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【人生の終わり】大切な人にどんな顔で見送ってほしいか

【死ぬ】ことに対して
どんなイメージを持ってるでしょうか。

私は暗いイメージがあります。
辛い、悲しい、淋しい。

人は産まれたその瞬間から
死に向かって生きている。

死ぬために生きている。

だから、今を大切に生きましょう。

【死ぬ】ということは
そういうメッセージを伝えるために
あるのかなぁと思います。

でも、なんだか私はしっくりこなくて。

そのメッセージを聞いても

『そうかぁ!人はいつか必ず死ぬんだから
一生懸命、後悔のないように
毎日感謝しながら今を大切に生きよう!!』

ってその時は思うけど、
すぐにまたなんだかウダウダ、
うじうじして、
『今を全力で生きてまーす!!』
みたいな感じでは生きていないなぁと
いつも感じてしまいます。

それは、自分のためだけに
生きようとするから
いまいちスイッチが入らないのかなって
思いました。

裏を返せば
(返してるのか何なのかわかりませんが)
≪自分のために今を大切にできない≫
っていうのは、自分をそこまで
大切にできていないという
証拠でもあるんだなと
今、気が付きました。

そんな私の死生観が
ガラリと変わる記事に出会いました。


恵子@夢⭐️相談室さんの記事
≪『素敵な人生の最期の迎え方』って?≫

こちらを読ませて頂き、
終活について興味がわきました。

そして、自分の人生の最期のイメージが
思い浮かんできました。

家族と人生の最期を
笑って話し合える
そんな幸せな時間を過ごしたいなと
思いました🤗✨

その恵子さんがご紹介されていた
文子さんのこちらの記事
80代となる両親の終活に
50代の私がどうしてもやりたかったこと》

生きてる間にご両親とともに、
人生の最期について話し合われている様子が
とても心温まる微笑ましい様子で
これまで不謹慎だと思っていた
【死】に対するイメージが変わりました。

文子さんは、にゃむさんの記事を読まれて、ご両親と迎える最後の日を
生きている間に話し合っておきたい
という想いで行動にうつされた時のことを
記事にしてくれました。

人生の最後を看取るご家族に
最高な形でお見送りをさせてあげたいと
試行錯誤をされるにゃむさんの記事はこちら

《コロナ禍での看取りのヒント〜逢えない愛する家族への工夫をシェア〜》

【死ぬ】ということに対して
暗い、辛いというイメージを
強く持っている分、
そのことを口にするのは不謹慎という
思い込みが私の中にあります。

ましてや、それを生きている人の前で
死ぬときのことや、
死んだあとの話をするなんてのは
失礼極まりないくらいの感覚もありました。

ところが、今や終活や生前整理なんていう
言葉もよく聞くようになり、
それはタブーではなくなった。

むしろ、どんどん話して
考えていきましょうという
風潮になってきました。

文子さんがご両親本人と
お葬式の打ち合わせをされている様子が
なんとも微笑ましくて、
そして、これは本当に不謹慎な言い方かも
しれないのですが、
なんだか結婚式の打ち合わせのようで
とても楽しそうに見えたのです。

お葬式って故人を偲ぶ辛く悲しいもの
っていうイメージなのですが、
そうではなくて、人生最期の最大イベント
なのではないかと思いました。

反感を持たれた方
申し訳ありません。
私個人がそう感じたという感想です(>_<)

人は死に向かって生きている。
死ぬために生きている。

しっくりこなかったこの言葉の意味が
わかりました。

文子さんのお父さんの言葉

「もうこの年まで生きたら、葬式では悲しんで欲しくない。
みんなに笑って送って欲しい」

これだ!と思いました。

『死ぬために生きる』

しっくりこなかったのは
私の中で疑問があったからなんだと
気が付きました。

意味がわからない。
どうせ死ぬのになんで
一生懸命生きなければいけないんだ。
適当に生きてたって一緒じゃないか。

どんなに一生懸命頑張って生きてきたって
どんなに素晴らしい成果を残したって
死んでしまえば
自分には何もないじゃないか。

なんて浅はかなんでしょうか。
またしても、私は
『あぁ。やっぱり自分のことしか
考えていなかったんだなぁ。』
ということに気が付きました。

生きている間に残す成果というものは
自分のために残すものではなく
生き残る人類のために残すものだと
ようやくわかりました。

私たちの生活が向上して
今、とても便利に快適に暮らせているのは
紛れもなく過去の人々の努力のお陰です。

自分の暮らしだけが
良くなればいいのであれば
ここまでの発展はなかったかもしれません。

後世の世代の人々が
より良く暮らしていけるようにと
その技術や知識を
受け継いでいったからこそ
今の暮らしができている。

と、こんな大きな話が出てきたことに
自分でもびっくりですが。

私個人の話に戻ると
人生の最期というのは
自分のためにあるのではなく、
残された大切な人のためにあるのだと
思いました。

自分を見送ってくれる人に
どんな気持ちでいて欲しいか、
どんな顔で見送って欲しいのかを考えたとき
私は文子さんのお父さんのように
笑顔で笑って見送って欲しいなって
思いました🤗✨

自分の死を悲しいものだと
思って欲しくない。

そう思うと、自分のお葬式でも
看取る瞬間でも
自分はもう何も感じないかもしれないけど
悲しまないで、笑ってバイバイして
笑って生き続けて欲しいって思いました。

自分の最期はお世話になったみんなが
笑顔で幸せを感じられる時間で
あって欲しい。

それを目指すためなら
私は一生懸命生きていけそうだなって
思えました🥰✨

長くなりましたが、
最後までお読み頂きありがとうございます🤩

今日しかない今日を
大切にお過ごしくださいませ🤗✨

サポートありがとうございます🥰💕 私の気付きがお読みいただいた皆さまの気付きのきっかけとなり、より幸せな生き方のヒントとなれば幸いです🤗✨ いただきましたサポートは幸せな生き方の学びに使わせていただき、その学びをシェアさせていただきます🥰💕