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それでも自分にYESと言う

数ヶ月前、職場の先輩と話しているときに私は自分のダメなところをこれでもかとあげ連ねました。

容姿は悪い、頭も悪い、性格悪い、貧乏、家族と疎遠、(数々の性暴力被害←これは言わなかったけど)、これまで人生全然ついてなかったと言ったら、先輩は若干引いていました。

でもね…、と続ける私。

こんなわたしを見捨てずに、しょうがないなーってめげずに付き合ってあげられるの、私ぐらいなもんですよ!私じゃなかったら多分この人生、耐えられなかったでしょうね!


って無意識に口をついて出ていたんです。

言った後、自分でもハッとしました。
若干引いていた先輩もそれを聞いて笑ってくれました。

伝わるかな、この意味。

なんか私自身が、自分というどうしようもない親友に、困り果てながらもずっと寄り添っている感じ、とでも言いましょうか?

自分のことが大嫌いなのは変わらないけれども、そんな自分が今は

愛おしい

んですよね、最近。

自分を大嫌いでいい。

ダメな人生でもいい。死にたくなっちゃってもいい。

そんなダメな自分が今はとても愛おしいんです。

鬱はさまざまな視点から検査をしていただいたりお薬をいただいて、散歩をしたり、カフェに行ったり、たまにヨガをしたりするまでになりました。今は少しずつこころの平静を取り戻しています。まだ人には全然会えませんが…。(今もカフェでまったりしながらこの記事を書いています。)

昨日のことなんですが、偶然この動画を見つけました。

非常に興味をそそられる内容でした。この動画を見て、最初にご紹介した先輩とのエピソードを思い出したわけです。

私は自分が大きなトラウマを抱えていることを40代になってはじめて認識をしたのですが、それ以来生きる意味を見失いました。

こんな汚れた自分は生きている価値がない。

だけど自分で命を終わらせる勇気もないから、ただ生きる。

ただ生きるだけでもすごいことなですよね、本当は。

ただ生きるだけでもすごいことだけど、自分が経験した絶望にも意味があると信じたいです。たぶん私もったいないお化けだから、性被害という経験をただ経験しただけで終わらせたらもったいない!って思っているんだと思います。

この動画でも言われていましたが、

『立ち上がれないほど打撃を受けている助けてくれるのは何か。
そういう状況で私たちを助けてくれる力が
自分自身の中に 精神の中にある』

これは本当に私も思っていて。
私は弱い人間で、涙もろくて、人に強く言ったりはっきりものを言えたりする人間ではないんですけど、自分の心の芯の部分に折れない何かがあると確信しています。

その名もない何かが、どんなに苦しい時でも私が絶対に折れないように、時にはしなやかに揺れながら私という人間を支えてくれていると思うのです。

自分のことが大嫌いだけど、そんな自分が愛おしい。

自分を好きにならなくちゃと思っている皆さん、自分を大好きにならなくたって大丈夫ですよー。

今日のタイトルはヴィクトール・フランクルの『それでも人生にYesと言う』からいただきました。

なんだか取り止めもない文章になりました。

でもこうしてnoteに書き留めておこうと思って。文章というより誰かに話しかけている感じになりましたね、ごめんなさい。

それではまた5月に。
素敵なゴールデンウィークをお過ごしください。




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