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教育問題:二系統の教育制度設定について

現在の教育問題を解決するために、「二系統の教育制度設定」を提唱したい。具体的には、スキゾ系とパラノ系の教育制度を同時並行的に用意して、学習者は自由に乗り換えられる、というものだ。

これは、自分自身の教育経験がヒントになっている。幼稚園はあまり意識がなかったが、小学校~高校まで、私は学校に通うのが苦痛だった。

まず、毎日決まった時間に登校するのがいやだ。それから毎日毎日、椅子に座ってつまらない授業を受けなければならない。小学校なら、昼にはまずい給食をみんなで食べされられる。授業が終われば、一斉に掃除だ。これを強制されるのが耐えられなかった。

一方、予備校や大学時代は天国だった。授業は自由に選べ、面倒くさければサボれる。昼は学食で食べてもいいし、外で食べてもいい。掃除も強制されない。大学卒業まで、この自由を満喫していた。

ところが、大学時代に中退していく同級生を何人か見かけた。また、まったく登校してこない学生もいた。大学が楽しくて、あげくのはてにこうして中年になってまで大学に通っている私には考えられない。

ただし、これは個人の向き、不向きではないかと考えられる。人によっては小学校~高校までの教育制度が合っている場合もあれば、私のように予備校~大学の教育制度が合っている人間もいるだろう。

小学校~高校までを、みんなで一緒にきまったことをやっていく農耕民的なパラノ系の教育制度とする。一方、予備校~大学を個人が学びたいことや活動を自由に選択できる遊牧民的なスキゾ系の教育制度とする。

このスキゾとパラノの両者を、小学校から大学院まで同時並行的に同等な制度として設定すれば、教育問題はおそらく多くの部分が解決するだろう。

例としては、現在のパラノ的な小学校になじめない子供は、スキゾ小学校へ通う、あるいはスキゾ的な大学で授業に出たくない学生は、パラノ大学へ進学するといったことが考えられる。

実際、フリースクールなどはスキゾ的だろう。また、「大学は理系だけでいい」などと言っている人は、おそらくパラノ大学を望んでいるのだろう。

教育問題では、「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」の制度づくりが、コスパが悪くみえても結局は問題発生の抑止につながるのではないだろうか。