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福祉は荒地か不毛か荒野になるか?

民生委員/児童委員向け機関紙に某若草何某が若年女性や困窮自生救済に期待しますみたいな事をコラムで寄稿していましたが一年位前まではその同じ方々が行政は役に立たないとか、民生委員や児童委員や児相は助けないなど散々言ってくださってませんでした?と言う状況だったりしますけれどね?

実際、行政も業務は何もしないから民間に金を寄越せ!と言う事を平然と言い普通は民間団体でも行政に出したら認められない様な報告書や決算を出してる上に、指摘されたら助けてるからいーんだーの大合唱。
あんたらが今更期待するとか言ったところでその救済人数は民生委員や児童委員、主任児童委員が年間数万の活動費で行う活動より少ねえじゃん!なんちゃら予算と言って数千マンだ数億だ数兆だと言って引っ張っていく予算に比べたら持ち出しで活動してる分、偉そうな事を言えた義理じゃねえだろう?期待するならお前らが持っていく分を減らしてでも公的事業に回せ!ってなる様なウエメセかつエリート意識ってなる状況です。


実際、民間に回る予算って数十年変わらずお役所や省庁、政治家や役人や官僚とくっついたいわば癒着と利権によって分配されてると言っても良い状況です。
今だって特定の団体や組織を優遇しそれをモデルにと画一化して利益が来るようにしてると言っても過言じゃあない。

だけど福祉であれ共益、公益であれ公共に関わるものは千差万別個別の状況と事案によって対応しないといけないのは現場はわかってる事。
自分らの活動が正解だからって他の団体にも同じようにさせようとしたら取りこぼされる人達が出る訳ですよ。
実際、民生委員は高齢者を中心に児童を見守ってくださいと言われる時もあれば地域の中学生の状況に対応しないといけないなどがあります。
それを特定の団体をモデルとして対象もそのままにやってしまったら他が見捨てられるもしくは、手薄になる。

福祉事業を行う、救済を行う、支援を行うと言うことは究極多様性対応だと言う意識を欠落させてモデル事業とその団体と同じにと言うのは多様性の拒否に他ならないしそれを行うと言うことは他の人の権利、人権を守っていけなくなると言う現場を理解できてないことだと思うのです。

大きな組織化して自身の承認欲求だけで組織や福祉・支援を英雄視させようとしてないか?と組織や団体や法人の現場の人達は批判の目を持って働かないとゆくゆくはあらゆる福祉は機能せず消えていく、と言う状況になっている、自分たちの集団が福祉の破壊者だと言う危機感は大事だと思います。

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