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お母さんへ

12月19日
お母さんが息をしなくなってから、2週間と数日が経ったね。

長いような短いような不思議な感じなんだ。
お葬式のお花を飾ってから、お花は2回替えた。
友達が家にお香典やお花を届けてくれたよ。
昨日はイオンで、仏花じゃない普通の花束をふたつ買った。
花を自分のために買ったことがないから
不思議な感じだよ。
花っていいね。
今年は庭に花をいろいろ植えてみようかと思ったよ。

我が家には、お母さんをお参りするための祭壇がまだなくて
ずっとキッチンに写真とお花を仮置きしてる。
そこを通るたびに思うんだ

「なんでいないの?」
「なんでもう声が聞けないの?」

って。

寂しいとか悲しいっていうより、ずっと
「なんで?」
っていう気持ちなんだよね。

私はすっかり日常生活に戻ってる。
お母さんが亡くなった話も泣かないで、むしろ笑ってできるし
年末には仕事も再開した。
意外と、普通にできるんだよ。

むしろ元気と言ってもいいかもしれない。
この2年半、心におもりをつけているように
頭や心、体力をお母さんの心配に向けていたんだってことにも気づいた。

時間がたくさんあるような気がするんだ。
寝ている間に電話がかかってくるかもしれない
私が仕事や遊びに夢中になっている間に
お母さんが苦しんでいるかもしれないっていつも思ってた。
生きている時から、夜にはお母さんが死んじゃう夢を何回も見た。
この半年は、ちゃんと寝ても全身が痛くて…
そういえばここ数日、体の痛みがないんだよ。

あれが何年も続いたらきっときつかった。
現実を見てホッとしたこともあった。

でも、普通にできているのはホッとしたからじゃない
まだぐちゃぐちゃな心を
お母さんがいないっていうことを
触れないように、考えないように過ごしているからなんだ。
触れたら最後、仕事にならないくらい泣けちゃうからさ。

noteを書くために、亡くなった時のことやお葬式のことを
思い出そうとしても、まだ辛くて
書いてくれた手紙は一生の宝物だけど
火葬が終わった後一人で読んでわんわん泣いたあとは
一回も開けない。

悔いがないって書いてあるのに、みんなで言い合ったのに
手紙には
「紗央里が家族と一緒に成長していく姿をもっと見たかったなぁ、孫ちゃんたちの成人式を見たかったなぁ」
と書いてあった。
そうだよね、って思った。
亡くなる人の気持ちは、怖さは、悲しさは、亡くなる人にしかわからない。

実家には、残された男二人のためにごはんをたくさん作って
定期的に届けにいって、一緒の時間をなるべく過ごしてる。
父は「お母さんがしてやってたな」と泣きながら
孫たちに、母がしてくれたことを思い出しながら
してくれている。
みんな、しっかりしたよ。ちゃんとやれてる。
みんながそれぞれ、なんとか立ってる。
なるべく泣かないように。心を立て直して、ゆっくり慣れていけるように。

でもまだだめだな
すっかり普通の顔して元気に過ごせてるのに
こうして文章を打っていたら
いくらでも涙が出てきてしまう。

鎮静剤で眠ったままになる前にくれた
お母さんの最後の言葉。

「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」

最後にその言葉をもらえたのが、なんだかとても心強かった。

障がいのある弟がいる私は
お母さんに思いっきり甘えられることが少なかった。
「あんたは大丈夫でしょ」と言われて育った。
でも、一番最後にくれたその言葉で
全部溶けて楽になったような気がするんだ。

次女への手紙に

「一番ピカピカ光ってるふたつの星が、ばーばとルッキ(実家にいたワンコ)だよ。空を見上げてみてね!」

と書いてあったから、
私もいつも空を見るよ。

お母さん、ありがと。
また落ち着いたら書くね。


***
母が緩和に入った時から書き綴っていたnoteは、これで一区切りとして
また、普通のnoteを書いていこうと思います。
闘病中、亡くなった時、心を寄せてくださったたくさんの皆様
本当に本当にありがとうございました。
そのおかげで、元気に過ごすことができています。
辛い人の気持ちをわかってあげられる人に
私もなりたいです。

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