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「応援してくれる人に恩返しを」-ハンドボール女子日本代表 グレイ クレア フランシス選手-

する人、みる人、支える人、活用する人など…。
様々なフィールドで活躍するハンドボーラーをnoteで紹介していく「シンボルハンドボーラープロジェクト」。

記念すべき第一回目は、ハンドボール女子日本代表「おりひめJAPAN」のグレイ クレア フランシス選手にインタビューをしました!

《グレイ クレア フランシス》
1997年6月3日生まれ(24歳)。日本ハンドボールリーグ・オムロンピンディーズ所属。2021年12月にスペインで開催された第25回女子世界選手権で日本代表初招集。ポジションはピヴォット。

ハンドボールとの出会いや今後の目標、ハンドボール以外の活動など、彼女のルーツと思い描く未来をを伺いました。

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◇ハンドボールとの奇跡的な出会い


ーー地元はどちらですか?

出身は神奈川県藤沢市で、江ノ島に近いところに住んでいました。小学校・中学校のときにはよく海に遊びに行きましたし、小学校の遠足で江ノ島水族館に行ったり、鎌倉で食べ歩きしたり…。湘南はステキな街です(笑)。

ーーご家族のことについて教えてください。

三つ上の兄がいるのですが、水泳やバスケットボール、スケートボードとかサッカーとか、色んなスポーツを経験していました。ハンドボールはやっていなかったのですが…。

私と兄はスポーツに打ち込むタイプだったのですが、親は特にスポーツが大好きというわけではなく、母が陸上をやっていたくらいです。父はオーストラリアのゴールドコースト出身で、私も部活の帰省期間のときは一週間くらいオーストラリアに帰ったりしていました。

ーースポーツに打ち込んでいたとのことですが、小さい頃はどんな子どもだったのですか?

小学校のときは水泳とハンドボールを両立していて、朝練で泳いでからそのままハンドボールの練習、少し休んで夕方からまた泳いで、みたいな…。一日通してスポーツばっかりやっていましたね。

性格はとにかく負けず嫌いでした。それもあってか、小学校のころから「オリンピックに出たい!」という気持ちがありました。ハンドボール年数を重ねるにつれて「絶対に上まで行きたい」という想いがどんどん強くなっていきました。

◇ハンドボールとの出会い


ーーハンドボールとはどのような形で出会ったのですか?

小学校二年生のときにドッジボールに熱中していて、学校の昼休みには男子に混じって参加しているような子どもでした。肩も強くて、投げるスポーツが大好きだったんです。

ちょうどその時期に、テレビでハンドボールの試合をやっているのを偶然見ました。ドッジボールと動きが似ていて、ジャンプしてシュートしている姿を見ていると「これやりたい!」という気持ちが湧いてきました。

すぐにお母さんに「このスポーツやりたい!」と言ったら、近くにハンドボールクラブがないかを調べてくれました。その流れで湘南台ハンドボールクラブに体験に行ったのですが、そこでドハマりしてしまって(笑)。体験日に入部することに決めました。あのときテレビでハンドボールを見ていなかったら、違うスポーツの道に進んでいたと思います。

ーー奇跡的な出会いですね(笑)。初めてハンドボールをプレーしたときは、どんな感想を持ちましたか?

ドッジボールが好きだったこともあって、シュートがとにかく楽しかったです。最初はただただゴールキーパーにボールをぶつける、という感じだったのですが、徐々に「キーパーがこっちに動いたから、こっちに打てば入る!」みたいに、工夫すればシュートが決まることがわかってきて、より好きになりました。

◇ノルウェーで受けた衝撃


ーー中学生ではハンドボール部に?

残念ながら通っていた中学校にハンドボール部がなかったのですが、湘南台ハンドボールクラブの監督と、家の近所にある藤沢清流高校のハンドボール部の監督がお知り合いで。中学生のときは特別参加という形で、藤沢清流高校にお世話になっていました。

もちろん高校生の大会に中学生の私は出場できなかったのですが、高校生と練習していて技術的に学ぶこともたくさんありましたし、監督には「ルーズボールに飛び込む」とか、特に気持ちの面で大切なことを教えていただいて、それは今でも活きていると思っています。

チームは和気あいあいとした雰囲気で年齢関係なく仲が良かったので、自分らしく三年間ハンドボールを続けることができました。

ーー高校時代にはノルウェーに行ったそうですね。

高校生のときに、ノルウェーで選手・指導者として活躍している内林絵美さんと、藤沢市でやっていたハンドボールクリニックで出会いました。

そのときに「将来ヨーロッパでプレーしたい夢があるんです」とお話ししたら、「今度ノルウェーに来るといいよ」とお誘いいただいて。それで、高校の部活を引退した二月に二週間、向こうのクラブの練習に混ぜていただくことになりました。

ーー日本の部活動との違いなど、当時ノルウェーで感じたことを教えてください。

本当に全てが違う感覚で、衝撃を受けました。日本では監督やコーチに言われたことをこなしていくことが、今でもジュニア年代では多いと思うのですが、ノルウェーでは選手が自分自身で考えることを大切にしているように感じました。なので、指導者の方は怒るより褒めて伸ばすことが多くて、選手に問いかけるシーンもたくさん見られました。

選手のトレーニングを見ていても衝撃的で、同じ年くらいの選手たちがウエイトトレーニングを積極的にやっていて、身体もできている状態でした。話を聞くと、中学生から重りを持ってトレーニングをしているそうなんです。日本ではあまり見ないような光景だったのでびっくりしたのと、そのときに興味を持ったのがきっかけで、大学の卒業論文ではデンマークのジュニア年代のトレーニングについて研究しました(笑)。

向こうの選手たちはすごく面倒見がよくて、私にはノルウェー語ではなく英語で話しかけてくれたりして、語学の面でも良い経験になりました。最初は海外に行くことに不安があったのですが、ノルウェーの方々に優しくしてもらって、とても充実した二週間でした。

◇大怪我によるポジション変更、恩師の支え


ーーノルウェーでの経験の後、筑波大学に進学されました。

高校生のときに関東大学リーグを観に行ったのですが、筑波大学の選手たちが伸び伸びとハンドボールをしている姿がとても印象的でした。将来はヨーロッパでプレーしたい気持ちも高かったので、海外のハンドボールに詳しい山田永子先生がいらっしゃることもあり、筑波大学に進むことにしました。

ーー四年生のときには全日本インカレ準優勝の結果を残しましたが、ご自身で振り返るとどのような学生時代でしたか?

私は小学校二年生のとき、ハンドボールを始めたときからポジションがレフトバックで、大学でも二年生の途中まで同じポジションでした。ですが左膝の前十字靭帯を断裂してしまって、三年生の間はずっとプレーができていなかったんです。

リハビリを終えて、いざプレーに復帰するというときに、山田先生からピヴォットへの転向を勧められました。最初は不安もとても多かったのですが、山田先生を信じてポジションを変えることを決断しました。

最初は全然うまくいかなかったのですが、JHL(日本ハンドボールリーグ)や海外の映像から勉強して、当たり負けない身体づくりにも励みました。その上でチームメイトともたくさんコミュニケーションを取って、徐々に活躍できるようになりました。個人とチームがうまく掛け合わさって、最終的に準優勝という結果を得られたと思います。

ーーポジションを変えるときに葛藤はありましたか?

もちろんありました。今までレフトバック一筋で頑張ってきたのに、なんでこんな簡単に転向しなきゃいけないのか、というような悔しい気持ちがありましたし、自分の強みのロングシュートが活きなくなるんじゃないかと、不安も大きかったです。

ただ悩んでいく中で、チームとしてはピヴォットが手薄なポジションでしたし、レフトバックの経験をピヴォットとして活かすこともできるんじゃないかと考えるようになりました。一番の大きな決め手は、山田先生の言葉を信じたいと思えたことですね。先生にはとても感謝しています。

◇ヨーロッパへの想いと日本代表


ーー筑波大学卒業後はオムロンでプレーすることになりました。

大学生のころから将来をよく考えるようになって、ノルウェーでの経験もありましたが、ヨーロッパでプレーしたい気持ちを強く持っていました。おおまかな卒業後の選択肢としては、海外に行くか日本でプレーするかの二択でした。

両親や先生方とも相談したのですが、海外のトップレベルで活躍できるのは一握りだということや、もしも大怪我をして日本に戻ってきたときに、実績のない選手を受け入れてくれるチームがあるのかなど…。そういった先々のことを真剣に考えた上で、日本でまず実績を積んでから海外に行くほうがチャンスはあると思いました。

日本でプレーする上でもいくつか選択肢があったのですが、練習施設や食事など、ハンドボールをする環境が恵まれているオムロンがとても魅力的で、自分が成長できる場所はここだと感じました。ヨーロッパでのプレーを目指していると同時に、オムロンのために頑張りたい気持ちも強くあって、今もここでプレーしています。

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ーーヨーロッパに行くタイミングは考えられていますか?

若いころから行く良さはもちろんあると思うのですが、タイミングについては正直迷っています。今はオムロンのために頑張って、このチームでもっと実績を積みたいと考えています。オムロンでの経験を活かして、ヨーロッパのトップリーグでプレーしたいですし、チャンピオンズリーグで活躍することが今の最終目標です。

ーー2021年12月の世界選手権ではヨーロッパの選手とも対戦しましたが、何を感じましたか?

日本国内ではフィジカル面で自信を持ってプレーができていて、世界選手権でも通用する部分はあったと感じています。ただ、通用しないプレーもたくさんあって、特に身長差や体重差を埋めるためには、フィジカルだけでは海外だと生き残っていけないなというのは痛感しました。

日本人は体格では海外選手に劣ることが多いので、ピヴォットでもコンタクトの強さ以外にスピードや俊敏性とか、そういった違う部分で上回っていかないと、今後の日本も強くなっていかないのかなと思いました。

ーークレア選手自身、世界選手権がA代表として戦う初めての国際大会となりました。日本代表に選出されたときの率直な感想を教えてください。

日の丸を背負って試合に出ることが小さいころからの目標だったので、選ばれたときはすぐに両親に報告しました(笑)。同時に、今までは日本代表に「選ばれる」ことだった目標が、日本代表で「活躍する」ことへ、すぐに切り替わりました。自分としては不思議な感覚で、もっと上に行きたい気持ちがふつふつと湧いてきました。

ーー実際に日本代表としてプレーする上で、今までと違った特別な想いなどはありましたか?

実は今までと比べても気持ち的に大きな違いはありませんでした。オムロンでプレーしているときは「このチームのため、応援してくれる人のために頑張りたい!」といつも思っているのですが、日本代表でもこれは変わらず、全国で応援してくれる方々に何かを感じてもらえるようにプレーしていました。

環境が変わっても観てくれる人を元気づけるプレーだったり、「ピヴォットでこんなプレーがあるんだ」と感じてもらったり…。応援してくれる人に恩返しができるように、これからも頑張りたいと思っています。

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◇ゴミ拾いの理由


ーーハンドボール以外にも、街のゴミ拾いなどの活動を積極的に行っていますね。

昨シーズンのオムロンはプレーオフに進出できない形でリーグを終えました。そのときに「どうしたら強くなれるんだろう」、「応援されるチームには何が必要なんだろう」と改めて考えるようになりました。

ちょうどそのときにTwitterで、男子リーグの琉球コラソンの選手が街のゴミ拾いをやっていることを知りました。その様子を見て、応援されるためにはハンドボール以外にもプラスの要素を自分から引き寄せる必要があると感じました。

地域の方と交流するという意味でも「これなら自分にもすぐにできる!」と思って、すぐにスーパーで手袋とトングを買って、ゴミ拾いを始めました(笑)。

ーーゴミ拾いを始めてから、身の回りに変化はありましたか?

ゴミ拾いの最中に地域の方と挨拶するだけでも、かなり気分が晴れますね(笑)。その場で「いつもありがとう」と声をかけてくださることや、試合会場で「いつも見てるよ、頑張ってね!」と言っていただけることもすごく嬉しいです。

まだできていないことも多いのですが、ゴミ拾い以外にも子どもたちのハンドボールスクールとか、自分がプレーする以外の部分でももっと貢献していきたいと思っています

こういう活動は直接的な結果には必ずしも結びつかないかもしれないですが、コツコツ積み重ねることで運が味方してくれるようになると思うので、周りの人にも良い影響を与えながら、これからも続けていきたいです。

◇これからの未来


ーー選手としてのこれからの目標や、チャレンジしたいことを教えてください。

オムロンや日本代表で実績を積んで、ヨーロッパのトップリーグで活躍することがまず第一です。もう少し先の話では、自分のこれまで、これからの経験を日本のハンドボーラーに伝えるような活動もしたいと思っています。

日本が強くなるためには、日本の外にある要素を取り入れることも大事だと思うので、まず私が経験を積んでから後輩たちに伝えることで、少しでも日本の力になれるんじゃないかと思っています。

選手を引退した後もハンドボールにはずっと携わりたいと思っていて、具体的なことは今のところ決まっていないですが、子どもたちにハンドボールを教えたり、協会やリーグをサポートしたり…。幅広く活動してければいいなと思っています。

ーーハンドボール以外の分野で興味を持っていることはありますか?

そんなに大したことではないのですが…(笑)。モデルの撮影にも興味があるので、私服の撮影とか、そういう面でも発信していければいいなと思っています。

ジークスター東京の土井レミイ杏利選手がTikTokでバズっているみたいに、ハンドボール以外の部分を発信することで私やハンドボールに興味を持ってくれるかもしれないので、そういう活動も通して盛り上げてきたいです。

ーー今後の日本のハンドボール発展についての想いを教えてください。

選手としてハンドボールを盛り上げていくためには、まず競技としての結果を残すことが大事だと思っています。アジア選手権や世界選手権で良い結果を出すために、代表活動や日頃のオムロンでのプレーをもっともっと頑張りたいと思います。

同時にゴミ拾いとか、ハンドボール以外の活動も積極的に行うことで、応援されるチームや国になれると思います。そういうことを続けていくことで、マイナースポーツと言われなくなる日が来るんじゃないかと思っています。色んな人の意見を取り入れて自分にできることを探しながら、みんなで盛り上げていきたいです。

ーーいまハンドボールをしている、これから始める子どもたちへのメッセージをお願いします。

ハンドボールの一番の魅力はチームワークだと、私は思っています。誰かの調子が悪くてシュートが入らなかったとしても、ほかの誰かがバックアップすることで勝利に繋がることもたくさんあると思います。

誰かが落ち込んでいたら声をかけるとか、周りと支え合いながらプレーできる。そういうチームワークが大きな魅力だと思うので、そういう時間を大切にしながら、ハンドボールを楽しんでほしいです。

そしてもっともっと、ハンドボールを楽しむ子どもたちが増えていければいいなと願っています。

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クレア選手のハンドボール人生、いかがだったでしょうか?
感想やクレア選手への応援メッセージは、ぜひSNSでシェアいただけると嬉しいです。

オムロンや日本代表、そして目標であるヨーロッパでの活躍に期待です!

【シンボルハンドボーラー記事公開予定】
2022年4月中:第2回
2022年5月中:第3回
2022年6月中:第4回

取材・文=坂 柊貴

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