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匿名での誹謗中傷について思う事

今日は前回に引き続きワタクシの転職活動について書こうと思っていた次第であるが、昨夜悲報が舞い込んできて、いたたまれず内容を変更した次第である。
 
兼ねてからワタクシは、「1対複数」の構図で集団攻撃を仕掛ける姑息な人間が大嫌いである。ワタクシ自身、小学生、中学生の頃にイジメられた経験があり、それが起因していると思われる。
 
…しかしワタクシはしぶとかったので、折れそうにはなったけど挫けなかった。
 
挫けない人間に対してイジメる人間はより一層攻撃を強める。
脳科学の研究によるとその攻撃を「正義」だと信じているためらしい。
 
なので「正義の行動をしている」という快楽物質を、「他人を攻撃する」という卑劣な行いによって楽しむ、人として、魂として非常に醜い行いであると思って育った。
 
ゆえにワタクシはいつでも「個人」として意見を持つし、周り同調して他人を攻撃することは絶対にしないし、おかげで今も友人は少なく交友関係も狭いが、集団に合わせるために自分の信念を踏み外すような攻撃はしない。「反対意見」を持つことはあるし、別に誰にでもフレンドリーな人間でもないので、個人的にぶつかっていくことはあっても、ほかの批判する人たちに便乗することはない。
 
昨今、以前も書いたが、芸能人の素行に対してのネット上の匿名の批判が、それら幼少期の経験を彷彿とさせてイラついていた。
 
他人がどんな恋愛をして、結果、誤解を招くような結果に終わったとしても、実際のことは当事者にしかわからない。
 
一瞬目撃したときにAさんがBさんを突き飛ばした瞬間を見たかもしれない。
けどその背景には、銃弾が飛んできただかなんだかで、Bさんをかばうために結果生じたことかもしれないが、
銃弾の存在を知らなければ突き飛ばされた結果しか見えない。
 
…そのレベルの理解かもしれないし、そもそも自分とは関係ないのに、なぜそんなに自分の事の様に憤慨し、罵声を浴びせるのか全く理解できず。
 
たちの悪いことに、それらの人達は、別に憤慨しているわけじゃなくて、「よっしゃ、このネタなら叩く事が正義として認められる!」と勘違いして、そしてそんな事にすら気が付かず、ただ誹謗中傷してるだけの方が多いように思われる。

えぇ、だって「常識から外れた人(=古代でいえば、輪を乱す、集団活動を危険にもたらすかもしれない問題因子)を攻撃する」ってことに対して快感物質を脳内で分泌しているのだから。
 
なので、誰かが不倫してようと見えない部分はあるし、それらの部分は知る必要もない。けど同時に、それに対して誹謗中傷していい権利なんて当事者・関係者にしかない。

外野がやって良い事は、せめて仲間内でコソコソと下世話に酒の肴にしてケラケラ笑う程度の話であって、ネットで匿名で攻撃なんて論外だし、れっきとした犯罪である。

そんな中、とうとう自殺の報道が流れると、ネット界隈は一様に意見を変え、追悼ムード、お悔やみムード一緒に変わる手のひら返しもさらに気持ちが悪い。

えぇ、この状況で批判を続けるのは不謹慎=正義でいられなくなるから、もうしないだけで、そもそも強い信念や正義感で誹謗中傷してる人なんていないという浅ましさが更に憎い。

誰かの不幸や失敗に付け込んで、誹謗中傷をして脳内麻薬を楽しむ卑劣な人たちこそ、最もさげすまされるべき卑しい行いであるという事が一般認識になって行く世の中になっていただきたいとただただ思う次第である。
 
そんな状況でも、笑顔を絶やさず、露骨な反撃することもなく、優しい態度を貫いて、悲しい最期を遂げた人が、せめて魂だけでも救われてほしいなと思う次第である。

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