってこなくていいと言われ」というと上司は顔色を変え「いや、帰りなさい。どうせ香港にいてもリモートワークなんだから時差もそれほどないし、日本から働くので良いから」と押され決心。

そーよね?
ワタクシ、駆け付けるべきアレよね?

と再三心に言い聞かせ、再度電話したら

「うー・・・ん、、、帰ってこなくていいよ大変なんだから。そりゃ余命数か月って言われたら帰ってもらわなきゃ困るけど、会社にも迷惑をかけられないし」となおもいう。

なんでぶっちぎれ。

「帰るかどうか決めるのは私だろーが!会社がそういうオファーをしてくれたのだって私が勝ち取った信頼ありきの話であって、余命何ヶ月のタイミングでたまたま転職したら同じようにさせてもらえるなんて保証はなく、今回はタイミングが良く許されたことに対して、あなたがとやかく言う事じゃない」

と言い放つワタクシになおも見えない鉄壁を作るので、ハタと…


この街さ…今どんな状況か知ってる?しらみつぶしに意地でもコロナ感染者を見つけ出して片っ端から収容隔離施設に送り込んで…そこの暮らしなんて、まぁ酷い家畜みたいなもので…そうでなくとも規制まみれで外食もできない、スーパーにもいけない、髪も切れない、人間らしい暮らしなんてもうここでは補償さててなくて…おまけに来週から全市民の強制検査をするって。精度なんて完璧じゃないって言ってるのに偽陽性でも問答無用でぶちこまれるんだから…」

…などと若干脚色した状況を仄めかしたところ、一気に態度を翻し「帰ってきなさい!!」と。

どうやら、散々デモだの、少数民族弾圧のニュースを日本で見ていたらしく、ワタクシが与えた印象以上に恐ろしい想像が出来上がったらしく帰って来いと言い出したのである。


画して日本へ3か月帰ることになったワタクシ。その前に課題がいくつか。
アパートの解約
・荷物の倉庫への搬送
・日本入国の条件の確認
・日本で認可されたPCR検査の受けられる場所の確認
・香港入国に必要な手続きの確認
などなど。

香港の家賃はべらぼうに高い。3か月すまない部屋に家賃を払うのと、円安のご時世で家賃分を日本で散財するのとどちらが良かろうかと…結果、5年間住んで慣れ親しんだ、思いであふれるアパートを引き払う事に決めたのである。とはいえ、3か月後には帰ってくるし、荷物をすべて引き払う必要もないので倉庫を検索。

最初はしみじみ箱に詰めていたワタクシも、最後の方にはもう必死。大半の荷物をゴミに出しながら「なんでこんなにドッサリ色々物を持ってるんじゃい!!」と半切れ状態。というのも、まぁ、諸事情により、帰ると決めた日から出ていくまでに6日間しかなかったのである。

その間にやたらめったら紛らわしくわかりにくい渡航申請に必要な証明書だなんだ取り揃える。

日本に帰ったら隔離ホテルで1週間隔離。ホテルの情報を探すもなんかいろいろ書いていることがまちまち。「もし隔離中、日用品や食料品が必要な場合、フロントでは手配はしていませんが、近くのお店を紹介させて頂きます

外出できるんかい!!
隔離になってなかろうが!!

など、全く持って統一されていないオペレーションで何が正しい情報なのか全くわからずイライラしながらも、荷物の始末やら貸倉庫への搬送やら色々行い、もちろん仕事も行い…

…最後には半ば意地になり、よくぞ間に合ったと思うくらいギリギリだったけれども脱出作業を完了させた。

別に本帰国をするわけじゃないのに、どうしてこんなに本帰国をするような気持になるのだろう…と空になった部屋を見渡ししみじみしたワタクシ。

日本へは3年ぶりの帰国。
久しぶりの日本は…

…空港での足止めが最悪すぎ…

検査をして結果を貰って出ていくまでに5時間パイプ椅子のようなもので待たされ…フライトより長い時間待たされた。

しかも、そのころは、渡航制限を色々していたはずなのに、某民度の悪さで悪名高い国の人がドッサリ。ソーシャルディスタンス、飛沫そっちのけで大声で喚き散らすわ、子供たちは床に転がったりしながら鬼ごっこしたり、
ここで待機させられる方がよっぽど病気になりそうだが…という思いを諸々堪え、ようやく待機場を脱出。

思ったより3年は長く、久しぶりに見た両親はワタクシが記憶していたよりよっぽど歳をとっていた。日本語の表紙まみれだの、いたるところから日本語が聞こえてくる状況にものすごく戸惑いながら「あぁ、本当に3年間も日本から離れていたんだなぁ」と思った次第である。

つづく。

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