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俯瞰できるようになると全体が見えてくる

『俯瞰をする』ってよく聞くけど
どういうことなのか、どうすればいいのか
全くわかりませんでした。

自分という人物をもう一人の自分が見るような感じ。

説明としては理解ができても、
実際にはなかなかできませんでした。

もう一人の自分を作ろうとしても
結局は今、自分だと思ってる自分の目線でしか
物事を見ることができないから
自分ではないもう一人の自分(外の自分)から
自分を見るっていうことができませんでした。

この説明ですら、もう何を言っているのか
わからないという。
『俯瞰する』ということを
説明してみようと思ったのですが、
ほんとに難しいんだなっということが今わかりました。

感覚でしかない。

私が今、なんとなく俯瞰ってこういうことなのかな
って思ってることも俯瞰なのかどうかわかりません。

だけど、少しずつですが、自分の物事の捉え方とか
見え方というものに変化を感じるようになってきて
自分の人生であったり、生き方であったり、
毎日の過ごし方というものを
自分の思い通りに作っていけるんだなぁと
感じるようになってきました。

時には、自分が望むことではない出来事も
当然起こることがあります。

だけど、その出来事が自分に何をもたらすのか。
その出来事が自分にどんな影響を与えるのかということは
自分でいかようにも変えていける。

むしろ、その捉え方によって、その後の人生が好転するか
より悪い方に向かっていくのかが、
決まっていくのではないかと思いました。

少し、話が逸れてしまいました。

『俯瞰する』ということ。

先日、気付いたいつもとは違う感覚。

いつもというか、これまでずっと
自分という目線からしか物事を見ることが
できていませんでした。

自分が主人公の物語を自分が演じている感じ。
きっと誰もがそうで、
みんな自分が主人公の物語をそれぞれに
つくっているんですよね。

子供の頃から、妄想が大好きだったんですが、
いつの頃からか、それは現実離れしていて
生きていくためには必要のないものと
自分で判断して封印するようになっていた気がします。

現実のことばかり考えていた私はなぜだか生き苦しくて
辛くて、何事もうまくいかなくて、視野が狭くなって
自分のことしか見えなくなっていた。
というか、自分から見えるものしか見ようとしなくなっていた。

まさに自分が主人公の物語で、
他者はみんな自分の物語の中では引き立て役のような感じ。
自分中心というような生き方をしていました。

本人はそんなつもりは全くないのですが、
そうなっていたんだなぁって思います。

『みんなそれぞれに自分の物語を作りながら生きている』
っていうことを知ってから、私の妄想力が復帰してきました。

自分の物語を想像するとともに
人の物語も想像するようになりました。

自分はこの場面でこんなことを感じたから
こんな行動を取ったけれど、
あの人だったらどうだろう。

あの人の立場だったらこんな時どうしてるだろうか。
他者の立場とか気持ちに想いを馳せてみると
許せないような腹立たしい言動も許せたり、
自分が責められているような気になって
落ち込んでしまうことも、立場上言ってくれているんだとか
何かを守るために、そうせざるを得なかったんだろうとか。

自分のことだけを考えていると、
ただ悲しいとか悔しいとか怒りがこみ上げたりしていたのですが
自分の目線ではなく、他者の目線で物事を見ると
同じ出来事でも、私の物語と他者の物語とでは全く別の物語になる。

そんなことを感じられるようになってきたなぁと
思っていてふと先日気付きました。

今まで、自分の目線からしか物事を見れていなかったから
自分だけの物語で自分を主人公としての自分を一生懸命に
演じるという生き方をしていました。

これからは自分だけの物語から一歩飛び出して
自分も含めた全体としての物語の自分を
演じながら生きていったらどうなるのかなっていう
ワクワク感が芽生えてきました。

ちょっと理解してもらえるようにうまく
言語化できてないなぁと思うのですが、
今の自分の変化を今の自分ができる最大限の表現で
アウトプットしてみました。

最後までお読みいただきありがとうございます!!

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