屍者の帝国


人間は死亡すると体重が21グラム減少すると言われている。それが魂の重さなのかもしれない

34歳で亡くなった天才作家、伊藤計劃。彼は二つの長編小説と未完の草稿を書き残した。ぼくは初めて伊藤計劃の『虐殺器官』を読んで衝撃を受けた。こんなに凄い文章を書ける人がいたのかと。面白くて一気に読み終えてしまった。二作目の『ハーモニー』も同様。伊藤計劃が作り出した世界観と設定にすっかり魅了されてしまったわけだ

本作の『屍者の帝国』は伊藤計劃が生前に書き残したわずか30ページ足らずの資料を元に、友人であり芥川賞作家の円城塔さんが意志を継いで完成させたもの。原作は正直言って円城さんの文章レベルが高すぎて読むのが大変です 苦笑

伊藤計劃の小説はジャンルとしてはSFに入るが、読む人を選ぶ作品だ。『虐殺器官』は戦場が舞台なのでグロい描写も多く万人に勧められる内容ではない。でも、この劇場アニメ版の『屍者の帝国』は内容もわかりやすくなっており初心者も安心して見ることができる

19世紀のイギリスが舞台になっていて死者蘇生技術が確立された世界。主人公の医学生ワトソンが亡くなった親友フライデーに蘇生技術を施す。人の代わりにゾンビ達が働き、戦争をするという設定はSF的ではあるけれど、ぼくたちが生きている社会でも将来はロボットが牽引していくことになるだろうから、SFだからといって非現実的とは言い難いだろう

この作品にはハダリー・リリスという物語の鍵を握るとても美しい女性が登場する。彼女がどんな風に物語に絡んでくるかまでは言えないけど、ロボット化やAIについて色々と考えさせられた。もう気づいた人もいると思うが、この作品にはワトソンやらハダリーやらカラマーゾフなどの文学的な名前がたくさん登場するので、そこに注目しても面白いかも

それにしても、本当に惜しい人が亡くなってしまった。もしも、伊藤計劃が生きていたらぼくは確実にファンになっていただろうし、彼の作品は全て読んでいたと思う。伊藤計劃が生きていたら『屍者の帝国』はどんなストーリーになっていただろう?中世の戦争を通じて伊藤計劃が伝えたかったことは何だろう?

癌は不治の病ではなくなってきている。癌に対する有効な治療法が確立される時代はきっと目の前まで来ている。いくら病気だからって病院で死ぬのは嫌だな、伊藤計劃もそう思っていたのかもしれない。だからこそ、彼は『屍者の帝国』という死人が復活する物語を書きたかったのではないだろうか

そして、伊藤計劃は見事に復活を果たした。彼の死を惜しむ多くの人の声によって、映画という屍者となって。人は誰でも死ぬ、これを書いているぼくも読んでいるあなたも。けれど、死は敗北ではない。ヘミングウェイはそう言っていた。ぼくはこの言葉に付け足したいと思う。「再び生まれるためには死ななければならない」と。


この物語があなたの記憶に残るかどうかはわからない。しかし、わたしはその可能性に賭けて今この文章を書いている。
これがわたし。
わたしというフィクション。
わたしはあなたの身体に宿りたい。
あなたの口によってさらに他者に語り継がれたい。 
伊藤計劃
物語の一生は、一つの作品が多くの人々の手に渡り、姿を変えていく間だけには留まらない。
それを読み、観て、聞いた人々の考え方や感じ方を変え、その人の中に溶け込んでいく。
あなたの体に溶け込んだ物語がいつか、あるいは何世代かを経て伝えられた印象が、また誰か別の人の手になる一つの作品として世にその姿を現す。
その物語は、先祖の一人のことなど覚えていないかも知れず、判断がつく者だってもういないかも知れないが、でもだからどうだというのか。
そこではとにかく、何かが生きているのだ。
あなたがそこにいてくれてよかった。
小説版を終えたときにそう思った。
映画版を観終えて今はこう思う。
あなたたちがそこにいてくれてよかった。 
円城塔

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