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行きつけのお店ってありますか?

映画やドラマなんかでよく見る「行きつけの店」というのは、普通の人なら一軒くらいはあるものなのだろうか?
飲食店でも服屋でも、よく行く店はあったとしても、そのような「行きつけ」と言えるお店は、常連と呼ばれる程度に頻繁に訪れていて、店員さんにも認知されており世間話を気軽にできるような間柄になっているというイメージがある。

そもそも知り合いと会話することすら苦手なのに、全く初対面の店員さんと会話するなんて特に苦手なのだ。それでは顔を覚えてもらえる訳がない。

元々が出不精でもあり、出かけるといえば、
⒈   近所のスーパーへ買い物へ行く。
⒉   病院へ行く。
⒊  ライブへ行く。
⒋  中古レコード屋へ行く。
⒌  ハローワークへ行く。
⒍   母、妹、姪に会いに行く
という、これ以外に出掛けることはまずない。

今では、服や靴などのファッションも、スマホやPC機器、電化製品や収納用品はほぼ全てネットで済ませられる。
服や靴は、欲しいものが自分の中で決まっているので、わざわざ売ってるかどうかわからないお店まで行って買うよりも、ネットで売っているのを見つけて買う方が効率が良い。ファッションに偶然の出会いを求めていないのです。

CD・レコードも、最近はほとんど買いに出掛けずにAmazonやdisk union onlineかTower Record Onlineで買ってしまうか、ライブの物販で買うし、中古もどこかへ行った時に時間を潰す(この時間を潰すということもとても苦手)のに近くに中古屋があれば店に入って探すが、ほとんどお目当てのレコードをヤフオクかメルカリに手頃な値段で出品された時に買ってしまう。

髪を切りに行くのは小さい頃から苦手だ。知らない人に顔を触られるのがとても怖い。それでも伸ばしっぱなしにはできないので、中学生くらいまでは親と(過保護だと思われるでしょうが)「床屋へ行ったら、レコード1枚買ってあげる」という約束を取り付けて、2〜3ヶ月に一回通っていたが髪を切るだけで、顔剃りもシャンプーもしてもらわなかった。
色気付いてきた時期には、美容院へ行っていたこともあるが、予約の電話をするのも緊張するし、お店へ行くのも緊張する。決まった担当さんでしか切ってもらわなかったのだが、その担当さんがだんだん出世していくにつれ、技術料にプラス特別料金がかかるようになり、他店舗のマネージャーにまでなってしまったので、そのタイミングで美容院へは行かなくなり、しばらくは千円カットに行っていたが、ここ数年はバリカンを買って、風呂場で自分でジョリジョリと刈っている(坊主頭ではないです)。

飲み屋にも一人で行くことはないし、外食もほとんどしない。味覚音痴なので、家で食べる冷凍食品やスーパーの弁当と、お店の食べ物の味の違いがわからないので、高いお金を出してわざわざ出掛けてご飯を食べるメリットがないのだ。それでも、例外が2つだけあって、スパイスカレー屋さんと生クリームてんこ盛りのウィンナーコーヒーを出してくれる喫茶店だけは、たまに行きたくなるので、行っている。

男の人は特に、おいしいラーメン屋の一つや二つでも知っているみたいなのだが、ぼくにはそれもない。千円も出して行列に並んでラーメンを食べるよりも、家で出前一丁を食べる方が全然いい。そもそも食べ比べてみても味の違いがわからないし、月に何度も行けるほど外食に割ける食費がないのだ。

外に出掛けるのは、基本目的があって、その目的に合わせて家を出る時間を決めているので、目的以外のところへ寄っている時間を作っていない。帰りにお腹が空いていたとしても、お店で食べるよりコンビニで買って帰るほうがいい。

そんな理由で、顔馴染みになるようなお店がないので、行きつけのお店なんてものができないのだ。

しかし、世間的にはみんなどこかしらの「行きつけのお店」なんかを持っていて、会話の流れでそのような話しになるようなことがままあるのだが、今まではそういうお店を知らないことや、遊びに出かけることがほとんどないことを、どこか気恥ずかしく、普通の人を装わなくてはいけないと思っていたので、曖昧に話しを合わせて自分の地味で引きこもり的な本性を見せないように心掛けてきた。

特に若い頃なんかは、女の子と遊んだりする時に「どこかおいしいお店に連れてって」なんて言われると困ってしまうので、できるだけそう言われないように女の子の方にお店を決めてもらうように話しを持っていっていた。
だが、そうも行かない場合もあったりするので困ってしまうのだ。そんな時は、全く行ったことのないお店へ知ったかぶりして行くという勇気もないので、行きつけでもなんでもない、知り合いに一度だけ連れて行ってもらったことがあるようなお店へ行くのだが、お店がなくなっていたり雰囲気が変わってしまっていたりで、とても気まずい思いをしたこともある。

アスペルガー症候群と言われたことで、自分の出不精で知らない人との接触をできるだけ避けてきた生き方を、バレないように隠さなくてはならないという呪縛から解き放たれたような気持ちになれた。
確かに、脳の発達に欠陥を持っているという現実を突きつけられ、谷底に突き落とされた気分ではあるが、今は発達障害自体がそれほど珍しい奇異な目で見られるような風潮ではなくなってきていることもあり、アスペルガー症候群が良い言い訳に使えるという点では、少しだけ生きづらさが緩和されたのかなと思う。

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