見出し画像

#日本遺産 被災地に生き続ける700年の文化 ―テレビ屋が体験した日本遺産【5】 人吉球磨・熊本

 今回は熊本県の日本遺産第一号、「相良700年が生んだ保守と進取の文化
~ 日本でもっとも豊かな隠れ里 ― 人吉球磨 ~」です。長いので「人吉球磨」とだけ自分は言っています。
 熊本県南部の球磨地方一帯は、江戸時代までは人吉藩相良家の所領でした。人吉市含む球磨地方の10市町村が日本遺産のある場所です。

 人吉を鉄路で目指すとなれば、雄大な球磨川の峡谷を走るJR肥薩線がありました。しかし残念ながら、令和2年7月の豪雨災害の傷が未だ癒えず、同路線では現在も八代〜人吉〜吉松間で不通が続いています(令和6年2月現在)。

JR九州ホームページ「災害に伴う運行状況のご案内について」より画像引用

 その人吉球磨ですが筆者は2度訪れています。
一度目は平成28年の初夏です。山も田畑も新緑に染まり、目にする景色すべてがイキイキと目に映りました。「この感じいいでしょう」と案内されたのは盆地にぽつんと佇む小さな石鳥居。心に残りました。すべての暮らしが神と共にあった時代の空気とでもいうような、何か懐かしく、そして大事なものを見た思いがしました。かの司馬遼太郎が「日本でもっとも豊かな隠れ里」と称賛したことにも不思議と合点がいきました。

人吉球磨の田んぼに寄り添うようにたつ石鳥居 なぜか脳裏に焼き付いた景観
映像紀行『日本遺産』より ©TBSスパークル

 人吉球磨の日本遺産は、鎌倉時代から700年にわたり君臨した相良家の長い治世下に育まれた文化の痕跡です。長い治世と言えば、お隣りの鹿児島、島津家もかなりな長さですが薩摩の文化は九州でも独特であることは有名ですね。それに似た匂いを筆者は人吉球磨からも嗅ぎ取ったように思いました。相良家は700年にわたり居城を人吉城から移しませんでした。そんな例は全国でもほかにないそうです。

願成寺の相良家墓地 700年間の歴代党首と歌人の墓標がずらり並ぶ
筆者撮影

 人吉球磨には古い茅葺きや板葺き屋根の古い寺社が点在し、平安から鎌倉時代の由緒ある立派な仏像がたくさん守られています。それら文化財からは、穏やかな土地の空気の中に高い威厳が同居していることを感じさせられましたが、当の地元の方々は文化財の由緒正しさを偉ぶることなどなく、むしろとても身近な存在として案内してくれます。

「あおいさん」と親しまれる「青井阿蘇神社」 
5つの建造物(本殿、廊、弊殿、拝殿、楼門)が国宝
©TBSスパークル

 そんな日本遺産・人吉球磨のストーリーを番組で映像化したのはその年の11月。10市町村に伝わる勇壮な「臼太鼓踊り」や、地域最大の神社、青井阿蘇神社恒例の「おくんち祭り」と「球磨神楽」、江戸幕府による禁令下を生き延びてこの地に唯一残る遊戯法「ウンスンカルタ」など、いかにも独特な文化の印が次々に登場し、見る人の関心を呼んだと思います。

人吉球磨には個性的な行事風習が数多くある
臼太鼓踊り(左上) おくんち祭(右上) 球磨神楽(左下) ウンスンカルタ(右下)
©TBSスパークル

 筆者2度目の訪問は昨年の秋。別の請負事業の一環で、ディレクター兼カメラマンとして訪れました。コロナ禍明け初の紅葉シーズンです。多くの人出があったようで、滞在中の宿が取れず、やむなく50キロ離れた海沿いの八代市に泊まりました。

 11月下旬の紅葉のピークでした。人吉城跡は赤や黄に彩られ、存在感を増し、石垣も大きく立派に見えました。 

人吉市内を流れる球磨川と人吉城

  昨年の訪問は本来なら令和2年秋頃には行うはずの計画でした。しかし令和2年7月、人吉市を中心に球磨川流域は豪雨災害に見舞われたため延期となり、3年たった昨年秋にようやく実行にいたった経緯があります。

 今回の撮影の仕事自体は地元の関係者の温かいご協力の下で何不自由なく完了しましたが、災害の爪痕はそこかしこでいまだ見られます。

 上の人吉城の写真。画面右手には人吉城でも特に貴重とされる江戸時代の遺構(※)がありましたが洪水により浸水、現在も災害復旧工事が行われているだけでなく、城跡に隣接する一角には、被災者のための仮設住宅が何棟も稼働していました。

(※日本の城には他にないという「地下室」、復元された「角櫓」「多聞櫓」なお「地下室」の展示施設にもなっている人吉城歴史館は、現在も休館中)

人吉市ホームページ 「人吉城跡の見学について」より画像引用

 日本では全世界を驚かせた3.11後も数々の災害が起こっています。今年も能登半島を中心に北陸地方で大規模な震災がありました。報道メディアは直近の出来事をことさらフォーカスしてしまうため、ひとつ災害が起こるとそれ以前の災害の記憶は途端に風化の道を辿ってしまう印象があります。しかし実際は復旧復興の道程がいまだ残されている被災地があるのは人吉の例を見るまでもありません。

 本稿は日本遺産の体験談を伝えるものですが、少しそれて、球磨川の豪雨水害の被害状況について、ネットで見られるものを紹介します。
 
 この時の豪雨災害の様子は当時テレビでも生中継されました。ご記憶にある方もいると思います。国交省が公表している被害の詳細を見ると当時の自体の深刻さが見て取れます。
http://www.qsr.mlit.go.jp/yatusiro/site_files/file/bousai/gouukensho/200825shiryou2.pdf

国交省 九州地方整備局公表資料より画像引用
国交省 九州地方整備局公表資料より画像引用

過去にも水害は何度もあったようです。記録的なものでは昭和40年7月があげられますが、上記の引用資料にはその時との比較資料も出されています。どうやら令和2年度災害は記録上最大の被害だったようです。

国交省 九州地方整備局公表資料より画像引用

 上記引用画像の中にある「青井阿蘇神社」は日本遺産の重要な構成文化財であり、5つの建造物が国宝です。資料を見ると昭和40年洪水では浸水を免れたものの、令和2年は水に浸かりました。

青井阿蘇神社 弊殿 
報道によれば床上十数センチまで浸水したという
©TBSスパークル

「あおいさん」と親しまれるこの神社は、まさに地元の心の拠り所。水に浸かった拝殿と弊殿を見て愕然と立ち尽くす人が多かったといいます。
しかし、その後神社の復旧はすすみ、新しい社務所もオープン。筆者が訪れた時はちょうど七五三の賑わいで、心温かい雰囲気が境内に充満していました。

青井阿蘇神社 拝殿
右手奥には新装なった社務所がある
筆者撮影

 ところで人吉球磨と言えば最近話題になっているのが「SL人吉号」の引退。営業運転するSLとしては国内最古なのだそうですが、2年前に、機関車の老朽化とメンテナンスの困難さから今年の3月23日をラストランとして引退が決まり、いよいよその時まであとひと月を切りました。

https://www.jrkyushu.co.jp/trains/sllastyear/

 このSLですが、「人吉」の名の通り本来は熊本〜人吉間の球磨川の雄大な峡谷を縫って走っていましたが、前述したようにJR肥薩線が令和2年豪雨でずたずたにやられ、その後経路は熊本〜鳥栖間に移されたため、球磨川峡谷を走る勇姿はすでに見られません。
 映像紀行日本遺産では、平成28年の取材で、球磨川峡谷を走る勇姿を撮影していました。ほんの少しですが、去りゆく“国内最古”の機関車をしのびその映像を公式Youtubeに掲載いたします。(わずか6秒間ですが・・・)

 日本遺産・人吉球磨。新緑の田植えの時期、稲刈り前の秋がお勧めです。熊本県の最南部ですから飛行機で九州入りして車でまっすぐ目指すなら、鹿児島空港からの方が熊本空港経由に比べ約30分早く到着できます。
 ぜひどうぞ!

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?