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映画「おしえて!ドクタールース」から今思うこと

2年前の夏の終わりに、私はある映画を見に行った。よっぽどの作品でないと東京まで映画を見にいかないのだが、「これは絶対みたい!」と思い映画館へと向かった。

その作品は「おしえて!ドクター・ルース」というドキュメンタリー映画だ。

1981年ニューヨーク。日曜深夜、ラジオから流れるトーク番組「セクシャリー・スピーキング」に人々は夢中になった。誰も教えてくれない性のお悩みをズバリと解決するドクター・ルース。身長140センチ、強いドイツ訛りの彼女は、そのチャーミングなキャラクターで、たちまちお茶の間の人気者になった。性の話はタブーだった時代に、エイズへの偏見をなくすべく立ち上がり、中絶問題で女性の権利向上を後押し、LGBTQの人々に寄り添ってきた。
家族をホロコーストで失った少女時代。 終戦後はパレスチナでスナイパーとして活動。女性が学ぶことが難しかった時代に大学で心理学を専攻。アメリカに渡り、シングルマザーとなり娘を育てた。そして30歳の時に、3度目の結婚で最愛の夫フレッドと出会う。 自分らしく生きるために学び、恋し、戦い、働く。いつだって笑顔で前を向く“ドクター・ルース”はいかに誕生したのか。 ドクター・ルースが贈るポジティブで型破りな処方箋が日本に初上陸する!(公式HPイントロダクションより)

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仕事柄この年代の方達と多く関わってきたが、その方達と比べても非常にパワフルでチャーミングな女性だ。そして外見がちょっとだけ私のおばあちゃんに似ている。

この映画をみて持った最初の感想が、「この人が保健の先生だったらなんでも相談できたのになぁ!」だった。

数ヶ月前ある勉強会に参加した時のこと。色々な年代の女性が集まり、女性の体と性について学ぶ非常に興味深い勉強会だった。グループディスカッションで私はこれから大学生になる10代の女性と、今大学生20代の女性と同じグループだった。私が今年44歳だから、母と娘と言ってもいいほどの年代の違いである。

20歳以上も離れていると受けた教育内容も違っていて当然で、それは性教育の話にまで及んだ。私と同年代の方なら「そうそう」と頷いてくれるかもしれないが、小学校5、6年の時に女子だけ保健室に呼ばれて、生理の話を保健の先生から聞かなかっただろうか・・・?私はそれがすごい秘事のような感じがして、男子に話てはいけないのだと思っていた。私の受けた性教育はそんな感じだし、それ以降大学で母性看護も学んだが、解剖学や生理学についてや実習に大忙しで、それ以上のことを学んだり話し合ったりした記憶がないと話した。

しかし大学生2人が学校で受けた性教育は、欧米からはずいぶん遅れを取るものの、私たちの世代よりは全然進んでいることに驚いた。そして彼女たちがこれから社会に出ていく中で、どんな性教育が必要なんだろうと一生懸命考えていることに感銘を受けた。

以前にも書いたAIDS文化フォーラムで、全国の学校で性教育をされている先生が「AVは一人で見るな、友達とみんなで見ろ!」と必ず伝えていると言っていたことを思い出した。あれはフィクションなんだ!と伝えているという。一人で見ると本当にあんな乱暴な行為で女性が喜ぶと勘違いし、実際に行動に起こしてしまう人もいる。実際にそれらが性の教科書になっている現状があり、簡単にインターネットにアクセスでき、情報が溢れている時代だからこそ、きちんとした知識と情報を小さい頃から伝える必要があるのではないかと感じた。今年のAIDS文化フォーラムでも性教育をされている助産師さんの講演を聴き、「自分をいたわる手当は、他者にも同じことがいえる」ということを学んだ。

ここで2つ動画をご紹介したい。

関西テレビが取材した「性」に関する特集だ。若者たちの現状と教育現場の葛藤が非常によくわかる。

「寝た子を起こすな」が日本の性教育における長年の『暗黙の了解』だったように思うが、今後は文部科学省による「命の安全教育」というものが試験的に行われ、徐々に進められていくという情報を耳にした。まだ未知数ではあるものの、子供達がきちんとした知識を得て、自分や相手の心と体を守るために大切なことだと思う。
性教育を教育の現場で担うのか、親が担うのか、その両方が協力しながら進めて行けたら素晴らしいなと思った。

(そして必ずしも被害者が女性、加害者が男性というわけではない。その逆もありうることをここで付け加えたい。ただ圧倒的に被害者が女性である場合が多い。)


また、皆さんも「嫌よ嫌よも好きのうち」という言葉を聞いたことがあるだろう。私はこの言葉が大っ嫌いだ。

「性的同意」という言葉が今注目をされていて、嫌なものは嫌!NO means NO!が世界の主流になっている。スウェーデンではさらに進み「Yes means Yes!」、つまりYesだけが同意したことになり、それ以外は全てNOなのである。同意のない性的な行為は全て性暴力である。


子供でも大人でも「わたしの体はわたしだけのもの」だ。自分の体を守る権利が誰にでもある。私は施設で働いている時も「体に触れてもいいですか?」「強さは大丈夫ですか」と必ず同意を取ったり、確認したりしていた。まぁ、当たり前のことだけど。

親であれ教師であれ誰であれ、許可なく他人の体に侵入したり触れることはいけないことなのだ。

映画の話に戻るが、ドクタールースもいうように『人に触れられ、愛されることがどれだけ大切なことか」ということ。それが愛する人からなら尚更のことだ。体に触れることは心に触れることにつながると思う。

当時アメリカ社会においてもタブーとされていた性やセクシャリティーの話を学術的な視点から切り込み、チャーミングな人柄も相まって、彼女にどれだけの人が救われたのだろうと思う。性の話は何故か茶化したり誤魔化してしまいがちだが、真剣に話すことでそれは大切なことなのだと、先程紹介した動画の子供たちもちゃんとわかっていた。

性教育とは、単に性行為を教えることではない。命を育み、そしてお互いの心と体を尊重して、相手の尊厳を守ること、SEXをしてもしなくても愛を確認し、相手を知る大切な教育なのだと私は思う。

そんな大切なことをもっと真剣に語ることができる社会であってほしい。私は家庭でも学校でもこんな大切なことを教わらなかったし、性暴力を受けた時の相談の仕方も教えてもらっていなかったので、30年苦しみ続けた。

そんな私でも『性的同意』について話し合える人がいた。自分の心と体が尊重され、大切にされたという経験…たったそれだけが今の私を支えてくれている。


性を語ることは恥ずかしいことではない。
男性も女性も自分が大切にされないのであれば、嫌だなぁと思うことは言ってもいい。決めるのは自分自身だ。


最初の動画のようになかなか避妊具をつけてと言えない女性もいる。「相手に嫌われたくないから」と考える女性も多い。私もそうだった。そもそも避妊の主導権を男性が握っていることから疑問に思わないといけないのかもしれない。

ピルをのんでいると何故か「ふしだらな女」と男性に思われるという話もある。

コロナ禍において、さらに性暴力の存在が見えにくくなってきていること、望まない妊娠をする若い女性の相談件数が増えている現状からも、私は性教育の充実が必要だと感じている。

と言っても私には何もできないが、自分の体験を通して語ることができる。自分と同じように苦しむ人をもう見たくないのだ。

それが誰かの気づきになってくれたらいいし、家族や大切な人と話し合うきっかけになってもいい。そして私自身、若い人たちから質問や相談を受けたら、性について真摯に答えられる大人でありたい。








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