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育てたように、子は育つ。

終末期の緩和ケアを受けている母が
明日から退院して、在宅医療に切り替わることになった。
もうほとんど口からものは食べられてなくて、高カロリー点滴や輸血で元気を保っている状態。
でも寝たきりではなくて
体力はガタ落ちしたけど、元気な時間は歩くこともできるし
トイレやお風呂も、まだ自力で入れる。

あと何回会えるかな、話せるかなぁ
そう思いながら、明日からは、病院ではなくて実家に通うことにした。

さっきから「おかず何を作って持っていこうかな」と考えてる。
母は食べられないけど、家にいるのは父と弟、男二人。
ある程度料理のできる二人だけど、所詮男の料理だ。
男たちの健康は、母のごはんによって維持されてきた。

この間豚汁持っていったから、汁物はシチューかな。
牛肉もあったから、マリネにしようかな。
日持ちのするきんぴらも作っていこうかな
次行くときはおでんかな…

朝から色々思いをを巡らせている。

育てたように、子は育つ。

親の嫌なところ…母のヒステリーとか、父の癇癪とか
そういうのもばっちり受け継いでしまってて
直したいな、、負の連鎖を断ち切りたいなと思う日々でもある。
最近娘二人の言動が私に似すぎててやばい。

でも
初めての就職で地方に行っていきなり一人暮らし。
連休がない仕事で、実家に帰ることもできず
心身を病んでしまってよく泣きながら電話していた。
母が、地方のレオパレスに来て
狭いキッチンでたくさんおかずを作って
2泊くらい家にいてくれたこと。
いつも作ってくれたにんじんのサラダは
私のレパートリーになっている。

これは作りすぎた時

病気してからも、子どもの体調が悪くて
私が参っていると
家でたくさんおかずを作って届けてくれた。
とにかく、困ったときも、楽しい時も
たくさんのごはんを作って持ってきてくれた。

次は私の番だなって
自然と、何作って持っていこうかなって考えてる。

生きている間に整理を全部済ませて
お墓も建てて、実家の修繕もして
弟がひとりになっても住める・手放す時にも少しでも価値が残るようにして
物も極限まで処分していた。
先日の一時退院では、ふらふらなのに私も呼ばれて
パンやお菓子を焼く道具、靴やバッグ、アクセサリー
いろんなものを譲り受けた。
(使えないものもあるけど、片付けてくれるのがありがたいからそこは黙ってるw)
きっと、父が亡くなっても私たちが困らないところまで
母は、できるところまでのことをしてくれていると思う。

裕福な家庭ではなかったけれど、大学まで奨学金を借りることなく出してくれた。大学は公立だったけど、遠かったので、交通費が月3万円くらいかかっていた。

私は全然しっかりしてないけど
自分の子にも、そうしてあげたいと思っている。
すごく助かったから。

ただ、その価値観を持っている反面
そうしない人のことが気になってしまったりもする。

夫の実家はけっこう正反対で
夫は、借りなくてもいい奨学金を2本借りてて
今でもうちの家計から返し続けてるし
実家がマジで汚い。オブラートに包めないくらい汚い。
物が溢れすぎていて、家の中に獣道がある。
あの家の家じまいのことを考えると、、気が遠くなる。

それを「こっちは頑張ってるのになんで!」
と時々思ってしまうのもまた、
私が培ってしまった思考回路だなあと思う。

夫の両親は、自由で無理をしない分おおらかで、人がどうしたとかこうしたとか批判することがない。
無理をしないけど、うちの両親より仕事がどんなに大変でも、文句も言わず淡々と続けられる根性も体力もすごい。
お義母さんは料理をあまりしない人なので
「そっちのお母さんが美味しい手料理作ってくれるから、
私たちは孫をいっぱい外食に連れて行くわ!」
と言ってくれる。孫も大喜びだ。
人にはっきり物を言うことができる。(特に男性陣)
母に意見できない私からしたら
夫のお母さんへの扱いは震えるんだけど
あれが、親に気を遣わなくていい健全な育ち方なのかも、とも思う。

だから、どっちもいいのだ。
親が育てたように、子は育つ。
育ってきた環境が違う(byまさよし)2人が、またぶつかったり
話し合ったりしながら、家族を作る。

そんなことを最近思う。

疲れるとつい、自分の価値観で物事を見てしまうから、覚え書きでした。

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