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不登校ですか

また、不登校の子供が増えているんですよね。
コロナ禍は「学習」と「教育」について考える機会だったのかもしれません。

もっと言えば「何のために学校はあるの?」という子どもたちの問いかもしれませんね。

学習できる場は学校だけではないと気付いてしまったら「教育」と「教科学習」が異次元のものだと思う人もでてきますよね。

教員は「授業で勝負する」と叫んでいた昭和の教師はその姿を消していくのに、「知識を対面で修得しなければならない」という「対面至上主義」の考え方が、「複雑な人間関係の維持」に飽きた子どもたちの気持ちと乖離していくなら、ちょっと怖い話ですよね。

問題を解決するベクトルが「子どもたちが置かれている状況」ではなく「子どもたちの持つ個別の資質」にだけ向いているというのは、あまりいいことではないように思います。

個別の資質のについては僕たちが担任をしていた頃には「不定愁訴」といわれていたケースがあるよ。

今では起立性調節障害とかいうお医者さんもいるらしいけど、休みがちになるという「登校しぶり」の状態は、その子の持っている「課題」かもしれないし、周りの子がその子を支え切れていないという「クラスの課題」かもしれないし、担任は家族と連携を持ちながら、その両方にアプローチするしかないといわれていましたよ。

そのアプローチの中で、その子の心が開き本当の「ストレス要因」が何かが担任に伝わったとき、その子はクラスに溶け込むんじゃないかという心理学的なアプローチが主流だったように思いますが、クラスに溶け込みたくない子どもの不登校には、そうしたアプローチは時代遅れの対応かもしれないよね。

経験からだけど、不登校が長期化するときは急に休んで、そのままずっとってことが多いように思う。学校や仲間に本人が「見切り」をつけてしまうまでわからないでいて、休んでしまうわけだからそうなるんじゃないかな。

徐々に休みがちになるっていう状態は、むしろサインを出しているっていうことだから、いろいろな古典的な働きかけやアプローチをきちんとすれば意外と早く、改善できることもあると思うんだけどな。

何にせよ、どうしよう、大変なことが起こってしまった的な心象を担任が持つことや、誰も助けてくれないという孤立感を担任が持つことの方が、子どもを不安にするように思うよ。

担任の先生に任せておけば 「ストレス要因」をなんとかしてくれるみたいな感覚を持たせることができるかが大事だね。安心感かな。

ぐぁんばれ、あなたは 子どもたちの「ストレス要因」バスターなのだ。などと叫ぶ気はないけど、この生きづらい世の中で、受け持った子どもたちに「安心感」を与えるにはどうしたらいいかを考えてみるのもいいかも。


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