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「まだまだ伸び代しかないです!」 希子さん <インタビュー>

希子さん
幸せ力アップコーチ。
「I AM プロジェクト」(女性の活動を支援するワークショップ)を共同主宰。

「私が私であること」を応援したい

―現在、熱量高く取り組まれている‘I AM プロジェクト’について、いろいろ聞きたいです。
はい。
このプロジェクトは、「私が私であるために」をコンセプトにしているプロジェクトです。
「私」に主軸を置いていて、「私」というものを真ん中に置いて生きていこうというものなんです。
6ヶ月間を1タームとして、定期的にシェア会やワークショップを開催し、「自分」と向き合うことを大事にしてもらうものです。オリジナルのアファメーションノートがあるので、それにまずは「6ヶ月後の自分」を最初に設定するんです。で、まず1ヶ月後どうありたいか、そのためのスモールステップは何にするとかというのを書きこむんです。で、参加メンバーとシェアをしながら、進めていきます。
全国各地の参加者の方と、オンラインを使って開催しているんですが、今年の2月に始めて、現在2期目です。

「I AMプロジェクト」オリジナルのアファメーションノート

―希子さんは、そこではどういう役割を?
「I AM プロジェクトナビゲーター」です。もう1人、リアルでも友達のとらのまき先生こと、まきさんという方と進めています。まきさんは、個性心理学の講師などをやっている方で、プロジェクトを一緒に立ち上げました。

―どういう背景でスタートしたのでしょうか?
昨年の年末に、まきさんのYoutubeチャンネルに、私が参加したんですね。
で、その収録後、いろいろしゃべっている中で、「何か一緒に、伴走していくかたちで進めていくプロジェクトを立ち上げられたらいいね」って話になったんですね。
で、どういうコンセプトするかとかその日のうちに、「こんな感じかな」「じゃ、こういう形だね」ってパンパンパンって出てきて、いきなり具体化した感じで。
名前までその日のうちに決まって。

昨年末、とらのまきさんのYoutubeチャンネルに、希子さんがゲスト参加。
この日から全てが始まった。

―勢いがありますね。「やりたいね」がぎゅっと一気に凝縮した感じですね。それまでの希子さんの活動の延長上なのでしょうか。
自分がそれまでやってきた活動のベースとして考えていたのは、「女性がワクワクするような場所を作る」というものだったんです。だから、それぞれやりたいことがあるのなら、「その実現のためのお手伝いができたら」というのは、ずっと根本にはありましたね。
それを実現するために、いろいろな形でやってきていたんですが、今一つ、しっくりこないってことはあったんです。やってはいたけれども、なんかバチッとくるものがなくて。

「夢を形にする」の光と影

―では、今回のプロジェクトに至るまでに、トライアンドエラーがあったと。
ありましたありました。
ただ、いろいろやってきたことは、「やれる」という自信の積み上げにはなりましたが、ものすごい負荷がかかるんですよ。自分がふっと持ち上げたもの以上に、もっと持ち上げなきゃっていう。
まきさんはちゃんとエネルギーを出せる人で、私が力抜いた部分ではまきさんのほうで動いて回してくれるんです。一漕ぎしただけなのに倍速で進むみたいな。私がイメージするもの以上のものがあっという間に出来上がっています。
今はそれがすごく心地いいなって感じています。
それまでの「1人で全てやらなくちゃ」っていうのが大変すぎたんでしょうね。
もちろん自分がやったほうが早いとか、自分が思うように描けるっていうのがあるわけですが、まきさんは私にないものを持ってるし、バランスがよかったんだと思います。


「I AM プロジェクト」オンラインシェア会の様子

―「2人で同時に立ち上げる」も、それなりにリスクというか、ギャンブル的な感じはあるのかなと。
いえ、全然! 全然ギャンブルじゃないです。
このプロジェクトは、「リスクを抱えてでもやろう」「私たちの精一杯をかけよう」っていうのではなくて、「おもしろそうだからやろうよ」「いいねいいね、やろう」って感じの楽しむ感覚です。

―とはいえ、何らか覚悟がいる気はするのですが。
たぶん、私がこの2年(コロナ禍)ですごく変わったということもあるかもしれません。
これまでは、「自分がやりたいことを形にする」を目指し、さらに「それで生活もしていく」と、必死でやってきたんです。
でも、そうするとやっぱりなかなか苦しいんですよ。楽しむだけではいけなくなってくるんですよね。自分で形にしていく楽しさは最高に充実していたし、それなりにリスクも楽しんだけど、だけど、やはり大変で(笑)。
で、だんだん背負うものが大きくなってきて、さらにしっくりこない部分も出てきていて。
そういう最中にコロナ禍になったんです。

―どんなサロンだったのですか?
エステです。フェイシャルやボディとかすべていろいろやれるような。
当初は私1人でその場所を作ったんですが、「こういうのがあったらいいな」と思うもの、たとえばネイルとか、私はできないけど、そういうメニューがあったら、私自身が楽しめるよなって、自分なりにチョイスしていって、チームの体制を作っていったんです。サロンに来るとネイルもできたり、鍼もできたりっていうような。
あとは「こういうやりたいけど、なかなか形にできてない」って人がいたら、教えて、ちょっと違うメニューをやってもらうというスタッフ的な人を育てたり。そういうサロンへ、自分が思う理想の形へと仕上げていきました。立ち上げからカウントすると、5年ぐらい運営していました。

―5年経った頃に、コロナ禍に…
はい。コロナ禍に入る半年ぐらい前には、それまでアパートの一室でやっていたのを、別の場所に移転したところだったんです。
ずっと「カフェ付きサロン」をやりたかったんですが、その頃とてもいい物件に出会って。そんなに余裕があったからというのではなく、「やりたい」っていう気持ちと「それを形にする」というのが、自分の中ではとても大事でした。
だからリスクとかそういう重さは、逆に言ったら快感だったかもしれません(笑)。

―自宅の一角ではなく、というのはなかなか勇気がいりますよね。
。私の場合は、「考えるより行っちゃえ!」みたいなところもあって(笑)。
基本的には、ちゃんと10の状態を作ってから、というタイプだとは思うんですね。でも、このまま行っても10の状態まで整えられないと思った時に、「今やれることをまずやっていこう」って思ったんです。
それがだいたい40歳ぐらいの頃で、それまでぐーっと(積み上げてきて)、パチンコの引っ張ってたのが、パーンって弾けた感じで。
そうやって動いてきた8年間だったかなって思います。

一歩踏み出す。その’重さ’と ’軽さ’

―希子さんの背中を押したことは何だったのでしょうか?
「まず一歩動こう」って思った大きなきっかけがありました。
ママ友が、私より先に自宅サロンを開いたんですよ(笑)。全然そういう経験がない中で。
それを聞いて「何それ?」って、ガラガラって、私の中で崩れたんです。
私はずっと美容という世界でそれなりに経験はしてきたのに、彼女は違う世界にいて、どこかのスクールで学んできて、いきなり自宅サロンをオープンさせて。「ああ、彼女はやれる人、私はやれてない人なんだ」ってなって(笑)。
だからもっと(いい意味で)軽く考えていいんだ、軽く考えようって、そのきっかけにはなったと思います。

―もともと「自分でやりたい」という思いが強かった?
そうですね。「私だったらこうするのに」「私だったらこうしたいのに」が、常にありましたね。なんというか、自分の中で発動するものを外に出したいっていう感じです。
自分が経験してきたことを常に形にしていきたい、ここまでで吸収したものを、自分だったら組み合わせてどういう形にできるだろうか、っていうのをやりたくて。
いいとこどりが好きなんですよ、もともと。だから自分が思う「いいとこどり」をしてみたくて。40歳までは仕事やいろいろな経験を通して、ずっとパーツを集めてきたみたいなことなのかもしれません。
で、興味があるものに対しては、知識を得るばかりじゃなくて実際にその世界に踏み込んで、その世界を知ってみたいっていう好奇心もあるんです。イメージしたものがあると、とりあえずどんな感じかなっていう、ちょっとやってみるというスタイルでやってきました。いきなりはやらないです。どんなかたちになるかなぁって考えつつ。

希子’s セッションはマンツーマンで実施。


―メンターだったり、相談相手っていますか?
特にいないかな。
そういう意味では頑固かもしれないです。
’こういうもの’っていうのが自分の中にあったから。
家族にも特に言わなかったです。だから経済的にも自分の管理できる範囲で。

―じゃ、家のこととか穴もあけずに?
いや、穴はあけてます(笑)。
そういうのを自分でやることの楽しさを覚えていたから、家を素敵にしようとか、そういうところには目が向かなかった感じですね(笑)。
旦那さんは、「それやるんだったら家事をちゃんとしろ」って感じではなかったんですが、「まずはうちだろ」って思っていたかもしれない(笑)。もうちょっと家に重点を置いてくれたらって。家を素敵に飾るとか、ね。

―あの、私思うんですけど、「それ、女の人の仕事なの?」って。
そうそう。それもありますね。自分の中で「全部そこ、背負わなきゃいけないの?」って。

―「迷惑かけないように」ってやってたら、踏み出せなくなってしまいますよね。
ですよね。
一応、気は遣ってはいましたが。あんまりいろいろ言われると面倒くさいから、ある程度言わないでやってましたね(笑)。

コロナ禍が教えてくれたこと

―コロナ禍を経験したことは、希子さんにどんな変化をもたらしましたか?
コロナに入って半年ぐらい過ぎたあたりで第一次の緊急事態宣言が出て、その前からだんだん厳しくなってきていたんですよね。で、このまま家賃を払っていくのも難しいと思った時に、「とりあえず様子見るためにもいったん手放そう」と。まあ、強制終了みたいな感じではありました。で、場所もどことはいえないけど、場所を変えていずれやる予定ですっていう感じではいたんです。
でもその後、ちょっとずつ、期間が経つにつれて、(再開するのは)どうなんだろうっていう…。

―気持ちの中で落ちていった? それとも別のほうに目が向いた?
手放す時には、すごく残念でしたけど、でも逆に「(ここまで)やれた」という満足感があったのはあったんです。一応思い描いていたものをかたちにはできたという。
それに、「やれた」と「豊かになった」は必ずしもイコールではなくて。だから強制終了は前向きに捉えようと思って。負けじゃない、撤退じゃない、と。だから手放すことが軽さになったという感じでした。
ただ、今までは思い描いたものに向かってパワフルにやれたけど、今度は目指すものがなくなっちゃったんですね。
何をやりたいのかがわからなくなって、流されたんです。「とりあえずいいや」って。
そうしたら、今まで触れなかったようなこと、無駄なことをいっぱいやれたんですよ(笑)。
たとえばYoutubeを見るとか、ダラダラ過ごすとか(笑)。それまではSNSにしても仕事でつながるためにやるって感じでやってきたんだけど、意味はないけどやってみようかなっていうのができるようになりました。

―それはよかったこと?
そうですそうです。今までは意味がない、無駄と思っていたものに触れられたから、自分の世界というか、つながりが広がったかも。 
そして、今までは「好きなこと、自分のやりたいことで(経済も)回さなきゃ」って思っていたのが、「結果やりたいことはつながっているから、どこからの収入でもいいや」っていうのが芽生えたんです。「あ、そういうことでいいんだ」って、腑に落ちたんです。
これは大きいです。それに今、そういう(複数のプロジェクト、仕事で動いている)人は増えたし、それでいいという感じでもありますよね。

「I AM ○○」

―ただ、いろなことをやってると、自己紹介に迷うってこともありますよね。
そこなんです。
「I AMプロジェクト」は、肩書きと言われたら「I AM 希子」っていうのが一番理想だよねっていう話はしていて。

結局、全部自分のMAPとしてはつながっているんだから、仕事だけで括ってしまうのは難しい気がするんですね。
たとえば専業主婦の方だったりといった場合でも、何もやっていないわけじゃないですよね。PTAの役員とかやっていたりする方とかもいて、その経験ってすごいことだって思うんですよ。だから(職業上の)肩書きだけで見ようとすると、見えてこないものがあると感じています。
私も以前「エステサロンをやってます」と言うと、「エステティシャンなんですね」って言われるわけだけど、「うーん、それだけじゃないんだよなぁ」ってモヤッとしていて。
私で言うと、「フェイシャルできます」「バランスボールのインスタラクターできます」「数秘をやってます」とかいろいろあるんですけど、それらは全部ツールであって、色々な引き出しがあるってことだと思っていて。
大事なのは、その先に何がつながっているかってことだなって。

―その先に何がつながっているか。
はい。
以前は「女の人がワクワク楽しんでもらいたい、きれいになってもらいたい」をかなえるための引き出し、ツールを持っていたんです。
で、最近思っているのは、結局「幸せになりたい」ってところに、誰もが行き着くと思っていて、だから言葉や表現で「あ、幸せ」って感じられる力を上げていけるお手伝いがしたいと思っているんです。
それで、今、私は「幸せ力アップコーチ」っていう肩書きがしっくりきているんです。この言葉で、「私」というものを説明できている気がします。

―「I AM プロジェクト」では、どういう楽しさ・充実感を感じていますか?
その「場」自体がすごく心地よいっていうところでしょうか。
たとえば起業家さんとかが入っていたりする場合、お尻叩かれてとか、「いつまでにどうする?」みたいなことが多いと思うんですね。でも、私たちは、たとえば「スモールステップの設定」というものでいうと、「ワクワクすることを設定しよう」って感じなんです。
ワクワクすることじゃないと、熱量上がらないと思うんですね。
そういうふんわりした感じでみんなの話を聞くんですが、半年経った時の変化は確実に見えるんですね。
考え方が変わったとか、いい感じでバランスがとれるようになったとか。
その変化が見えた時に、「あ、やっぱり、このプロジェクトいいよね」って、そこが一番嬉しいことだし、私自身が楽しんでます。

―これからも続けていきたい感じでしょうか?
今のところは、継続してずっとやっていきたいです。あとは個人的に、自分が持っている何かしらで、個人的なメンタルのセッションとかはもっと増やしていきたいです。

―個人でセッションを?
私なりのツールを使って、一人一人に対してセッションすることで引き出されるものって絶対あると思うんです、自分だけで向き合うよりも。
一緒にとか、シェアするということでは引き出せなない部分を、もうちょっと個として向き合いたいなって。

みんな、伸び代しかない!

―希子さん自身、今も「やってみよう」の熱量は変わらない?
はい、変わりません。
動ける力が、体があるんだったら、やらないともったいないなって思ってます。
時間って有限じゃないですか。やりたいことをやるために時間ないじゃんって感覚があるんです。だから、「やれるならあれもこれもやっておこう」って、もう同時進行です(笑)。

―「やりたいことがあるけど踏み出せない」っていう人も多いですよね。
そうですね。
考え過ぎちゃわないほうがいいかなって。どうなるかなんてわかんないですよね、誰も。
「私なんか経験も腕もないし」って思ってる人が多いと思うんですけど、そんな覚悟必要ないって思います(笑)。
やりたいんだったら、もっと軽く、やってみたほうがいいです。
考えてるよりも何かしらやってみたら、案外いろんなことが見えて、すっと形になっていくのかなって思います。動いたほうが、はるかに先へ進めるし。
よく、「やれるのってすごいね」って言われるんですが、やってる側からすると、そこまですごいことやろうとしてるわけじゃないって感じだと思うんです。
それと、何か一つ学んだら、すぐに今できる形にはしていったほうがいいかなって思います。
一つ一つ、まずは形にってしていったら、何かしら積み上がっていくし。

―年代によっては、「もういい年だし…」って感覚も多いですよね。
私自身はまだ知らないこといっぱいあるし、「もうこの年だから」っていうのじゃなく行っちゃってます。
まだまだ伸び代あるって思ってます(笑)。
みんなも伸び代いっぱいあるはずなんです。本当に伸び代しかないです。
後悔はできるだけしたくないんです。
私はもともと大きいステップは絶対無理だなって思って、「0.1歩ずつでもいいから進もう」って思ったんです。0.1歩でも振り返ったらこれだけやってきたって思えるし。
0.1歩も「進む」に含めていいのかわかんないけど(笑)。

<終わり>

取材・構成・編集・文字起こし:Jidak
画像提供: 希子さん


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