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2023/11/10 この世に生を受けることについて

 Eveのたまアリライブが近づいている今日この頃。貯金が無くなったので「封印封筒」に旅費を入れて、使わないようにしている。
 「封印封筒」っていうのは私がお金をキープしておくときに使う封筒で、これまでにも「年末の交際費」とか「ピクミン3を買う用」とかいう時に活躍した。今回はここにさいたま旅行費と友人との食事代が封印されている。

 現在、預金額よりもこの封印封筒の中の金額の方が多い状態。大人になったら封印口座とか作ろうかな。なんだっけ定期預金って言うんだっけ。FP試験でやったのに忘れちゃった。
 資格持てるほど勉強したし、動機はお金をしっかり管理したいからだった。なのにこんなにお金にだらしないのは、あまりにもFPに向いていないことの証左じゃないか。私この先大丈夫なのかな。

 全く関係ないけど、最近「子供を産む」ということ、およびそれに関するあれこれについて、ある程度考えがまとまってきたので書き残しておく。現時点での考えをまとめておけば、疑問が浮かんだ時に整理しやすいしね。

「子供を産む」ということについて思うこと

 はじめに言っておきたいのは、私は「誰かを殺して良い」とか「子供を産むべきではない」と言いたいわけではないということ。また、誰かを糾弾したり非難したいわけでもないと。
 純粋に「子供が生まれることは本当にめでたいことなのか」「命の誕生が仮にエゴの結実/端緒なら、感謝されるべきは子供ではないか」という風に思うだけだ。

私が思う命の価値

 私が生命そのものに特別な価値を見出していないというのは前にも書いたこと。命の循環に意味はない。昔はそれが命の無価値を意味しないと思ったし、それは今もそう思う。でもそれを踏まえた上で私は、命そのものに別に絶対的な価値があるわけじゃないと思っている。

 命に「価値」をつけられるのなら、この世における価値尺度である「金銭」で命を取引することが可能になるから。だからと言って私も殺人や人身売買は受け入れられないけどそれは、自分がされたくないし、社会的な動物である人が、秩序ある社会を築くために必要なことだから。
 現に魚や鶏、犬や猫の命も「価値」を測られ、取引されている。人間に対してのみ、それらが行われない/禁忌とされるのは、感情的なブレーキと、自分の生存の保証のためなのではないか。
 おおよそ「自分にとって」とか「社会にとって」とか「人間にとって」という限定の下、それぞれの命の重要性が明確な線引きなく意識されているに過ぎなくて、命そのものに絶対的な価値はないと思う。

 しかし、所有者にとっては、そして本源的には特に価値のない命でも、他者から見れば価値のあるものだということは良くある。そういう現象に最初に関わるのは誕生の時だ。子供の誕生という場面で考えるに、多くの親にとって子供の命は何よりも価値のあるものだと言えるだろう。
 それでも、私は命の誕生というものが本当に賞賛されるものなのかが、正直なところ分からない。

「子供を産む」の独善性と親の義務

 親が子供を産む理由は、自分たちの老後の面倒を見る装置として、寂しさを感じないための装置として、など子供になにか役割を期待することもある。一方で、ただ子供が欲しい、子育てというものをしたい、という子供には役割を期待せず、出産そのものが目的なこともある。
 いずれの場合も子供から見れば、親の一方的な願望の押し付けにすぎない。その家庭で命を持ち、大きく言えば両親の幸せの発生源になることを強制される。出産と子育ては親のエゴのみで行われる営みだと思う。これが本当に賞賛を受けるべきなのか、私には分からない。子供に対して業を背負わせていると言われたら、そんな気もする。

 であれば子供が「この両親の下に生まれてきて良かった」と思えるようにするのが親の義務だと思う。なぜなら全て親のエゴのみで行われたことの結果、発生してしまうのが命だから。子供に「産んでくれてありがとう」と言われることは、本来親が必ず果たさなければならない義務を果たした証のはずだ。逆にそう思わせられないなら、親は自分たちのエゴの責任を放棄した存在とも言えるのではないだろうか。

 よく「親には感謝しなさい」や「親孝行をしなさい」という言説を聞く。でも私からすれば「自分たちの願望を叶えるためだけに勝手に産んでおいて、その責任を果たしているだけなのに、なぜエゴの産物たる子供が感謝しなければいけないのか」と感じる。
 もちろん感謝されるような親子関係は素晴らしいとは思うが、別に子供は親に感謝なんてしなくても良いのではないか。「子育ては大変なことなんだ」という意見はあるだろうが、大変であることをやろうとしたのは親の方だ。「育ててもらっておいて」という意見もあるだろうが、子が育てて欲しいと頼むことはない。生命に組み込まれた本能に従い、親は子を育て、子は育てられるだけだ。

 むしろ自分たちのエゴを叶えるための呪いを付与された子供に対して、親は感謝するべきではないのか。インターネット上で「私の苦労を子供に感謝して欲しい」という気持ちが透ける書き込みを見るたびに、私はそんな思いを抱いている。


 再度断っておく。私は「誰かを殺して良い」とか「子供を産むべきではない」と言いたいわけではないということ。また、誰かを糾弾したり非難したいわけでもないと。
 純粋に「子供が生まれることは本当にめでたいことなのか」「命の誕生がエゴの結実/端緒なら、感謝されるべきは子供ではないか」という風に思うだけだ。

 論理的/倫理的におかしいみたいなツッコミは歓迎です……。

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