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日本の『自分で「始めた」女たち』 #2 河合 宥さん (バレエ教室主宰)

「成功はない気がする。成功したと思ってもそれは新しいスタートだから。」

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河合宥さんプロフィール
小1で新体操、小2でバレエを始め、新体操の香川県代表選手にも選ばれる実力ながら、高2でバレエの道へ。イタリアのバレエコンクール出場をきっかけに、国内外のコンクールやオーディションに数多く挑戦し、N.Y.のバレエスクールに入学。帰国後、2017年にユースアメリカグランプリの日本予選シニア部門で、クラシックとコンテンポラリーの両方で1位になった。ドイツのドレスデン国立歌劇場バレエ団に所属し、2019年に帰国。2020年7月に故郷の香川でバレエを教え始める。2021年10月、丸亀市にU-Ballet art spaceをオープン。現在はスタジオのほか、新体操のクラブチームでもバレエを教えている。
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河合宥さんについて

河合先生(Yu先生)は、私のバレエの先生です。U-Ballet art space オープンと同時に、私も大人クラスに通い始めました。なんせ大人から始めた私(たち)、思うように体も脳も動かないのですが、それでも先生は怒るでもなく甘やかすでもなく、絶妙な距離感で、できなかったことができるように根気よく教えてくれます。レッスン前は寡黙だけど、聞くとインバイティングな笑顔でいろいろと親切に応えてくれる。バーレッスンの合間にストレッチを教えてくれたり、私は写真に美しく写る立ち方を教えてもらったこともあります。
あるレッスンの日、話をする中でふと「いま24なんだけどね」と言ったYu先生。私たちアラフィフ生徒はざわつきました。24歳!?その落ち着きと、大人への理解ある教え方で?
いつも静かなYu先生に、私はバレエという“甘め”の雰囲気ではなく、アスリートとしてのカッコよさ、シャープさを感じていました。そう言うと「私は新体操もやっていたからね~」。でも理由はそれだけじゃないように思うなぁ・・・。Yu先生が「始める」には何があったんだろう。
インタビューをお願いしてみたら、一言めが「おもしろそう!」。
「インタビューの場所は近所の、パンケーキが人気のカフェはどうですか?」バレリーナに甘いものなんていやがられないかしらと思いながら聞くと、「甘いもの好きだよ」。
こういう肯定感がYu先生なんだな・・・と知るところから、インタビューが始まりました。
 
 
中村 ドイツのバレエ団を退団して、香川でバレエのクラスを始めるまでのいきさつからお聞きしてもいいですか?
 
Yu先生 ドイツから帰国したあとは東京でいくつかのカンパニーのオーディションを受けました。でも納得できる場所に出会えなかったのね。
どこにも所属していない時期は東京のオープンクラスに参加したりという毎日だったけど…納得できない自分に違和感を感じ初めていたかな。あるバレエの公演に出ることが決まっていたので、これが自分では最後の舞台だと思って、家族全員を招待したの。私のバレエを見たことがない兄まで全員、もう、みんなが来てくれました。
その後は、それまで毎日やっていたバレエを離れてまったく違う仕事をしていたの。
 
中村 なんの仕事をしていたんですか?
 
Yu先生 パン屋さんです。
 
中村 えっ!意外です。なぜパン屋?
 
Yu先生 私パンが大好きなんだよ(笑)。それまでバレエ一筋だったから、初めてバレエから離れられたこの時期は楽しかったんだけど、コロナが始まり、仕事をセーブせざるを得なくなったのね。その時は家でもバレエの練習はしていたけど、もはや以前のようには体が思うように動かない。バレエはもうできないと思って・・・。自分としてはかなり悩んで、実家に帰って来たんです。
香川に戻ったのが2020年の5月。22歳で、この先、自分が何をしていきたいのかが分からなかった。小さい頃から私がバレエと新体操をするのをずっと支えてくれていた母は、何も言わないんだけど、私に踊ってほしい、バレエに関わってほしいと思っているようでした。私はその時の体力的・精神的なコンディションを考えると、踊り続けるのは難しいと思っていたの。「あなたは何がしたいの?」という母に、私は「分からない」と答え、毎晩、泣きながら話をしていました。
7月になって、週1でもいいから場所を借りてバレエを教えてみようと、知り合いを相手に宇多津のユープラザでオープンクラスを始めたんです。その様子をインスタにアップすると、知らない人やバレエ初心者も来てくれるようになった。いま中村さんと同じクラスに来ている大人の方は、そのときの人たちなんだよ。みんな全く初めてだったのにずっと続けていて、体もどんどん動くようになって、本当にすごいと思う。
 
ビジネスのターニングポイントは?
 
中村 仕事としてバレエ教室を続けて行こうというターニングポイントはありましたか?
 
Yu先生 ターニングポイントは、教室に子どもたちも来るようになり、バリエーションをもっともっと見てほしいと言われるようになったこと。でも貸しスタジオだと難しいんだよね、時間が限られるから。自分のスタジオがあればいつでも見てあげられるし、子どもたちにも自由に来てもらえる。
私も小さい頃、誰かにバレエを見てほしかったけど、身近な場所では世界に出た経験を持つ先生には出会えなかったり、練習したくても自由に通える場所がなかったりしていたから・・・。当時はもっともっと教えてほしかったし、アドバイスをくれる人がほしくてたまらなかった。だから子どもたちの「この人に教えてほしい」「この人ならちゃんと教えてくれる」という思いはすごく分かる。そんな声を聞いて、期待に応えたい、自分がこの子たちの役に立つんだったらもっとやってみようと思い始めて、その時、スタジオを持とうと決めたんです。
 
中村 で、いまのスタジオに。
 
Yu先生 そう。自分で建てる?とか、場所を借りる?とか考えて、土地を探し始めたし、建物の図面も、それは母がやったんだけど、引いてみたの。なのに、なぜかうまくいかないことが出てくるんだよね。行けそうと思っていると、何か障害が出てきて。スタジオを持つのは無理なのかな・・・とあきらめかけていました。
そんなある時、バレエの知人が「いい場所があるから見に行ってみたら」と言うんです。すぐに行ったら、そこはブティックの使っていない2階。いまの場所ね。「広い!」と思った。自分で建てたとしてもこんなに広い場所は絶対に建てられないから、もう、ここでやるしかないって。
何もない空間に自分でリノリウムを貼り、カーペットも敷いて鏡をつけて、2021年10月にU-Ballet art spaceをオープンしました。

U-Ballet art spaceにて

値段はどうやって付けた?
 
中村 私、生徒で恩恵にあずかっておきながらこんなこと言うのはナンなんですが、先生のバレエのレッスン料って安すぎないかと思うんですよ。
 
Yu先生 (笑)「安い」と言われるし、自分でもそう思うよ。でも、バレエをやりたい人に負担なく続けてもらう値段にするのが大事だから・・・。
私にバレエも新体操も習わせていた母は親の大変さをいちばん分かっているから、値段は、母の意見を聞いたり、他のバレエ教室も参考にして決めました。自分が小さい頃に通っていた新体操のクラスも、クオリティは高かったけど値段は通いやすい価格だったの。母とも、そこは見習うべきだねと話して。
 
中村 うーん(それでも安いと思う私)・・・じゃあ、大人だけでも上げてもいいと思うんですけど・・・?
 
Yu先生 しない。値段を上げる気はないの。金額じゃないんだよ。だってここでお金をかけるべきじゃないから。バレエを続けるならこの先もっとお金がかかるんだから・・・。
私の最初のレッスンは無料にしているし、オープンクラスのときは4回まで無料にしていたの。特に大人の方はこのクラスが自分にいいと分かるまで時間がかかるので、何回も来て決めてくれたらいいと思っていたから。その時の生徒さんが今もずっと来てくれている。
 
中村 そうなんですね・・・(ちょっと自分が恥ずかしい)。
じゃあ、バレエ教室を始めた最初の頃に役立ったアドバイスはありますか?
 
Yu先生 バレエを教え始めた頃は、本当に私がバレエを教えてもいいのかなとずっと悩んでいたのね。教えるには材料が少なすぎる気がした。すると母が「ムリとか不安だと思うんなら、今からでもできるんだから学んだら?」。やってもないのに何を悩んでいるのかと。なので、コロナで現地には行けなかったけど、ロシアの、バレエ教師向け講義をzoomで受講し、修了したんです。
私は、国内の教室で学んだ時期には正規のバレエメソッドを持つ先生に習えなかったので、現役時代は自分で「こうじゃないかな」と考えて体で学ぶしかなかったのね。留学したバレエ学校の先生はロシアの方だったから、学べることもたくさんあって実技としてのスキルは見違えるように高まった。だから、講義を受けたことで、自分の体験でつかんだ内容がちゃんとメソッドに「合っている」「これも合っていた」と再確認できたのはよかったと思う。
 
仕事で経験して得た誇りは?
 
中村 この夏は生徒さんが大きなコンクールの本選まで行きましたよね。私インスタで見て「すごいな」って!
 
Yu先生 移籍してきた生徒さんを1年で育て、国内の大きなコンクールに連れて行ったことは、自分の中では大きな出来事でした。1年で体や動きのクセを見直して、コンクールに出られる状態にするのは、なかなか難しいこと。本人もすごく頑張ったと思う。
夏のジャパングランプリでは本選まで行ったし、秋のユースグランプリにも挑戦したでしょ。このコンクールは、バレエのプロを目指すなら避けては通れない大きな舞台。自分が一度は立った舞台でもあるし、今度は24歳という年齢で生徒を連れて、先生としてトライするわけだから、いろんな感情と緊張を張り巡らせて臨みました。
そんな中で生徒を連れて行くと、当時の自分を知っている人たちが「バレエの教室を開いたのね」と温かく迎えてくれたんです。自分が出場していたときの「あの踊りを覚えている」という人、「宥さんが本番前に練習する姿を見ていました」という人もいて・・・。生徒を連れてコンクールに戻ってきたことを、本当によかったと思ったんだよね。
 
ビジネスを始めて分かった自分の強み
 
中村 このビジネスを始めて分かった自分の強みってありますか?新体操のクラブチームで教える時、「あなたのことをよく覚えてるよ。他の人とは手の出し方や体の動きが違っていたから」と言われたそうですが・・・。
 
Yu先生 バレエや新体操時代から「踊りが人と違う」と言われていたんだよね。それは、他の人の動きを見て研究し、自分で自分を開拓していくしかなかったから。失敗したら立ち止まって、なぜかを考えるの。地道なことだけど、できると嬉しいからさらに研究してやってみる。そうやって自分の踊りを良くしようとしてきたのね。
N.Y.のバレエ学校に行っていた時、成績表のコメントに「将来あなたはバレエの先生になると思う」と書かれていたことがある。その時は「なぜ私が先生なんだろう?」と分からなかったけど、今振り返ればその時の先生は、私の人とは違う視点と地道な研究を見抜いていたんだと思う。いまは、教えることは自分に合っているんじゃないかと思います。

中村 じゃあ最後に、先生にとっての「成功」って、何なんでしょう?
 
Yu先生 成功は、「ない」・・・。
だって、新体操で1位をとってもそこで終わりじゃなくて、いつも次はこうしようと考えていたし、自分が1位をとったのはあの選手がここでこうだったからだとか、いつも冷静に考えていました。バレエも同じでしょ。喜ぶヒマもなくすぐ次のコンクール、次の踊りって、スタートを切ってきたからね。目標があって達成した時は「やった、成功した!」と思うことはあるかもしれないけど。
でもそこは成功じゃなくて、新しいスタートなんだよね。
 
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おわりに
 
YAGPを調べていたら、それは「世界最大のバレエコンクール」と表現してありました。Yu先生はそんなすごいコンクールの日本予選、しかも2部門で1位獲得!なのに、それを教室のインスタのどこにも書いていないし、クラスで私たちに話すこともありません。
私がインタビューで分かったことは、Yu先生のカッコよさって、私たちの前では、ぐだぐだ言わないこと。人のせいにするような曖昧なものを感じさせないから、いつも先生の印象は、輪郭がくっきり、キリッとしている。
そして、過去の栄光にすがらず、いまこの瞬間の自分で勝負している。
これって、意志をもってやらないとできないことなんじゃないかと思うんです。Yu先生には静かな意志や品を感じる。だからカッコいいんだなと理解したのでした。
 
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次回のインタビューは1月初旬掲載予定です。

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