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怪談・東村山

バスの車内で、僕はまだ迷っていました。
途中下車しようか、それともこのまま乗って駅まで帰ろうか?
降りたらバス代がよけいにかかるだけだぞ、それでいいのか?
でも、どうしても降りたい、そして新たな扉を開きたい......

*****

勤めていた会社をやめて、僕は転職活動を続けていました。

転職という選択肢以外にも、翻訳の仕事にもつきたくて、当時は週1で翻訳学校にも通っていました。そうやって二兎を追っていると、当然かもしれませんがどちらもあまり上手くいかず、だらだらと時間だけが過ぎていったんですよね。

そうなると、やがてハローワークからの失業手当も切れてしまって、「無収入」の恐怖が訪れます。

「なんとかしないと」とわらをもつかむ気持ちで家庭教師派遣会社に登録したんですが、運良く僕が昔取得していたファイナンシャルプランナーという資格取得の家庭教師の仕事にありつけたんです。

といっても、月2回ほどの仕事ですので、収入はたかが知れていたんですけどね。

で、その生徒さんの家が東村山にあったので、僕は住んでいる多摩ニュータウンのはずれから東村山の生徒さんの家へと通うことになったんです。

多摩ニュータウンからの電車の経路は、おかしなことに横浜へいくにも東村山へいくにも必ず稲田堤を経由しなければなりません。しかもこの稲田堤は、京王電鉄の駅とJRの駅の乗り換えがやたら遠くて、しかも連絡通路じゃなくて普通の車が通る道を通っていくんですよね。

「なんでこんなに不便なんだ」と思いながら、僕はそのほこり混じりの道を通って生徒さんの家へ通っていました。

その生徒さんは、僕より少し年下と思われる女性でした。でも当時無職の僕とは違い、キチンと会社に勤めていました。しかも一軒家に居住。

ところが、不思議なことに他の家族の方の姿が全く見えないんです。ご主人も、子供もいません。もちろん親御さんも。

「まさか、こんな大きな一軒家に一人暮らし?」と不審に思っていました。考えてみれば、大きな家に他人の男女一名だけがいるというのは、危ないシチュエーションですよね。でも残念ながら、というべきか、その生徒さんはそういう色気的なものは全くなかったので、僕も平静を保って応対していました。

ファイナンシャルプランナーにはいくつか段階があり、その生徒さんはFP2級に合格していて、このあと提案書を書いてAFPを取得しようとしていました。

僕はこの提案書の作成の指導、というところからはいったんですけれども、最初の頃は生徒さんにも時間の余裕があって指導も上手くいって無事AFPを取得できたんです。

そのあと、CFP取得の勉強に移ったんですが、このあたりから生徒さんの仕事が忙しくなって指導の時間が取れなくなってきたんですよね。

こうなると、僕もあまりやる気がなくなってきて、行くのがいやになりました。

そんなとき、帰りのバスの中で、「黒やきそば」という看板を見かけたんです。何、黒焼きそば?

どうやら、東村山では黒焼きそばという食べ物が名物になっているようです。そんなことは、実際に来るまで全く知りませんでした。

指導には興味を失ってしまったんですが、それに代わって黒焼きそばに興味を持つようになりました。ちょっと食べてみたいな。

でも、その店に入るためにはバスを途中下車しなければなりません。そうすると、バス代が余計にかかってしまいます。「もったいない」という気持ちになって、僕は何度か迷いつつも結局店にいかないことを繰り返しました。

でも、そうやってバスの中で逡巡を繰り返したあげく、僕はついに意を決して黒焼きそばの店に行くことにしました。

バスを降りると、黒焼きそばの店は中華料理店でした。「焼きそばは中華料理か?」と疑問に思いましたが、加えて隣には大きな中華料理チェーン店が建っています。

「なるほど、黒焼きそばで差別化を計っているんだな」と何となく納得して、店内に入っていきました。

中は、普通の中華料理の店よりも少し広いような気がしました。少し内装が古い気もしましたが、今の僕にはそんなことはどうでもいいです。メニューを開いて料理を選ぶふりをして、黒焼きそばを注文しました。

少し落ち着いて店内を見ると、中に一人ギャルが働いていました。ギャルといってもいわゆるヤンキー系ではなく、なんとなくアニメ系、秋葉原系のようです。ただ、髪の毛は明るい色に染めていて、服装も派手です。僕はあまりじっくり観察するのもはばかられる気がして、できるだけ目をそらしていました。

でも、そうした見知らぬ店の中に若いギャルが働いているのはいいものです。「こんな田舎でもああいう娘が働いているんだな」とその子に好感を持ちながら料理がくるのを待っていました。

やがて、「お待たせしました」の声がしたので、振り向くとそのギャルが僕に黒やきそばを運んできてくれたので、ぼくは好意を持ってそのギャルの顔を見ました。

ババアだーーーーーーっ!

ギャルだと思ったその店員は、しわだらけの顔にケバいメイクをした、ババアだったーっ!

年の頃なら50代、60代、いや70代かもしれません。

そんなババアがなぜか髪を金髪に染め、ツインテールの髪型で、派手な原色のミニワンピを着ていたんです!

僕は腰が抜けるほど驚きましたが、失礼なのでうつむいて顔を見ないようにして黒焼きそばを受け取りました。

それから後のことはよく覚えていません。気付いたら電車に乗っていました。

*****

その後、生徒さんは繁忙のため家庭教師をキャンセルし、僕はそれ以降東村山に行くことはありませんでした。でも、あの妖怪のようなギャルババアはなんだったんでしょうか?今でも、現実の出来事とは思えません。