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マントルおじさん 第3回「食事の用意」

マントルおじさんの家はたいそう可愛らしかった。
若い女性の部屋のようでもある。壁は暖かみのあるオレンジ色だった。
ちなみにテーブルクロスは赤に白の水玉模様だった。
私がテーブルについて待っていると、マントルおじさんは大きな皿にたくさんのクッキーとカフェオレを入れたポットを運んできた。
「このクッキーはもしかしておじさんお手製のものですか」
「そうじゃ。なかなかの出来じゃろう」
私たちはひとしきり無言でクッキーを齧った。確かに美味しかった。
「おじさん、ここは本当にマントルなのですか」
カフェオレを啜りながら私は訊いた。
「そうじゃ。もしここがマントル部分でなかったら、わしらがこれまで経てきたあの長い道程はなんだったのじゃ?お前はここまで来てまだそんなことを言っとる」
「ここに住んでいて不便はありませんか」
「ない。ここには季節は存在せぬし、食べ物もある」
「おじさんは毎日、あの家畜たちの世話をして暮らしているのですね?」
この質問に対して、何故かマントルおじさんはまたフン、と鼻を鳴らした。
「ディナーをごちそうしてやろう。食事が終わったら帰りなさい」
マントルおじさんはカフェオレをおかわりしながら言った。

日が暮れた。
私はちゃんと日が暮れることに驚いた。
一体どうなっているんだと愕然としたがあまりにも謎は多く、どこから手をつけてよいのかわからなかったので深くは考えないことにした。
マントルおじさんは水色の水玉模様のエプロンを着けて、キッチンに立って作業をしていた。どうやら水玉模様のグッズが好きらしい。
「何かお手伝いすることはありませんか」
ただじっと座ってマントルおじさんを観察しているのもなんとなく気が引けたので、私は手伝いを申し出た。
ところがマントルおじさんは振り向きもせずにただ、何もない、とだけ呟いた。
私は少し不愉快になった。
「遊んでなさい。この家を一周ぐるっと探検してくるといい。なかなか面白いものが見れるかもしれんぞ」
私は言うとおりにすることにした。リビングを出て別の部屋へ入った。
そこにはたくさんの本があった。
私の高校の図書室よりも品揃えは豊富だ。
しかも分野は多岐に渡っており、古代ギリシャ哲学に音楽家の伝記、数学の学術書に「ストロベリー・スイーツの作り方」という料理本まであった。
本の並べ方は順不同であったが、乱雑ではなかった。
私はヒトラーについての本を数冊取り出し、部屋のソファに座ってページを手繰ってみた。
ハリー・ケスラー著の『ワイマル日記』にはこう書いてあった。

ヒトラーは臆病で総統などという柄じゃない。

私はうーむと唸り、この言葉へ対しての印象を自分の中から探してみた。
しかし掌は空を掴むばかりで何の言葉も姿を現さなかった。
ただ納得しただけだった。
ヒトラーは臆病。なるほど、確かに。
しばらくしてマントルおじさんの声が私を呼んだ。
私はちょうどそのときヒトラーの写真集を見ており、開いたページには笑顔のヒトラーが写っていた。名残惜しさを感じながら私は本を閉じて棚に戻し、リビングへと戻った。

テーブルの上には驚くばかりの見事な料理が用意されていた。しかもそれらは尋常な量ではなかった。明らかに10人分はあった。
私は危うくこんなに作ってどうするんです、と言いそうになった。
ぎりぎりのところで私はなんとか口をつぐんだ。


第4回へつづく。

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