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Gay y Blasco and Wardle『民族誌の読み方』の要点リスト

文化・社会人類学は民族誌(エスノグラフィー)をその学問的方法の中心に据えており、たとえば博士論文では、中長期の調査に基づく民族誌を書くことがたいていの場合求められます。しかしながら「民族誌を書く」ためには、それに先立って、少なくない数の他の「民族誌を読む」作業が必要です。また、民族誌を書くことは、学位論文で書くか、あるいはフィールドワーク演習のような授業を受ける過程でしか実質的には経験しないような作業ですので、世の中には「民族誌を書かない・書く予定がないけれども民族誌を読む人」がそれなりの数いるはずです(自分もこのうちの1人です)。にもかかわらず、世の中には民族誌の書き方・フィールドワークの調査方法についてまとまった文量で書かれたものがそれなりにあるのに比して、「民族誌の読み方」を指南する著作は寡少と言えます。

この記事で取り上げる Paloma Gay y BlascoとHuon Wardle著 "How to Read Ethnography(民族誌の読み方)" (初版2006、第2版2019年)はそんなギャップの解消に質的に大きく貢献する教科書かもしれません。手にとって読んでみた私は、「民族誌ってなんじゃいな」「どう読むんや」という疑問を少なからず解消する(解消した気になる)ことができました。

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民族誌は学術的なお作法に則った論文なりの形式に基づく文章であり、読むのに多少のコツが必要です。民族誌を読む際に「旅行エッセイ」と似たような味わいを覚える瞬間も少なからずありますが、「暗黙の了解」「分野の独特のしきたり」などもあり、特にこの分野に不慣れな人にとって「なぜこのような書き方をするのかわからない」という局面が多々あります。

「民族誌についての民族誌」を標榜する本書「民族誌の読み方』には、「民族誌とはどういうテキストなのかの説明」「民族誌を読む際に気をつけるべき点の解説」が書かれています。そして本書の特に良いポイントのひとつに、民族誌の書き手がしばしば自発的には言明しないこと、あるいは隠そうとしていることはどういった類のものかを書いている点があり、つまり明け透けに言えば、本書を読めば「民族誌を読むときに騙されない方法」を多かれ少なかれ学ぶことができます。また同時に本書では読み方だけではなく、「書くときによく使われるテクニック・レトリック」を学ぶこともできるので、「民族誌を書く人」にもきっと益するものでしょう。

本論8章から成る本書では、民族誌の実際の文章を多数引き合いに出しながら、章ごとのテーマが掘り下げられます。また章末には「アクティビティ」として、民族誌の一部を実際に読んで、いくつかの問いを考えてみようというコーナーがあります。

章はいずれも3-4つの節で構成されていますが、節ごとに3点の「まとめ」が掲載されています。以下は本書第2版の「まとめ」を訳したものです。民族誌を読み慣れている方にとっても、「意識したことはなかったが、改めて言われると確かにそうかもな」という点がいくつかあるかもしれません。
※節ごとの最初の「まとめ」は章ごとのイントロに対してのもので見出しがついていません。


第1章 比較

1. 民族誌を書くことは、翻訳行為、ひいては比較を行うことであり、民族誌家は複数のコンテキストやアリーナ(場・界)を媒介し、翻訳します。
2.民族誌の書き手は皆、自分自身、あるいは自分の属する社会・文化的環境についての知識を、他者を理解し表象するための起点として用います。
3.民族誌のテキストにおいて、経験的で具体的なものに基づく比較を見つけることがあるでしょうし、抽象的な表象やモデルに基づいた比較に出くわすこともあるでしょう。

比較を特定する
1.民族誌家は皆、他の集団についての知識を念頭に置きつつ、研究対象となる人々にアプローチしています。
2.比較は常に民族誌のテキストを形成しますが、それはしばしば明示的であったり目に見えたりはせず、暗に示されているようなこともあります。
3.民族誌の著作は、多くの参加者との間で行われる会話に似ています。


比較の役割と目的
1.比較は、テキストの中で様々な役割を果たします。
2.一般化を助けることと、違いを強調することが、比較のよくある使い方です。これは、ひとつの地理的な範囲内に留まる、あるいは範囲外に移動する(=複数の地域の間で比較する)、いずれの場合でも行うことができます。
3.テキスト内で比較がいかなる役割を果たしているかを理解することにより、当のテキストにおける著者の狙いについて多くのことを知ることができます。


比較と民族誌的概念の創出
1.民族誌的概念は、民族誌的な比較の成果を形式化したもので、大抵の場合は特定の民族誌的地域と密接に結びついています。
2.民族誌的概念は、新たな民族誌的地域・場面に適用されると、新たな比較のための基盤・基準となります。
3.民族誌的概念は、人類学的な知識を安定させ、新しい素材や考えが人類学的な議論に参入できるようにすることに役立ちます。


第2章 文脈の中の人々


1.民族誌は、特定の文化的な詳細事項(ディテール)を包含する文化的文脈・背景を提示することに重きを置いています。
2.民族誌は、私たちの世界とは異なる経験的な世界への入口となるため、ある種の判断の保留を伴います。
3.民族誌における詳細事項は、部分と全体の間を「行たり来たりする」解釈の運動、つまり全体的なアプローチにおいて重要になります。


解釈と説明の基盤としての差異化
1.民族誌の世界の精緻化には、差異化のプロセスが含まれます。それには例えば、民族誌家によって特徴的な役割や鍵となる概念が対比されることなどがあります。
2.コンテクストを構成する社会的立場や概念を前景化することで、読者はその状況において機能している特定の種類の社会的能力や主体性を理解することができます。
3.民族誌の場面の特定の特徴を区別し、対比させることで、解釈や説明のための基本的な要素が得られます。


個人と集団:民族誌の生活世界における統合のレベル
1.民族誌は、役割や行動が独特の形をとるような社会活動の流れ(フロー)を示すことで、特定の生活に対してさらなる文脈的な意味合いを与えます。
2.民族誌家は、社会的パターンの一部がどのように差異化されているかだけでなく、それらがどのようにして動的に相互接続されているかを示そうとします。
3.社会環境の中で行動する人々の能力が、問うている社会環境の動的な構造にどのように応答しているかを示すことも、民族誌の目的です。

多様性 vs 統合
1.人間の生の経験の多様性は、民族誌の文脈化と統合に対して異議を提起します。
2.統合と多様性は、特定の民族誌的な問いに取り組む試みの中で、必然的にバランスをとることになります。
3.多様性という考えは、文脈化と解釈についてのすでに受け入れられているスタイルに対抗することを狙って民族誌の中で展開することができ、それによって議論のための基礎を築くことができます。


第3章 関係性と意味

1.民族誌では、中心的な役割や社会的能力の関係性を明らかにすることが目指されています。
2.特定の関係性を強調することで、より広範なパターンを示すことができます。
3.関係性をより大きなパターンの基礎として抽象化し強調することで、民族誌家は独特の社会環境の地図を描き出し、モデル化しようとします。


重要なメタファーに沿って、関係性のイメージを構築する
1.民族誌家は、特定の社会関係に意味を与える重要なメタファーを把握しようとします。
2.関係性と主要なメタファーを組み合わせながら分析することで、民族誌家は現地の人々の生活に特有の「関係性についての論理」に対する感覚を築き上げます。
3.関係性のパターンを手続き的な論理に一致させることで、読者である私たちは、社会的現実の不可解な次元を知覚し、理解することができるようになります。


関係性の論理を示すことにより、比較の根拠を打ち立てる
1.民族誌的知識を確立するためには、分析の場、モード、レベルを区別することが重要です。
2.例えば、関係性の論理や、文化的なメタファーや世界観、あるいは再帰的な次元に焦点を当ててみるというように、異なる場を分析対象とすることで、特定の種類の民族誌的知識を生むことができます。
3.民族誌家の洞察力は、フィールドで新たな種類の関係性に継続的に入ることによって得られます。これらの関係に対する理解が深まるにつれ、様々な種類やレベルのローカルな知識についても新たな洞察を得ることができます。このようにして、研究しているフィールドの中で新たな対比や比較が開かれていくのです。



第4章 直観(著者の一人称的・直接的な経験)を語る

1.民族誌的著作は、親しみやすさと親しみにくさの間の緊張関係、つまり、人々や出来事の特徴を示すことと、読者にとって意味がわかる言葉に翻訳することの間にある緊張感を維持しなければいけません。
2.民族誌の文章の中には、直観についての語りが遍在しており、それには様々な文体の工夫や戦略が盛り込まれていますが、常に日常生活の取るに足らない物事が強調されています。
3.直観についての語りは、著者の人類学との関わりあいの中から生まれ、その関係の中で「媒介」されます。語りはまた、経験、記憶、議論の間を媒介します。


一回性と再帰性
1.登場人物に依存し一回的な直観についての語りは、著者性(オーサーシップ)と人類学的知識の文脈依存的な性質を強調します。
2.一方、再帰的でありふれた語りは、著者性を軽視し、人類学的知識が時を越えて存在するかのように提示する傾向があります。
3.これらは認識論的には全く異なる前提に立っていますが、民族誌の中ではどちらのスタイルも共存しています。

直観の語りと人類学的議論の構築
1.直観についての語りは、人類学的な議論における建築材として機能します。
2.民族誌において、記述と解釈・分析を切り分けることはできません。
3.読者の想像力や感情を触発するような語りは、著者の主張を押し進めるのに役立ちます。


第5章 議論としての民族誌

1.テキストとしての民族誌と、民族誌における経験は異なります。
2.民族誌は、記述や個人的な解釈によるいち著作といったものを超えて、フィールドワークによる証拠を用いて、何らかの概念に関する主張を読者に納得させようとする、いわば協奏的な試みなのです。
3.民族誌とは議論であり主張です。民族誌を読むことを学ぶということは、人類学的な議論の文脈の中で、民族誌の主張と証拠(エビデンス)の様式がどのように構築されるかを理解することです。

モデルと現実 再考
1.議論を提示し、人類学的な議論に貢献することの必要性に駆られて、経験が民族誌的な知識に変換される方法は輪郭を与えられます。
2.民族誌的な議論は、モデルや図式に依拠することで、複雑な証拠に関する、より単純化された主張を提示します。
3.民族誌的なモデルは結果として、社会的現実の「さもありなん」という図式を作成することになります。

証拠と議論の共同形成
1.いろいろな種類の証拠といろいろな様式による議論は、読者に社会的文脈の理解をうながす過程において、一緒に働きます。
2.民族誌家は、よく知られた概念や専門用語を使って、読者の注意を証拠の特定の点に向けようとします。
3.議論の中で組織化されているモデルの組み合わせは、フィールドワークの経験についての詳細な説明を一通り読んでも得られないような、入り組んだ洞察をもたらします。

民族誌の議論は関係的である
1.民族誌は、他の民族誌家たちの著作を意識しながら組織化された証拠と議論からなる作品として、つまりは関係的なものとして理解する必要があります。
2.共有されている民族誌的概念は、民族誌家とその証拠や議論との間の橋渡しをします。
3.研究者間の議論の過程で、ある概念のその基本的な意味がしばしば変化します。例えば、急進的な価値を持つものから保守的な価値を持つものになるかもしれません。


第6章 著者と権威

1.民族誌的な著作はすべて、対話的あるいは関係的であり、また同時に、個人的で権威的な著者性(オーサーシップ)を中心に展開されています。
2.この著者性は、フィールドやアカデミーでの関係性の中から生まれます。
3.民族誌では、テキストに対する著者の働きかけやコントロールは曖昧にされており、隠されたり、表に出されたり、主張されたり、否認されたりします。

フィールドワークの物語
1.フィールドワークの物語は、民族誌家自身を、社会化や文化化のプロセスを経つつある子どもとして提示することで、民族誌家の主体性を曖昧にします。
2.フィールドワークの物語では、主体性と知識がインフォーマントと民族誌家の間を行き交います。
3.フィールドワークについての語りは、正当化と正統化(justification and legitimation)という、ディシプリン全体にわたる仕事を果たします。


主張と作者の声の構築
1.個々の人類学者は、知識/無知、内部/外部、客観/主観といったカテゴリーを操作することで、特色ある著者としての自分自身の立場を作り出します。
2.すべての民族誌家は、他者を表象するための権威を求め必要とします。
3.執筆の際の根拠づけにおいて主観的な姿勢を強調する作家であっても、権威的なペルソナを自ら構築しています。


第7章 スタンスを取る:世界を変えるための理論たち

1.ひとつの民族誌のテキストは、フィールドワークだけでなく、民族誌家の認識している、より広い世界に対応しています。
2.民族誌は、現代の関心事を念頭に置いて書かれていますが、同時に、民族誌家が見ている範囲内での人類学的な思考の歴史にも注意を払っています。
3.民族誌の書き手は、ある瞬間に切なる重要性があると自身が信じている理論や関心事を通して民族誌の素材にアプローチするよう、読者を説得しようとします。

人類学的理論の風景の変遷
1.人類学的な理論は、人間の経験のある側面を、一連の核となる原理原則や概念を通して説明する、知のツールです。
2.人類学の理論は、諸理論、流派、包括的な研究パラダイムが直線的に進歩するものとして概念化されがちです。
3.しかし実際には、人類学的なアイデアの進行は直線的でも輪郭のはっきりしたものでもなく、民族誌家はしばしば異なる理論的枠組みの概念や仮説を混ぜ合わせています。


民族誌の理論化における「代表的潮流」について
1.人類学者自身が、読者に方向性を示すための第一歩として、流派や理論的な代表例を引き合いに出しながら、自らの仕事を提示します。
2.民族誌における理論にまつわる目印は、時間の経過とともに明らかでなくなることがあり、読者としては、関連する知的なスタンスを理解するために、さらにいっそう解釈を深めていく必要があります。
3.理論の展開に関しての戦略が違うことによって、民族誌で確立されている知的人格の種類も別のものとなります。


フェミニスト人類学:社会的行為者としての、民族誌の書き手
1.すべての民族誌的著作は世界に対するなんらかのスタンスをとっていますが、フェミニストが書いたものは、人類学者の政治的なコミットメントによって人類学の理論がどれだけ明白に変容するかを示しています。
2.フェミニズムが様々な段階を経るにつれて、人類学に対する貢献のあり方も変化しました。
3.21世紀初頭の人類学的な探究は、フェミニズムとの関わりから生まれた洞察をその核としています。


第8章 インフォーマント、対談相手、研究協力者

1.民族誌の文章の大半は、学生や研究者といったアカデミックな人々に向けられたものです。
2.多くの場合、インフォーマントたちの生活や知識は分析すべきデータとして扱われ、人類学的知識の創造に対する彼らの貢献は軽視されています。
3.しかし人類学者には、こういった貢献を前面に押し出す書き方をしようとする人もいます。

包摂と排除を示す道標
1.民族誌家には、「フィールドの中」での個人的・知的な関係と、アカデミー界でのそれを分けて考える傾向があります。
2.民族誌のテキストは、修辞的な装置、概念、そして文体の慣習によって組み立てられ、それらが一体となり、特色を有することで、排他的な形態の知識を構成しています。
3.ある人々の生活について自分が作り上げた文章を、当の人々たちは読まないだろう、と期待している人類学者は少なくありません。


ファシリテーター兼編集者としての人類学者
1.民族誌的なライフストーリーの中では、人類学者の声や権威は後景に追いやられ、代わりに現地の人々の言葉や軌跡が中心的な登場人物となります。
2.ライフストーリーの編集者やファシリテーターとして、人類学者はテキストの内容や形式を大幅にコントロールし続けます。
3.ライフストーリーを読む際には、人類学者と現地の協力者の間で作動している力学を、テキストがどのように明らかにし、また隠しているのかに対して、注意を払うことが重要です。

ポリフォニー、共同解釈、互恵的な民族誌
1.現地の人々と協力して民族誌を書く人は、自分の研究成果をその人たちに見せ、意見や批評を求め、共同解釈を行います。
2.協働的な民族誌は、人類学的知識の創造の根底に常にある、民族誌家と協力者の間の対話、議論、さらには意見の相違といったプロセスを読者に伝えようとするものです。
3.また、民族誌家の声と一緒に現地の協力者の声を紹介することで、特定の現象を理解し生きる仕方がいかに多様なのかを強調することができます。

幅広い協力関係
1.人類学者は、現地の協力者と協力して、民族誌と他の調査方法を混ぜ合わせた、わかりやすい・活用可能なテキストを作成することがあります。
2.通常の民族誌とは異なり、これらのテキストは地域の問題に直接取り組み、何らかの社会的変化をもたらすことを目的としているため、学術的な課題が中心とはなりません。
3.これらの共同的・協働的なテキストは、様々な形をとります。本書で取り上げた民族誌の形式に似ているものもあれば、そうでないものもあります。