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金融小説「インシデント」 Vol.1

寺田町支店最終日

「我が寺田町支店から、大阪本店営業第一部に竹垣くんを送り出せることを支店長として誇りに思います。竹垣くんの次場所でのご活躍を祈念して、お手を拝借。ヨーーッ!」

パンッ!

五井UGG銀行寺田町支店長、石野のかけ声に合わせ、支店一同の40数名が一斉に一本締めをする。
ほぼ毎週誰かが転勤していく銀行のなかで、夕礼で誰かを送り出すことは日常的、且つ儀礼的な光景であり特別に珍しい光景ではないが、この日の寺田町支店は少しざわついていた。

「寺田町支店から営業本部への異動は初」。
日本国内に3つあるメガバンクの一角を占め、全国に数多営業拠点を抱える五井UGG銀行のなかでも、寺田町支店は規模が大きいわけでもなく、歴史が古いとも、名門とも言えない。

そんな寺田町支店から、この日後任に引き継ぎを終え、法人営業の最高峰とも言える大阪本店営業部に竹垣寿夫は異動することとなった。
支店で開かれた夕礼に集まった40数名の目線が一斉に、この日の主役である竹垣に注がれ、竹垣は高揚を隠せなかった。

「いよいよこれでここの支店も卒業か」と、これまでの寺田町支店で額に汗して過ごした思い出が竹垣の胸の中を去来した。

竹垣は寺田町支店在任中に輝かしい営業成績を残したばかりでなく、学生時代に体育会野球部でキャプテンを務めた面倒見の良い性格で、後輩たちから兄のように慕われ愛されており、支店の面々の中には竹垣の夕礼中、目に涙を浮かべるものもあった。

通常、副支店長が夕礼の司会をするのが寺田町支店の通例であるが、竹垣に対して特別思い入れが強い支店長の石野自らが、ほかの行員たちへの公平性を省みることもなく、竹垣を送別する夕礼の司会を買って出たのだった。

石野は支店長として寺田町に赴任してまだ1年そこそこにもかかわらず、営業拠点の長として「非常に優秀だ」との評判を銀行内で得始めていた。
毎期業績表彰では泣かず飛ばずの低空飛行であった寺田町支店が、石野の着任の翌期から突如として法人部門長表彰を取得するまでになっていたからだ。

その躍進のもとになる実績を作り出していた貢献者が、今回の異動の主役である寺田町支店法人営業第一課の竹垣だった。竹垣は寺田町支店の業績が低迷するなかでも一人気を吐き、つねに前向きで諦めることなく、3年半の在任期間中ずっと高い営業成績を上げ続けてきたのだ。

どれほど部下を出世街道の中央道に近い部署に送り込めるかで、部下連中からの求心力が大きく変わる銀行の支店長にとって、今回の竹垣の異動は石野への求心力を高めることに十分な結果をもたらした。

事実、竹垣の異動内示が出たあと、寺田町支店に配属された時点でなかば銀行員として出世の道を諦めていたほかの行員たちの目の奥に「自分も出世のレールに乗れるかもしれない」との期待の炎が灯るようになったことを、石野自身が感じている。

「竹垣さん、ご栄転おめでとうございます!明日からとても寂しくなります。」
「竹垣さんのおかげで私は営業職として成長できました、先輩のご活躍にいつも刺激を受けていました。」
「竹垣さんならきっと、本店営業部に行かれてもご活躍されると思います。」

後輩だけでなく、同じ課の先輩や、個人営業課の面々からも祝福の言葉が相次ぎ、竹垣本人としても寺田町支店でこれまで残した自らの輝かしい営業実績を思い、「やりきったな」との思いで胸がいっぱいになった。
「おれも晴れて本店営業部にいける。ようやくここまで来たか。」と、竹垣は銀行に入行することを決めてからこれまでの12年間を振り返った。


学生時代〜銀行入行

竹垣寿夫は、高校時代に野球部で活躍し春の選抜での優勝経験もあるいわゆる野球エリートであった。その後、選抜優勝の効果が後押しし、野球推薦で関西の中堅大学に入学した。

大学の体育会野球部で4年間を過ごし、3年生の時には主将も務めた。
大学卒業を間近にし、社会人野球からの声かけもあったが、これを振り切ってメガバンクである五井UGG銀行に入行し周囲を驚かせた。

大学の野球部監督をはじめ、親類縁者からは社会人野球への入団や、プロテスト受験などを薦める声もあったが、竹垣自身は周囲に言わないながら、小学校時代からキャッチャーとして体を酷使したことによって肩や腰へのダメージを抱えていた。
日々刻々と体の痛みと違和感が自身のプレーに影響を及ぼしていたため、大学三年の途中から騙し騙しプレーを続けていたことにチームメイトやコーチは気づいていなかった。

竹垣自身、プロに興味がなかったわけではなかったが、「このままの状態ではとても社会人やプロでは通用しない」と感じており、野球は大学限りと腹を括っていた。

何より竹垣は、肩や腰に不調をきたしてからというもの、これまで野球エリートであったことで得られていたあらゆる優越感が自分から剥がれ落ちていくのを感じ、このまま「何でもない自分」になってしまうことに恐怖を覚え、「野球しか知らない人間」になることが怖くて仕方がなかった。

思うように野球のプレーが出来なくなりはじめると同時に、野球しか自らのアイデンティティを支えてきたものがないという事実が徐々に竹垣の頭をもたげた。

大学三年になり、いよいよ進路を決めなければならなくなった頃、はじめて父親である保志に対し、正直に自らの身体の不調を告白し、進路を相談した。

竹垣の父である保志は、大手繊維商社の役員を務めるいわゆる昭和のモウレツ・サラリーマンであり、竹垣の晴れ舞台であった高校野球春の選抜大会の決勝の日も仕事を優先するような男であった。
家では常に寡黙で、週末も仕事での外出が多く、たまの休みの日にも自室で読書をするような父であり、家族でどこかにいったというような記憶や親しみやすいといった印象を竹垣は父に対して持っていなかった。

竹垣と竹垣の妹の美里の教育はもっぱら母である朋子が担っており、竹垣はこれまで父親に対し、自らの野球のことも、進路のことも、一度として相談したことが無かったのだ。しかし、竹垣は心のどこかで、東京にある旧三商大を卒業し、泣く子も黙る大手商社の役員にまで上り詰めた父を尊敬していたし、畏怖していた。

実家の茶の間で保志と対峙した寿夫は、自分でも驚いてしまうくらい素直かつ率直に、深い自らの心の内を保志に伝えた。自らの体のこと、野球のことだけでなく、自らが何者でもなくなることの恐怖、これから先どのように生きていくべきか初めて悩んでいることまでも包み隠さず吐露した。

寿夫が話している間、保志はじっと息子の目を見つめ、そして時折茶をすすりながら、息子の話を遮ることなく話に耳を傾け続けた。
寿夫が話し始めてからゆうに1時間は経っていた。寿夫が一通り話し終えると、保志はコトンと湯呑を茶の間のテーブルに置き、「そうか。」と一言言ったあと、少しの間を置いてゆっくりと話し始めた。

「自分が何者か分からないのであれば、まずは様々な世界に触れてみるのが良いだろう。広い社会と接することで己が何者かを理解することできる。金融の道を目指してはどうか?プロ野球選手ほどの稼ぎはなくとも、世の中のほかの職業と比べれば高給取りであるし、安定もしている。何より、カネの周りには本当に様々な人間が集まってくる。これらの人間を見ながら、自分が何者なのか、人間として自分がどこに分類されるのかを考えるなによりもの機会になるのではないか。それらを見ているうちに、もしかしたら何かやりたいことが見つかるかもしれない。その時にカネがなんたるかを知っている人間であれば潰しもきくだろう。お前のその人懐こくて面倒見の良い性格であれば、サラリーマンもきっと向いているだろう。」

これが、寿夫が父から受けた初めての助言らしい助言であった。

寿夫はこれまで、金融マンになるなど今まで夢にも思ったことはなかったが、保志の言葉は不思議とすんなり腹に落ちた。
いままで自分に全く興味を持っていないと思っていた父親が、自分のパーソナリティに言及してきたことが驚きでもあったし、いままで何も言わないながらに自分を見ていてくれたのかと思うと、初めて父と心が通じ合ったような感覚を覚え、何とも言えない安心感が心の中に広がっていくのを寿夫はかすかに感じ取っていた。

思い立ったが吉日、そこからの寿夫の行動は早かった。

翌日には早速大学の就職課を訪ね、就職活動で何をすべきかの調査を開始した。
竹垣にとって就職活動は全く苦にならなかった。
「野球部のシゴキに比べれば何ごともたいしたことはない。」
これがその後、営業として寿夫が活躍するに至る基礎的な哲学となった。

就職活動中は、野球部の練習のように水が飲めないなどということはなく、涼しい喫茶店で、学生の身分では注文を躊躇う値段のアイスコーヒーが飲めたため、寿夫にとっては何も苦にならなかった。

大学野球部のツテで、大手金融機関に勤めている先輩に片っ端から連絡をしてはOB訪問を繰り返し、見事に最大手のメガバンクである五井UGG銀行の内定を勝ち取るに至った。

銀行入行後は、配属店である十三支店、2つめの拠点で野田支店を回って、現在いる寺田町支店に配属となったのだった。

つづく

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