見出し画像

幼少期の誕生日


おはようございます、友美です。


昨夜我が家の10月生まれ組である夫と末っ子の誕生日会をしたんだけど、実は意識して誕生日会をやり始めたのはもしかしたら今年からかもしれない。


昨年まではケーキは買っていて。けどね、今思うと「形だけ」の誕生日会。誕生日だからケーキを買わないと。誕生日だからプレゼントを買わないと。義務感満載の誕生日会ってなんなんだろうね。




過去を遡るとわたしの小さい頃、誕生日が8/12なのでお盆。家族が揃って、もはや親戚まで揃って。両親の実家は富山県なのでお盆は大体墓参りのために富山へ。だけどね、そこでわたしの誕生日が祝われたことは一度もない。誕生日が長期休みじゃない友達は学校でお祝いの言葉をもらったりしてるのを見て、いいなぁ。羨ましいなぁ。ってずっと思ってて。


ある年の冬休み、帰省予定だったけど高速道路も下道も通行止めになるほどの大雪で車中泊を経験。以降富山へ帰る頻度は夏でも減ってしまった。親戚がいない誕生日でも、我が家は淡々といつもと変わらない日常に、母がとってつけたようなコージーコーナーの質素な楕円形のチーズケーキが食卓に出てくるだけ。



もしかしたらそれだけでもすごくありがたいのかもしれないが、当時のわたしは寂しさというか悲しさというか、家族みんながわたしを見てくれてないなぁ誕生日でさえも。という感情があったなぁと当時を振り返るとあったりもする。



Liveでもよくいうが、生まれてから30年間ほどは自己肯定感とか自己受容とか、自己価値なんざ到底感じられない日々を過ごしていた。けれども子供を産んで家族を持って、それを子供達にも繰り返させたいかと聞かれたらそんなことは1ミリも思わない。


だからこそ、家族の誕生日には心からのお祝いを。きっとね、わたしがただただやりたいだけなんだよなって気付けたのがここ最近。すごく当たり前なんだけど、相手の目を見て話す、会話を楽しむ、最適な言葉にすると、相手を含む。


わたしがやりたいのはこれをした後に感じる感情を噛み締めることなんだと思う。



形じゃない、想いの話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?