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若い先生方へ(15)

 皆さん、いつもお読みいただきありがとうございます。今回から4回程度教師の技「授業」について書きます。教師の仕事の第一は授業で子どもたちを鍛えて陶冶することです。それでは、
 教師というと技の世界。授業の技を磨きたい。教育者というと人の世界。 人格を磨きたい。
 授業がうまくなることは、教師の一番の望みですね。たくさんの先生方の授業を参観させていただき、技をぬすむことが第一です。とくに初任の頃は、この先生に近づきたいなと思う人のスタイルをまねることから始めたらどうですか。お代はいらないのがこの世界のよいところでしょう。
1 授業のいろはのい
 授業とは極めて意図的なもの。学習の三要素がそろってはじめて成立する。三要素とは、指導者、学習者と教材・教具。三要素を磨くことで授業力は高まる。
・指導のねらいはよいか。指導案は確かか。
・子どもの学ぶ力を高めたか。
・効果的な教材・教具に仕上がったか。本物を教室に届けられるか。
 授業の要諦は誠実さにあり。ひたむきに道を究めよ。1時間で成長するのは子どもだけではない。教師が成長するから子どもも成長する。
 毎授業必ず何かを仕掛けよ。自分にも仕掛けよ。礼をして対峙するのだから、この授業は二度とない真剣勝負の場である。
 今時の授業は次にはありません。だからいい加減な教材研究ではだめなのです。学習指導案を毎時間書くことは負担になるでしょうから、せめて板書型指導案程度は事前に作って臨みたいものです。先輩方は頭の黒板に構成されている板書の流れも、若い方は臨機応変にやるからではうそになりますよ。十歩譲って、事務局の学校訪問、校内研修、参観授業やみせる授業では是非本時案を書いて臨みましょう。
2 学習指導と生徒指導
 学習指導と生徒指導は授業の両輪。授業の中で学力と授業規律を共に育てることができるし、相乗効果が期待できる。「わかる授業」にもつながる。
 授業の中での学習指導と生徒指導は極めて同義語です。つまり、子どもたちの「わかった」という気持ちにさせるために分けて考えるものではないのです。授業規律は先生の学級だけでなく学年内で共通実践しなければ、学年が替わったら学習規律が瓦解しますよ
3 研修とは
 研修とは、「研究」と「修養」どう使い分けるのか。深さと広さが鍵と  なる。
 私のイメージは、研究は深める、修養は重ねるという感じです。つまり研修とは職業人としての技を磨き、人間力を高めるという置き換えになるという感覚です。研究を深めると専門性は深まるが排他的になる人もいます。また人格温厚だが専門性に課題のある人もいます。前記両者とも子どもの前の教師としては資質に課題があるように思えます。
4 指導力向上
 授業の練達度は授業公開の数と研究協議のもちかたで決まる。まずは、窓越しの雰囲気、導入の5分から始めて熟練の授業を見せてもらう。そして真似をする。協議ではとにかく質問して、疑問を解決してその日を終える。授業ノートを作って活用する。
 私が指導主事をしていたとき、多くの教室で授業参観をさせていただきました。その際、同僚の指導主事はいつも廊下の窓際から、授業者の先生のご指示と子どもたちの反応や発言を両方緻密に観察していました。そして、爾後の講評の際、各授業ともエピソードを一つ以上上げて授業者の先生の発問のよさや、子どもたちの鋭い意見を褒めていました。どうしても学校訪問の研究協議は誰でも苦手感があるけれど、彼の指導主事が参席している会は笑顔とうなづきで推移したのです。これが次の日からの実践の糧となるのです。こんな指導主事は、どこにもいますよね、、、否いない?それは困ったものです。
5 守・破・離  
 真似て基本を重ね、「型」を作る。その上で工夫を重ねて「得意技」を  生み出す。基本がなければ我流(がりゅう)となり進歩はない。堂々の  授業をめざして何回涙するかが鍵。いずれ実を結ぶ我流(わがりゅう)  となって。
「しゅ・は・り」能の観阿弥・世阿弥の頃からの、技を伝承する過程を明示しています。守:では倣いたい技を忠実にまねることですよ。一寸たがわずに。破では:まねて型ができたら、工夫改善をして、師匠からぬすんだ技を自分でカスタマイズする。そこまで来たら、離:師匠の域からグレードアップして免許皆伝になるのではと思います。今の若い先生方は授業で「このような工夫をしたらどうですか」と伝えると、「アドバイスありがとうございます」とはいうものの。自分の流儀=我流に縛られ、授業達者の道を自ら閉ざしている人も散見します。少し辛口になりましたが、素直に受け入れたら
いいのにな、といつも思っていました。
 歯切れの悪い終わり方になりましたが、おあとがよろしいようで、今回はこのあたりで失礼します。

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