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30年前のウクライナ訪問・思い出・経験・印象4、オデッサ3、キシニョフ

モルドワの首都キシニョフ へ

オデッサのサーシャとオーリャの家から
キシニョフまで往復することにした。
(この回は冒険記のみ)


キシニョフはどこ?

オデッサからキシニョフ(現キシナウ)までは列車で数時間の距離。
ネットで見ると157㎞と出てきた。
https://rail.cc/ja/train/odessa-to-chisinau
Googleの地図で公共交通機関で片道5~6時間。車で3時間。

左の赤丸キシニョフ・右の赤丸オデッサ


キシニョフはウクライナでなく、モルドワの首都。

モルドワは旧ソ連の構成国だったが、
スラブ系でなく、ルーマニアに近いらしい。


そう遠く見えないキシニョフだが、駅で列車の時刻表を見ると、
午前中の早くない時間発で、帰りも同じようだった。
観光に行くにはとても不都合だが、1昼夜を使い行くことにした。


家に帰ってそのことを話すと、
「前は、朝行って夜帰れる列車があったのよね。」
とオーリャは言っていた。
以前はなかった国境が出来たので仕方がない。

ただモルドワに行くことを決めていなかったので、
日本人はヴィザが必要というのは知っていたが、
ヴィザを用意していなかった。
が情報によると、全員の検査をしている訳でなさそうなので、
一か八かやってみる。通してくれなければ戻るだけの事だ。

大きいリュックは家に残して
水と食料を小リュックに詰め、少しのお金、
パスポートとウクライナのヴィザを持って出発。


国境 (オデッサ→キシニョフ)

列車は横並びの席と向かい合わせの席が組み合わさった
中距離鈍行で自由席。
東海道本線や東北本線の各停のような感じだ。
ヴィザの件があり、誰とも話したくなかったので、
向かい席は避けた。ドアから近い横並び席に座る。

列車はガタゴトと平原をのんびり走り、やがて国境前の駅に着く。
ドアが開くより前に準備したのはパンと水。
右手にパン、左手にフタを開けたペットボトルを持ち、
両手がふさがっていて、食べるのに忙しい状態を演出。
多少のドキドキは抑えて、平静を装う。

ドアが開き検査官が数人入ってくる。
東洋人は周りを見渡しても一人もいないが気にしない。
検査官と目は合わさず、時々車内を眺める。

他の乗客に声を掛けてパスポートのチェックはしている様子。
だが自分の前を通り過ぎる。
ひたすらパンをかじっていたので、顔は斜め上からしか見えてない。
多分こちらをチラ見はして、視線はパンに行ったかも。
複数の検査官が2,3度きょろきょろ通路を行き来していたが、
やがて終了し降りて行った。
作戦成功!


キシニョフ駅到着

午後だったので、通貨両替後すぐ、宿泊先を探す。
ホテルを見つけて入ったが、ヴィザがないと泊まれないとのこと。
フロントのおばちゃんも、国境が完全じゃないのは分かっていて、
学生寮に行ってみなさいと、住所を教えてくれる。

ほとんどの人がロシア語を話していたが、訛りがある人もいた。

学生寮へ行くと受付の女の子は後で来てみるよう言ってくれたが、
ロビーにいたお兄さんがその様子を見ていて、
「どっから来たの、何人?」
とアクセントのあるロシア語で絡んできて面倒だった。
そこへの宿泊を考え直した。

街歩き ~ 宿探し

とりあえず、街へ出る。
全体に古くて、建物の色も黒っぽい感じがした。
2年前までソ連で、経済が崩壊状態だからしょうがない。
行き交う人達は、少々古風な身なりだったが、
首都の通りなので、それなり楽しそうだった。

店は5時には閉まるので、買い物はそれまでにした。
地図も売ってなく、観光地らしいものも何も分からない。
雰囲気だけ見たかっただけだけど。

北海道より緯度が高く、夏場で明るかった。

宿の客引き ~ 恐怖の宿泊

歩き回って、見つけた宿泊紹介施設にちょっと寄ってみた。
外にプライベートルームの客引き達がいた。
おばちゃん達ががやがやとおしゃべりしながら客を待っている。

1人が、「ここから、トロリーバスですぐよ。
同じくらいの年のうちの娘は今出かけてるけど帰ってくるかもしれない。
一緒にお話したらいいわ。」という。
シャワーも借りれると確認。

値段もまあまあで、良さそうな人だと思いその人と手を打った。
他の人達も話したし、目撃者もいる。

危機感

だが、到着後、後悔することになる。
まず、近くなく、街から離れた団地地帯だった。
郊外へ向かうトロリーバスで、道の両側に平原が見えた。
この時点で話が違う、と言って戻ればよかったかもしれない。
「もうすぐよ」とおばさんが言う。

団地の3階2DKに入ると、「今シャワーは工事中なの」と。
お茶を期待して「水をください」というと、
コップに水道の水を一杯入れて渡してきた。
ちょっと何かが変だと思った。

それから娘の写真を見せて、
「多分帰ってくると思うんだけど、遅くなるかしら…」
娘の話を少し…。待っていても、
「帰ってこないわねぇ。」

次に中年男性の写真を見せてきた。
ちょっと不気味な顔立ちでぞっとしたのを覚えている。
「これ彼氏。イラン人なの。会いたいけど今、国に帰っているのよ。」
等とひとしきり話したあと、
「さあ、お金を払ってちょうだい。」と言われ支払う。
この後態度が急変、冷たく無口になる。

もしかすると、娘さんは亡くなったか、行方不明で、
このおばさんはちょっと頭がおかしくなったのかもしれない。
恐怖が頭をもたげてきた。

まさか、普通の人ではない?
もしかしてマフィアの仲間か?
あの強面イラン人が来たりしないか?

あてがわれた部屋に入ってみる。
ベッドと椅子等はあり、まあきれいではあった。

窓の外を見ると、3階で、ベランダは無し。
何かあったら、どうする?
最悪、雨どいを伝って逃げるか、と経路を確認し、目に焼き付けた。
キシニョフを思い出す時、この雨どいの1階まで続く縦パイプが、
風景より印象深く思い出される。

自分の部屋のドアの前に椅子や荷物を置き
すぐに開かないようにした。
早起きする為、早く寝ようとした。眠れない…。
朝、勝手に黙って出発することに決めた。

6時前に起きて静かに支度し、そーっと玄関へ。
ドアを開けようとするが鍵が外れない。
しばらく格闘したがどうにもできない。

仕方なくおばさんを起こすことにした。
部屋のドアのノックして、
「出発するからドアを開けて」とドア越しに言う。
すると、おばさんが、ドア前から
椅子やら何かをどかしている音が聞こえた。
彼女も実は怖がっていたと判明。

再び町へ戻り、駅へ

バスで平原の中の団地から、街へ戻った。
朝9時か10時ごろの出発で、店だって開いていない時間。
とにかく時間内に歩いて見れるだけ街の雰囲気を堪能し
食料を確保して駅へ。


キシニョフ駅
駅https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%82%A6%E9%A7%85
Wikiから、駅舎内、右の文字はロシア語でキシニョフ


乗車 ~ 再び国境(キシニョフ→オデッサ)

オデッサに戻る帰りの列車で確保した席は
向かい合わせのボックス席の窓際だった。
近くの人に話しかけられていた記憶がある。

パスポートチェック

いつも国境越えは何故かわくわくする。
モルドワのヴィザなしだったので、
出国とはいえ心配はあったけど…。

検査官たちは国境の手前の国境駅で乗ってきて、
国境を一緒に越え、隣の国の国境駅で降りていく。
どちらの駅の停車も長めだが、
その一駅分の区間を乗っている間にしっかりチェックする。

今回の検査官は、一人一人のパスポートを受け取り、
ちゃんと確認していた。

自分の前に伸びてきた手に、パスポートを渡すと、
真剣な顔になり、じっくり見始めた。
「どこのパスポート?日本?初めて見たぁ…。
ウクライナのヴィザは?あるねぇ…。モルドワのは?」
「昨日ここ通ったけど、見られなかったですよ」と答える。
検査官も納得している。
「今からウクライナに入るんだし、いいか~」と
言いながら出入国のハンコを押す。

走り出した電車の中で、日本のパスポートのページを
検査官が繰って確認していると、
好奇心旺盛なおじさんが「どこのパスポート?」と尋ねる。
「日本のだよ。」と答える検査官。
「へ~、ちょっと見せて。」と別な人。
検査官は愉快そうな顔をしながら「はいよっ」と渡してしまった。

周りの皆も暇なので「見せて」「見せて」と、手から手へ、
どんどん遠くへ離れてゆくパスポート。

「え、噓でしょ、列車が走っているのに
外にでも投げられたらどうする」と思い、
「返して~」と騒ぐが窓際席で出られない。

みんな、「大丈夫よ」と笑っている。
ぐるーっと車両内を一周して無事戻ってきた。

外は天気で、のどかな風景が広がっていた。

おかしなエピソード。

正直、何のために行ったか分からない
一泊二日キシニョフの旅だった。


   ーー ーー ーー ーー

あの当時だからか、皆ロシア語を話していた。
今も、モルドワ人がロシア語で投稿した動画も見たことがあるので、
ロシア語は話されていると思う。ロシア人も多いと思う。

人達の見た目は・・・よく覚えていないが、ちょっとだけ
エキゾチックだったかも。


モルドワ内にも土地問題はあるが、あまり気にしてない様子

地図を探していて見つけた2022年5月11日の記事、
ちょっと面白い記事なので、貼りつける。

感想:
ロシアがモルドワに侵攻するなんて思ってもいない。
関係は良好で、意味も理由もないので。


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