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悪魔の陣地への戦略と戦の準備|霊的バトルフィールド①

この記事を書くきっかけですが、私たちはあまりにも悪の世界を知らなすぎるという問題があります。

聖書に敵という言葉があります。

 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。」(ペテロ5:8)

ここから重要な話をしていきます。

もう少し具体的な話をすれば、なぜ多くのクリスチャンが、さまざまな恐怖に苦しめられていて、カウンセリングを受けたり、祈ったりしてきましたが、ほとんど効果がなかった・・と終わっていることです。

また、「私は神様の守られている」「悪魔は決して手出しができない」この言葉を信じていませんか?

そう言われてきたけど、なぜまだ解決できていないのですか?

それは今の解決できない状況を悪に隠されているからです。

クリスチャンになっても霊的に目が閉じていれば真理が理解できないのです。
ここが問題です。

恐らくほとんどの方が霊的な目が閉じていると思います。

今の状況を言えばイエス様により命は救われたが、霊的目が見えない私たちは悪魔からの攻撃を無防備に受けている。これが多くのクリスチャンです。

イエス様は、私たちが無知であってはならないと願っておられます。

わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。(マタイ10:16)

主はこのように命じました。ですが、私たちは弱いままなのです。

実際、主が私たちの心の中の罪を明らかにされたのは悪魔の業を滅ぼすためであり、神の前で正直な心を保つことが悪魔に対する最大の防御であったことを理解すべきだったのです。

創世記からでもわかるように悪魔=サタンは古くから存在していて、非常な危険な敵であることを今認識すべき時なのです。

今から学ぶことは神の道を学ぶ必要にあたり、それは知恵であり、心の清さが鍵となっていきます。

まずここ↓から意識して私たちの霊的な戦いは始まっていきます。

霊的の戦争の場所は3つ。

  1. 心の中

  2. 教会

  3. 天の場所

となります。

では、悪と戦う為の装備を身につけていきましょう。もうすでに悪の侵略は始まっているのです。

そこでわたしは言う、「知恵は力にまさる。しかしかの貧しい人の知恵は軽んぜられ、その言葉は聞かれなかった」。 静かに聞かれる知者の言葉は、愚かな者の中のつかさたる者の叫びにまさる。 知恵は戦いの武器にまさる。しかし、ひとりの罪びとは多くの良きわざを滅ぼす。(伝道の書9:16〜18)

サタンがいる空間と行動範囲

サタン含む悪魔や堕天使・悪霊といった存在は暗闇にいます。

この闇とはいかなる場所でも、どこにでも悪魔は移動できます。つまりあなたの心の闇=霊的な場面でも彼らは移動して来るのです。

この闇ですが、単なる 光のない領域や目に見える光の領域でなく道徳的な闇も含みます。

心の闇というのは、神様の言葉を受けずしたがわないというのも霊的な闇となります。

なので、ここを知らない時点で無防備で悪魔の攻撃を受け続けているということになります。

なので、主はこういいました。

 だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。(ルカ11:35)

あなたの心に光=灯火があることを気づいてください。

 人の魂は主のともしびであり、人の心の奥を探る。(箴言20:27)

つまり、もしあなたが罪を抱いているときはあなたの内側にある光は闇となってしまっていたのです。

サタンは神から与えられた合法的なアクセス権を使い、暗闇の領域に住むことができます。

私たちはこの点を十分把握しなければなりません。先ほども言いましたが、悪魔はクリスチャンの心の中にある闇でさえも関係なく往来することができます。

また厄介ですが、神のグレーゾーンもサタンが闇の領域に入ることができる範囲でもあります。

悪のフィールド戦の準備

もし聖霊様に悔い改めるべき箇所を示されたとき(心に残る箇所です)私たちは自分を守ろうとする本能に打ち勝たなければなりません。

まず聖霊様にこの箇所を実行しなさいと促されていても「これは聖霊なのか?神の声なのか?」と悪魔が疑いの声であなたの耳に囁きます。
そして、心の中の暗い戸棚から肉のあなたが「そんなことをしなくていいんだ」と訴える者が話をかけてきます。

こいつらを黙らせなければなりません

あなたがこの霊的戦いで勝利を得るために成功するために、あなたの自己防衛本能を主イエスに委ねなければなりません。
この知識を受け入れることなしに、霊的な戦いに参加することはできません。

神は傲慢を嫌います。下記の箇所は重要な話です。

 しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。(ヤコブ4:6)

神は高慢な者に反対される。これは非常に重要な聖句です。

もし神が高慢な者に反対しているなら、自分が間違っていたと認めることができないなら、神は私たちに反対するでしょう。

 そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。(ヤコブ4:7)

ヤコブ7節では、悪魔に抵抗すれば、彼はあなたから逃げ去ります。とあります。

一見、霊的戦いの記念碑に感じますが、主は悔い改め、謙遜になり、清い心を持つことで、サタンは私たちから逃げていくと教えているのです。

私たちの戦いは、神への服従を越え自分の個人的な戦いの領域を正確に神に服従させなければならないのです。

私たちが学ぶ武器は、悪魔の力に反撃する時はイエスに服従する心からでなければなりません。


悪魔の戦略を知る

悪魔の戦略を紹介していきます。

悪魔は人に入り込むために肉的な側面を狙います。

  • 恐怖心

  • 優越感

  • 傲慢

  • 妬み

など人間の闇を狙います。

例えば、それはキリストの迫害で起こる恐怖からイエスを否定させイエスの力を弱らせたり。または人が抱く優越感、傲慢な態度を使いサタンが煽り、論議をもたらします。
サタンは簡単に転落へと仕向けます。

このように悪魔は、恐怖や傲慢から人の心に侵入することができます。

弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。(ルカ22:23〜24)

高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。(箴言16:18)

そして、気を付けたい罠が傲慢の罪です。悪魔は傲慢は神の裁きがあることを知っています。もちろんサタンは無差別に攻撃できる権利は持っていません。

悪魔は人を攻撃するのに主から許可を得なくてはいけませんが、悪魔は人を陥れるために傲慢の罪という仕掛け線を使い狙います。

日頃から態度には気を付けなくていけません。


装備を見直す

私たちが悪の領域と戦う前に、私たちの心の闇に隠れている領域があれば敗北があるということを認識しましょう。

私たちが自分の中にある暗闇を発見し、悔い改めない限り、キリが無い悪との戦いが続くことを知ると思います。

もし私たちが霊的な戦いで効果的な働きをするなら、自分の心を見極め、私たちの神に対して謙虚に歩まなければなりません。

まず勝敗を得るために私たちが最初にとる行動は「神に......服従すること」でなければなりません。

そうすれば、私たちが「悪魔に抵抗する」ときに、悪魔は逃げていきます

そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。(ヤコブ4:7)

最初は①神に従い②悪魔に立ち向かうことです。
神が仰ることを聞くことから始まります。

ですが、この話は皮肉な話ではありません。なぜ神は悪魔を放置しているのか?です。
サタンの攻撃というのは神が聖徒を傲慢であるプライドから魂を清め、私たちの人生にさらなる柔和さと透明性を生み出すために許可を得ているのです。

ぶっちゃけ、サタンは聖徒を「麦のように」ふるいにかけることしかできないので怖くないのです。クリスチャンなら尚更です。
悪魔を恐ることもなく勝利を確信すればいいのです!

ですがここでの注意ですが、それでもプライドを捨てない者には、神は決して御国を任せられない事を深く知る必要があります。

プライド・傲慢は暗闇の武具そのものであるので、御国に行きたいと願っても傲慢の武具を着ることは堕天使と同じ事をしていることになってしまいます。


サタンの弱点を暴露

サタンが恐れていることで2つ確信があります。これだけでも有益は武器となります。

  • 謙虚になる事

  • 神にひざまつく姿

これだけで悪魔はあなたに近寄り難くなるでしょう。

サタンは謙虚になったり、クリスチャンがひざまつくのであれば嫌います。謙虚な人を見ると背中が凍りついたり身の毛がよだつほど嫌がるはずです。

なぜサタンが謙遜を嫌うか言うと謙虚な姿勢は魂を神に委ねることだからです。

はっきり言いますが、悪魔は柔和な人を前にして現れない理由はかつて悪魔が手を伸ばそうとするまさにその場所に、主が立っておられるからです。

サタンはイエス・キリストを恐れているのは有名な話です。

サタンの栄養と罠

サタンは何を栄養にして力を増すのかも知らなくてはいけません。

それは塵(ちり)です。

 主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。(創世記3:14)
 
 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。(創世記3:19)


創世記の話ですが、悪魔に対する神の裁きは「塵を食べる」でした。

この塵とは肉的な性質=神から遠ざけるものです。

よく悪魔は・・というが、悪魔は肉的な性質を餌に狙っているという意味であり、ここでも悪魔に栄養を渡さずに戦う必要があります。

この肉的領域は、私たちの祈りを弱体化させ、神との歩みを無力化させるのでサタンにあなたの心へと侵入させる道を提供する事になってしまいます。

私たちが自分自身を見つめることができないのは、私たち自身が自信満々に自分が絶対的に正しいと思う感覚に陥るからです。

私たちは自分の中に誰がいるかを知っていますが、悪魔との戦いで成功するためには自分の中に何が?誰がいるかも知らなければなりません。


なので神に自分を委ねるときは、具体的に委ねていきます。決して自分の罪や失敗を正当化や合理化をしてはいけません。


私たちは神に正直になる必要があります。なぜならイエス様の恵みというのは全ての人が自分の必要性を見つめ直すための犠牲だったからです。

神は、あなたの罪のためにョックを受けたりすることは決してありません。
神は、あなたの中に罪が蔓延していた時でさえも遠慮なくあなたを愛しているのです。

あなたが神を求めるとき、神はどれほどあなたを愛し続けることでしょう。
私たちは、肉の性質と悪魔の性質を区別する必要があります。


サタンは告訴する者である

悪魔は、告訴人である事を知るべきです。

悪魔は、人間との闘いと神様を通しての闘い方は別物です。
悪魔は、人間に罪を犯させる事ができます。

先ほど肉欲の話をしました。
よく自分の肉欲と闘うべきだ!と思う人もいるでしょう。
ですが、本当の的は肉欲ではないことも知らないといけないかもしれません。

悪魔のとの戦闘の前にこの下記の箇所を思い出してください。

 あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。 よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。(マタイ5:25〜26)

訴える者とは悪魔です。イエス様が訴訟を避ける前に重要なことを語っており、
私たちが必ず負けて刑務所に入る事を示す話し方をしています。

ここでの話は

  • 神→裁判官

  • サタン→告発者

となります。
私たちが自分を義とし神に近づけば、悪魔は常に私たちを牢屋に入れる法的根拠を持って牢屋にぶち込むでしょう。

われわれはみな汚れた人のようになり、われわれの正しい行いは、ことごとく汚れた衣のようである。われわれはみな木の葉のように枯れ、われわれの不義は風のようにわれわれを吹き去る。(イザヤ書64:6)

なので注意してください。

悪魔があなたの不義(愛が足りない・祈らない・みことばも守らない)と言えば正しいことであり、自分の正しさについて悪魔と論議してはいけないのです。

神の前となればあなたの正義は受け入れ難い話となるのです。
あなたがどんなに頑張って自分を弁護したり正当化しても、悪魔の非難には真実の破片が含まれていることが多いことをあなたは内心で知っています。

悪魔の攻撃は、サタンがあなたに敵視する時にあなた自身の義(自己欺瞞)にフォーカスするのであればあなたを欺(惑わし・取り違いさせる)こうとします。

イエス様が「あなたの敵に早く同意しなさい」と言われたのは、悪魔に「従いなさい」という意味ではありません。

サタンがあなたの罪や欠点を非難するとき、もし悪魔が少しでも正しいのなら、あなたの不義について悪魔に同意することがあなたの利益になると言っているのです。

私たちの救いとは私たちが何をしたのか?ではなく、イエス様が私たちにとってどのような方であったのか?を基づきます。

このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。(ローマ5:1)

サタンがあなたに敵対してくる時は、あなたの注意を自分自身の義に集中させることであなたを欺こうとします。

つまり、話はこうです。
あなたがイエス様だけが私たちの義であることを強く認識すれば敵は私たちの欠点に目をつけなくなります

もしあなたが悪魔に「お前が愛の行いが足りなかった」と責められたらこう答えてください。
「確かに私には愛が足りませんでした。しかし、神の御子イエスは私の罪のために、不完全な愛という罪のためにさえ、死んでくださいました」と。
そうすればサタンは引きます。
自分を神に委ね、自分の弱い不完全な愛に代わりキリストの愛と赦しを求めてください。

また悪魔に「お前は忍耐がない!せっかちだと」非難されたら「はい、私の肉においてはとてもせっかちです。しかし、私は新生して以来、イエスが私の義であり、イエスの血によって私は赦され、清められました。」と答えてください。

このように謙虚に神に立ち返ればいいのです。

だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。(ヘブル4:16)


なので悪魔に打ち勝つためには謙遜さが必要です。

主がよく謙りなさいと言いますが、へりくだるとは、自分のイメージを守ることをやめる事で肉の状態について敵に同意することに繋がります。

 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。(エペソ4:24)

今、へりくだりを霊的な戦いで解説としていますが。
へりくだりは、あなたの間近で起きる様々な争い、競争、怒りなどに使うことができるので平安を維持することができます。

自分を守る実践

今から謙虚に振る舞いを実践していくこともいいでしょう。
家族がいいかもしれません。
まずは、パートナー、親、兄弟、夫、奥様などの争いが起きたら同意することです。
例えば、あなたが妻で相手が夫であれば、仕事のストレスやプレッシャーを理解しなければ喧嘩になります。これは彼しか経験しない事で正しいことです。先ほどの悪魔のやりとりを参考に反論より相手の意見に同意して理解できるように祈ってみます。あなたが夫で相手が妻であり、妻の育児や家事の気持ちを理解できなくては口論になります。それは彼女にとって事実上正しいことです。同じく反論するのではなく彼女の意見に同意し、理解できるように祈ります。この訓練をするのでもサタンの防具を崩すことができます。

悪魔は、謙虚や美徳が大っ嫌いです。

謙虚は主に委ねることでもあるのでこの期に実践してみてください。

家庭にも平和な日々を過ごすことができるでしょう。


最後まで朗読感謝いたします。
パート2「【有料】悪魔が住む思考の要塞をぶち壊す」へ続きます。


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