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鼠を飼っていた話 (短編小説)

12歳くらいの頃、ほんの一週間ほど私は鼠を飼っていた。
長方形の木箱の中に扇形のチーズと牛乳を注いだペットボトルの蓋とを隅に置き、即席の入院部屋を用意した。
鼠は壊れた傘の中に瀕死の状態で横たわっていた。なんの気なしに私がその傘を持ち上げるとその中にいたというわけである。
念のために書いておくがそれはれっきとした鼠であり、ハムスターなどではない。不潔の代名詞として昔から名高い、あの灰色の小動物である。
私が入院部屋の中にチーズを入れたのは、患者が鼠だったからである。やはり鼠といえばチーズである。

多少栄養を摂取させたくらいで果たして患者は回復するだろうか。
私は半信半疑だった。
しかし予想に反し、入院2日目にして患者は狭い部屋の中を活発に走り回っていた。
私は本当に驚いた。
そのくらい発見したときの患者の容態は悪しきものだったのだ。
扇形のチーズは、幼い頃絵本で何度も見た光景と同じように理想的なフォルムで上手く齧られていた。
患者があまりに期待を裏切らないので、私は心の内でそっとはしゃいだ。

もちろん、この鼠の存在は私しか知らない。
木箱は私以外の人間があまり目に行くことのない所に置いていた。
母はとても鼻がきくので私はそれを心配したが、とうとう退院までばれることはなかった。
実は母は全てを知っていて、敢えて見知らぬ振りをしてくれたのだとは今も到底思えない。

チーズは日に日に小さくなった。
やはり鼠はチーズが好きなのだ、私は心密かに思った。
鼠はチーズが好き、という固定観念が実証されたのだ。しかし牛乳は全くといっていいほど減らなかった。鼠だって喉が渇くはずだ、と私は気を揉んだが結局あまり気に留めないことにした。
今だったら牛乳ではなく水を用意するつもりだ。

入院も3日目になると、深夜に木箱から妙な音がするようになった。
何かを削るような、ガリガリという音である。
家族に勘付かれやしないかと私は気が気でなかった。
しかし、一体誰が私が鼠を飼っているなどと思うだろう。
そうこうするうちに退院の朝を迎えた。

患者は全くの健康体になっていた。
ここ1週間でまるまると太り、身体の中では有り余るエネルギーが沸騰しているようだった。私もそろそろ飽きてきていたし、チーズも底を尽きかけていたので退院させることにした。

家には私ひとりである。
なんの音もしない。
私は木箱を机の上に置き、これまでの1週間に思いをめぐらせた。
どちらかといえば嫌なことのほうが多かった。
だが今となればそんなことはどうでもいい。
患者はもう患者ではなくなったのだ。
私は木箱を開けた。
動物の匂いが溢れ出て鼻をついた。
私は鼠を両の掌で包んで持ち上げ、足元へ移動させた。
掌の中で鼠は意外にも大人しくしている。
とてもふわふわとしていて心地良い。

大した感慨を覚えることもなく、私は掌をひらいた。
鼠は勢いよく飛び出し、なんの未練もないとでも叫んでいるかのごとく、
突進するように冷蔵庫の下へと潜り込んでいった。
私は屈めていた身体を起こし、なにか特別な感情が湧き上がってくるのを待った。
なにも湧いてはこなかった。
それもそうかと私は思い、念入りに手を洗った。

この話にはささやかな続きがある。
鼠を放してからしばらくの時間、私はある事について考えていた。
それは計画のようなものだ。
思いあぐねているうちに母が帰宅し、私はそれを実行することにした。
母へ向けて私は言った。
「今日の朝、家の中で鼠を見たよ。冷蔵庫の下にね、あっという間に潜り込んでいったんだ」

自分を理解するということは、なんと困難なことなのだろう。

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