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やりたいことって、誰かに笑われようが、胸が高鳴って「やっちゃうこと」

ここ数年で何度か言われたけれど、あまりピンと来てない言葉がある。

それが、「やりたいこと、ちゃんとやっててすごい!」という言葉。

相手の表情を思い返してみると、本当に「すごい!」という顔をしているから、たぶん褒めてくれているのだと思う。悪意を含んでいる感じはなくて、むしろ好意的な空気をまとっていたような。

でも、どうしてもわたしは、この言葉がピンと来ない。

だから言われるたびに、口角をへにゃっと釣り上げ、不恰好な微笑みでしか返せないのだ。

なぜ「やりたいこと、ちゃんとやっててすごい!」という言葉が、ピンと来ないのか。

それはたぶん、「やりたいことをやる」という行為自体が、自分の中では「すごいこと」の性質をおびていないからだと思う。

だって、「やりたいこと」なのだ。

それは子どもが箱からおもちゃをぶちまけたり、登ってはいけない場所を登ったり、「やっちゃだめでしょ!」と言われてもやりたくなってしまうような、そういうたぐいのものなのだ。それはもはや、衝動。

だから「やりたいこと」をやっている感覚はなく、もはや人生のお楽しみという気持ちだから、「ちゃんとやっててすごい!」の「ちゃんと」も「すごい」も、わたしにとっては「?」だったりする。

ちなみに「やりたいことがあって、良いなあ」だったら、わかる。わたしもそう思っていた時期があったから。そしてやりたいことに気づくには、それなりの心の筋トレが必要だからね。

でも、「やりたいことをやってて、すごい」は、どうしても頭からハテナが飛び出してしまう。

しかし、どうしてそんなにみんな「やりたいこと、ちゃんとやっててすごい!」と褒めてくれるのだろう、と考えてみた。

ひょっとしたら、相手は、こんな状況なのかもしれない。

自分が今、やりたいことがあるのに、できていない。でも、目の前の相手(わたし)はやりたいことをやっている。

そのギャップによって生まれる想いが「ちゃんとやっててすごい」という言葉を生み出す、のかな。きっと。

やりたいことがあるのにできない理由」は2つに分けられる、というのがわたしの持論。

ひとつは、やりたいことをやるための何かが不足していること。

その不足は時間だったり、お金だったり、人によって違う。

例えば激務で朝から晩まで働いている人は、まず時間をつくるところから。電車賃すらもったいなくて3駅ぐらいなら歩かなければと思うような経済状況なら(8年前のわたし!)、まずはお金を確保するところから。

ただ、たいていの場合は「やりたいこと」は「ダメと言われてもやっちゃうこと」なので、よっぽどの不足でない限りは、小さな一歩はどんな状況でも踏み出せると思う。紙とペンさえあれば計画は立てられるし、お金がなくても無料で勉強を始めることもできるし、まとまった時間がなければ通勤時間にオーディブルで本を聴くなどの選択肢もある。

だからひょっとすると、ふたつめの理由が多いのかもしれない、と密かに思っていたり。

ふたつめは、例えば「やりたいこと」を後回しにしちゃう場合、それって本当はやりたいことじゃないかも、ってこと。

「やりたいこと」なのに、なかなか手をつけられないというのは、わたしが思う「やりたいこと」とは、きっとちょっと違うのだろうと思う。

それはひょっとしたら、自分の内側から湧き出てくる「やりたいこと」ではなく、誰かの目を意識した「やったほうがいいこと」なのかもしれない、と。

SNSで流れてくるキラキラした人の活動や、素敵な暮らしの写真、スマホやテレビや雑誌などいたるところで目にする輝かしい「わたしらしさ」のイメージ。そういうものに自分を当てはめて、「こうあったほうが素敵だ」「これをやった方が見栄えが良い」といった想いから練り上げられた「やったほうがいいこと」。

そこに縛られてしまうときっと、そういう自分の中から吹き出す「やりたい!」は、なかなか表に出てこられないのかもしれない。

やりたいことって、「それ何の意味があるの?」と白い目で見られてもやりたくなってしまうような、「ダサい」と言われようがやっちゃうようなもので、「誰かの目」とは程遠い場所にあるのだと思うから。

わたしの周りには、「やりたいこと」を見つけた途端、驚くほど軽やかなステップで、そちらへスキップして向かって行っちゃう人がたくさんいる。

「やりたい!」と思ったら、もう気持ちがはやって、心が踊って、自分のなかがわくわくで満ち溢れ、止められなくなってしまうのだ。その衝動、とてもわかる。やりたいことって、そういうものだから。

そしてわたしの周りの「やりたいこと」に向かって躍るように進んでいる人たちには、共通点がある。それは、みんな、その過程自体をとても楽しんでいること。

「やりたいこと」に向かっていく道って、とても楽しい。目的地に到着するために苦しくてつらい道を歩く…なんてことは、あまり無いような気がしている。もちろん道中には試練もあるし、苦しい瞬間が訪れたりもするけれど、最終的にプラマイプラス。やっぱり楽しいのである。

もし今、これを読んでくれている方が「やりたいことができていない」のだとしたら、一度、こんなことを考えてみると良いかもしれない。

例えば、何かが不足してできていないのだとしたら。何が不足しているのか、どれくらいあればできるのか、そして現状の中でできることは何かないか。そこから考えてみる。

考える過程、つまり計画を立てること自体「やりたいことをやっている」になると、わたしは思う。だからもう、やりたいこと、始めちゃいましょう。

もしくは、やりたいことがあるのに後回しにしちゃうのだとしたら。

それは一度、自分の心の内側を見つめてみた方が良いかも。本当に、自分の奥底から「やりたい!」と思っているのかな。ひょっとして、外側にある「あるべき姿」に引っ張られていないかな。

それともひょっとしたら、「やりたいことを優先するのは悪いこと」なんていう心理的な壁があるのかも。いずれにせよ、自分の本音を、聴いてみるのがおすすめ。

それとも、そもそも「やりたいことがわからない」という状態だとしたら。

それはただ、自分の中で「自分」が迷子になっているだけ。たぶん、自分を無視しちゃった時間が長かったのかも。だから今、見えなくなっているだけ。

寝たい、食べたい、誰かと一緒にいたい。
そういう欲求と同じように、「これをやってみたい」という好奇心は、誰にでもあるものだから。

好奇心に気づくために、まずは自分を無視するのをやめること。

例えば「今日は本を読みたい」とか、そういう小さな「やりたいこと」の声を聴いて、叶えてあげること。そうしていくうちに、「やりたいこと」が溢れてくるはず。

どうしてもやりたくって、わくわくするような。胸が高鳴って、誰に何を言われようとやっちゃうような。

自分のこれからが楽しみで仕方がないと感じながら、生きていたいから。

子どもの頃は誰しもが抱いていた、あのわくわくがむくむくと膨れ上がる感覚。考えるだけで楽しくって、走り出したくなるような衝動。それらを大切に、これからも。


おわり
***

よかったら、じぶんジカンの『自己分析ノート』も、使ってもらえたら嬉しいです。やりたいことを見つけるための、問いを詰め込んだノートとなっています。


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