見出し画像

177 3月11日

11年前。私は、台湾人の主人との間に生まれた2歳半の子供と3人暮らしでした。子どもが生まれてすぐに買った家は3階建て、1階にオフィス、2階と3階は住居スペースでした。私と主人はそこでPCケーブルを売る会社を経営していました。

大きな揺れ、津波の映像、計画停電…。家は高台で地盤がしっかりしていたので、大した被害はありませんでした。私の実家は埋め立て地に建った団地で、液状化により外見では分からないほどの浅い角度で建物が傾きました。両親は普段なら40分くらいで着く距離を2時間かけてうちに一時避難しました。

福島の発電所の事故があり、計画停電となりました。早じまいの閉店ギリギリに入ったうどん屋でうどんを食べている時に停電が始まり、非常用の照明の下で黙々と食べたのを思い出します。買い出しに出かけるとすごい人で、いくら待っても会計の列が短くならないどころか、列の終わりがどこにあるのかすらわからない。家を失った人に言わせるとそんなのは混乱の比じゃないと言われるかもしれないが、それでも必死に生活してきた。

11年後の現在、コロナ禍や隣国の戦争。平和の祭典の最中に容赦ない命の抹殺。どんな命も軽々しく扱われるべきではない。


よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは、一人でも多くの方がより豊かな人生を送れるような何かを考えていきます。