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「カカが勝ったら、あーちゃんが笑うね」

雨の日だった。

その日は、一日お天気が良くなくて、保育園で娘は公園遊びができなかった。お迎えに行くと、先生と一緒に楽しそうに遊んでいて、室内を満喫した様子がうかがえた。

走っても、走っても、体力が有り余っている娘の保育園の子どもたちは、晴れの日はなんと計3回公園で遊ぶ。

朝と、夕方と、降園後、帰る前に保護者と一緒に。
我が家も例によって、その3回のお外遊びを思う存分にやる。

それが雨の日は、できない。
何人かの子どもたちは、抑えきれずに駆け出してしまう。

お迎えに行って、娘と話していると、わたしの脇を小さな影がスゥーっと走り去っていく。

それを見て先生は走っちゃだめよ、の代わりに「わかる、わたしも走りたくなってきた。走れる場所、探そう」と言った。

言い方次第。
受けとめ方次第。

わかっているけれど。
いざやろうとすると、わたしにはまだ難しいことも多い。

先生は、すごい。

家に帰るとき、娘は帰り道から些細なことで機嫌を崩して、ずっと泣いている。

娘は娘なりに、保育園で頑張って、疲れて、家に帰る、となるとホッとするような、もっと遊びたかったような・・・そんな気持ちを、泣いて、流す。

娘は、わたしに甘えているんだなあと、しみじみ思う。

泣いていい相手でいられることはうれしい。
だけど、参ることもある。

あんまりにも、すべてに「これはやだ~」「あれは違う~」のオンパレードで、さすがにムッとする「ほな、どないすんの」と冷たく言うと、もっと泣く。そりゃ、そうだ。

頭ではわかる。頭でわかっても、わたしがついていかない。

なんとなく、気まずいムードを引きずりながら、夕飯の用意をしつつ、娘に「さかな、骨抜く?」と聞いてみると、急に乗り気。

たらの骨を抜いて、指のにおいをかいで、くさっ!と、娘はもう幸せに戻れる。早い。子どもはたくましい。

わたしはまだ、ぼんやり。

できあがった夕飯を食べながら、娘が何気なく「今日は食べるの競争しよっか」という。

どうせ、わたしが勝つんだけど・・・と思いながら「いいよ~」というと、娘はタイトルの言葉を言った。

「じゃあ、カカが勝ったら・・・あーちゃんが笑うね!あーちゃんが勝ったら、カカが笑うんだよ!」

瞬間。わたしは自分が恥ずかしい大人であることを悟る。
娘にかかれば、どう転んでも幸せになる道はちょちょいのちょいだ。

「そうだね。そうしよっか」

甘えていたのは、どちらか。
わたしの方だ。

娘の態度を理由に、怠慢ぶちかまして、不満を垂れ流すなんて。
なさけないな、と思うと同時に、本気で、本当に、自分が幸せでいることを、やっていくんだ。

そう、思う。

だって、ちょっとポチョンと涙が落ちそうだったからね。

その愛らしさに。
その気遣いに。
そのやさしさに。
その自由さに。

さんきゅー

自分を、無条件に愛して、イキイキと輝いて生きられる人が、この世界に一人でも増えますように。あなたからの、お力添えを、よろしくお願いいたします。