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「問題に正対できるかどうか」

問題に正対できるかどうかというのは人生でとても大切だと思っている

問題が起きた時に
・どうしてこんなことに(過去を見ている)
・これから先どうなってしまうのか(未来を見ている)

という具合に、現在を見ていない

そして、もっとひどい場合には
・あいつがいたからこんなことになった
・あの出来事のせいでこういうことになった

という怒りや妬み・嫉みに繋がっていくと最悪だ

もちろん、そういったプロセスやフェーズがあることは間違いない
そこは人間なので後悔もする
しかし、それを経て問題に正対できるかが人間力の鍵だと思っている

本来、人間には問題解決の力が備わっている

しかし、その力がさまざまな形で分散してしまうために
問題解決の道筋をたたれてしまう

もし、今に集中できたら
今日を乗り切ることに集中できたら

それはとてつもなく大きい

あと、もう1つ思うことがある

人間は気づかないと繰り返し問題がやってくるという構造だ

気づきさえすれば、それ以上の問題が降ってくることはない
しかし、気づかないと
次から次へと問題がやってくる

これは神様が本質に気づかせるようにしているとしか思えない

だから、ある時点で腹を据えて
ここが地続きであり、これに向き合わなければ次へ行けない
と思えばことは進んでいく

そしてよく誤解されるのは
ゼロ百理論なんて厳密に言えばこの世にはない

全てが揺蕩っっており、常に変化している

そして、思いも毎日の訓練で出来上がる

そこに妙がある

つまり、少しで良い
少しの変化を積み重ねて生きていく

最近の風潮としては、そんなことやってられるか見たいな風潮がある
なんでもタイパ、コスパと言っている

しかし、真理はそれでは解決しないのだから仕方がない

日々の積み上げ、訓練これに尽きる

逆に言えば、それができるのだからまだ道は残されている

ありがたいなと思う

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