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資本主義について考える

おはようございます。
投資家ケンジです。

「資本論」というものはおもしろいですね。
この理論を早くに知っていれば、
いまのように30歳を過ぎて勤め人をしていなかったのではないかとさえ思います。

資本主義社会というものは、
耳では聞いたことがあるけど
実際にどんなものかは理解してませんでした。

個人的な見解にはなりますが、
資本主義を一言で表すと
「やったもん勝ち」って感じですね。

資本家=資本から富を増やす人
と定義すると、大多数の人たちが
資本家のために労働しているという構図ができあがります。

つまり、勤め人でいる間は
やれどやれど資本家の富を増やしているだけ。

給料というのは、
労働に対する報酬ではないんです。
じゃあ何かって?

給料というのは、
資本家が富を増やすために必要な経費
なのです。

給料が高いとか低いとか、
全ては資本家がコントロールしてますからね。

不満が出ない程度の賃金を支払うのが最低ライン。
昇格・昇給という”にんじん”をぶら下げて、
勤め人たちを操っています。

上司がなぜ部下に怒るのか。
それは上司もまた、その上役に怒られるから。
そしてその上役は資本家に怒られています。

こうやって考えると、
うるさい上司がなんだか小さく見えませんか?
なんなら少し哀れだとさえ思います。

資本主義社会では常に
資本家ベースで考えるほうが理解できますね。

資本家が十分に儲かった中から、
資本家が許容できる範囲で、賃金を支払う。
これは世間の相場に応じた額ですね。

ガードマンと銀行員が同じ給料ではないように。

勤め人・雇われ人は脇役。課長も部長も役員も。
資本主義社会での主役は「資本家」。

自分の人生は、もちろん自分が主役ですが
社会という観点から見ると、
ほとんどの人が脇役になってしまう。

「一億総活躍社会」
いつだったかこんなフレーズがありましたね。
脇役のまま活躍しろ、ということでしょうか。

ただし、この資本論という考え方は
所詮は人が考えた理論でしかありません。

そして資本主義というのも、人々が作りだしたシステム。
ある程度は普遍的ではあるものの、
絶対的ではないと解釈しています。

型にはまってしまうと身動きがとれませんからね。

かといって、勤め人のまま主役になることはできません。
主役になりたければ、
小さいなりにも資本家になる必要があります。

会社を持つということが、その一歩になるのではないか。
ぼくは今、はそんなところにいます。(心持ちが)

学生の頃からなんとなく憧れていた社長という肩書き。
潜在的に、社会的に自立したいという気持ちが
あったような気がします。

この年齢になって、やっと体系的に理解できるようになりました。
この資本主義社会において
地に足をつけて生きていくには
資本家(経営者)になるしかないのだと。

青年期の自分と、学び直しを続けたこの5年間。
なにか歯車がかみあったような感覚があります。

かつてのディオが
「時を止められる能力」に気づいた時にように。

ではまた明日。

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