見出し画像

パワハラ・パンプキン・クラッシュ


私がメガバンクの銀行員として最初に配属されたのは、都心部にある老舗と呼ばれる支店だった。

どんなに良い大学を出ようと、銀行に入社した若者達は皆、最初の2年間で銀行という「あなた色」に徹底的に染められる。

その2年間の刑期を終えると、いわゆる「外回り」として法人課に配置されるのがならわしだった。

私もご多分に漏れずそのルートを辿り、外回りとしてのデビューが決まった。
それまで終日支店の中で奴隷のように働かされ、ゴミ捨てのときにしか外出の自由が無かった自分に解放の時がくる。

これでようやく人らしい生活を送れる、と安堵の溜息をつこうとしたのも束の間、それまでの生活が天国に思えるほどの地獄に転落する。

私が外回りデビューをしようとしていたまさにその時、私の上司にとんでもない人間が赴任してくることになった。

彼の着任前に漏れ伝わってくる評判というのは、エリート揃いのメガバンクの中にあって、更にその上澄みを集めた企画部門に長く在籍し、頭取肝煎りのプロジェクトを数々成功させてきた人物であるとの内容だった。

彼の仕事ぶりに対する賛辞は、頭脳明晰・論理明解・好評嘖々・富乃宝山・獺祭吟醸と枚挙にいとまがない。

そして、自分にも他人にも一切の妥協を認めない苛烈な性格から、彼はこんな通称で呼ばれていた。

「クラッシャー」。
これが人につけられるあだ名なのだろうか。名づけの理由はシンプルだった。苛烈なババ詰め(銀行用語/いわゆるパワハラ)で部下を押しつぶすことから名づけられたそうだ。今まで何人もの人間を病院送りにしてきたとの逸話を聞いた途端、私の背中を嫌な汗が流れた。

嫌だ、逃げ出したい!

落語家で言えば、せっかく辛い前座期間が明けて、二つ目としてあちらこちらを自由に諸国漫遊できると思っていた矢先だ。私は夢想していた。取引先の部長に可愛がられて、日中は磯野家に寄って茶を啜るノリスケみたいなお気楽サラリーマン生活が出来ることを。なのに、なんて私には運が無いのだ。今すぐJRに向かい、母の子宮経由、父の精巣へと帰る特急列車を予約したい思いに駆られた。

人間とは不思議なもので、来てほしくない日を控えていると、本人の意志とは裏腹にとんでもない速度でその日がやってくる。

いよいよクラッシャーの着任日を迎えた。

新任の部長は、私の思い描いていた銀行エリート、つまりテンプレ的な細身の七三メガネのような風貌とは全く様相が異なっていた。

中背で少しふっくら目の体型をしており、声も大きく明るい。顔には常に笑みをたたえており、何よりその優しい語り口はクラッシャーの異名とは程遠いものだった。

人のうわさにはとかく尾ひれがつくもの、みな話をデカく盛ってただけなのだと私は彼の着任内示からこれまでの不安を思い返し、ほっと胸を撫でおろそうとした時だった。

「じこばすくーん!」
おもむろに私の名前が呼ばれる、私は「はい」と大きく返事をしながら小走りで彼の机に駆け寄った。
「君がじこばすくんか。よろしく。」
「はい!これからよろしくおねがいします。」
「ところで、君は初めて担当先を持つようだが、私の部下となったからには、実績が上がらないということは許さない。新任という言い訳は通用しないから肝に銘じるように。はい終わり!席に戻っていいよ!」

私は内容の厳しさに一瞬ギョッとしたが、部長の最後の発言に柔和な雰囲気を感じたため、「またまたぁ!部長ったらお厳しいんだから!」という言葉が私の喉元から出かかった刹那、気づいてしまった。

部長は確かに「ニコニコしている」と言われる表情を顔の筋肉で形作りこちらを見ているが、目が全く笑っていない、その瞳が私を全く捉えていないのだ。何に似ているか?と言えば、笑ってはいるが目に光がない、まるでハロウィンのジャック・O・ランタンだ。

思わずハッとする。

対峙していると背筋が寒くなるような、暗く深い気味の悪さを感じ、私の第六感が甲子園のサイレン並みのボリュームで警報を鳴らした。
「やばい!間違いない!この人こそがクラッシャーだ」。

クラッシャーは着任早々から腕をブンブンと振り回した。
手始めに、実績があがっている部下とそうでない部下を峻別し、後者に対しては人権を認めず、執拗なまでに「指導」をした。「業務効率が悪い!」とクラッシャーに提出物を持っていく自席からクラッシャーの席までの歩き方・導線までお小言を言ってくる場面もあった。

そして、クラッシャーがクラッシャーたる所以の名物イベントがあった。誰よりも早く出社するマッシャーは、毎朝実績のあがっていない部下が来るのを待つ。いざ、ターゲットが出社するとその瞬間にスイッチ・オン、名付けて、「行員解体ショー」の幕開けだ。
毎朝、マナス英雄叙事詩くらい長い説教がはじまる。
その他大勢の行員の前で、逃げ場のない長時間の理詰めでの説教だ。

時に、朝8時から始まったお説教が昼の12時まで続くこともあった。その間、ターゲットを徹底的に絞り上げる。部下は出社したままの姿で一度も着席することなく、朝自宅から持ってきた日経新聞を握りしめたまま立ち続ける。ずっと立たされ続けるその人は、今朝インプットしたであろうその新聞の情報を活かすこともなく、説教されることに時間を費やしてしまっている。あまりに長いクラッシャーの説教を受け続けたために、立ったまま意識を失って倒れた人もいた。

怒っている最中、クラッシャーは何時間でもニコニコ笑顔だ、クラッシャーくらい竹中直人の笑いながら怒る人を地で出来る素人は稀だろう。

とにかく、クラッシャーが席にいる日は、ここで筋トレしたらサイヤ人になれるかも。というくらい支店内の重力が10倍以上に感じられる。そのため、たまにクラッシャーを外に連れていくだけで周囲から英雄視され、先輩が「よくやった」とビールを奢ってくれたりもした。

クラッシャーは人の心を折る術を心得ており、営業実績があがっていないとなると容赦なく担当の配置替えを行った。銀行員にとって、担当している顧客を引き剝がされるのは「不能」と言われることと同じ。言うなれば江戸時代の大名の改易と同様の恥辱なのだが、クラッシャーには一切の容赦がなかった。

クラッシャーが着任して半年ほどが経ったある日、これまで銀行内でエースの中のエースと呼ばれた私の先輩が、取引先に対する方針でクラッシャーと衝突した。確かに、その時期は先輩の営業成績が振るわず、かなり苦戦していたのだが、お客様とのリレーションを優先してお客様に無理強いをしたくない先輩と、自らの部署の営業成績をなんとしてもあげ本店に凱旋したいクラッシャーとの間で言い合いが始まったのだ。

「君のいうとおりにしていて実績があがるのか、数字をあげていない人間が理想を語るな」「リレーションという言葉に逃げるな」「関係性を毎期カネに変えるのが君たち営業マンの生存意義だ」
先輩に対してクラッシャーから次々と厳しい言葉が投げかけられる

「それでも部長の仰るとおりには私はできません」と勇気を振り絞って先輩が発言した直後、先輩はクラッシャーから支店の中でも収益の根幹を為す取引先を引き剥がされ、その取引先を担当するお鉢が私に回ってきてしまった。

銀行のエースが取引先を新人に付け替えられるなど前代未聞だ。
しかも私のいた名門店クラスの支店で、通常このようなことは起こり得ない。

実に丁寧な引き継ぎを私にしてくれた翌日から、先輩は銀行を休職した。とうとうクラッシャーによってクラッシュされた銀行員が支店から出てしまったのだ。今は時代も変わったかもしれないが、休職は銀行員にとって「死」を意味する。一度仕事で「潰れた」という不良品のレッテルは二度と剥がれることはなく、以後銀行では完全に出世の道を閉ざされてしまう。極端な例では、休職という挫折を受け入れられず自ら命を絶った銀行員も少なからずいるくらいなのだ。

「お前の替えはどこにでもいる」という刃を首元に常に突きつけられている。「落伍者」の烙印が常に自分を狙っているという緊張感の中で銀行員は日々生きている、当時はそんな運営がまかり通っていたのだ。

――
新人にして支店の重要取引先を任された私にもクラッシャーの容赦ない追及の手が迫った。私へのクラッシャーの接し方は確かにパワハラではあるのだが、少し歪な愛情だった。
私が、たまたま行内で実施された選抜研修で最年少MVPを取ったことでクラッシャーは私を「かわいがり」するようになった。PrettyやCuteの可愛いがりではなく、公益財団法人日本相撲協会で定義されるほうのやつだ。

「君はものを考えることができる人間なはずだ、なぜ結果が出ないのだ」
(出るわけねーだろ、右も左もわからない新人だぞ)
「モノを考えない銀行員に存在価値はない」
(それならMONO消しゴムで私ごと消してください)
「生物として二酸化炭素を吐いている以上の付加価値を出せ」
(付加価値ではなくてグウの音ならいくらでも出せますが)
と、クラッシャーに言われること一つ一つに対し、頭のなかで受け答えしていた頃はまだ余裕があったのかもしれない。

このような言葉を毎日毎日浴びせかけられ、時には人事評価をちらつかされ、私自身も精神的にかなり追い込まれた。クラッシャーに呼ばれると心臓が縮む思いがして、背中から汗が吹き出した。

当時私が付き合っていた、同じ銀行で働く彼女が異例のスピード出世で本部部署へ転勤してしまい、私はとても焦っていた。

本来、自分は何者でもないはずなのに、何者かになりたくて、何もできないはずなのに何かができるようになりたくて、なによりなんとか彼女に対して格好をつけたい私の虫ケラみたいな意地と見栄が自分を余計に追い込んでしまった。

常に焦燥感と緊張感にかられる生活のせいで心と体の変調が激しかった。
まず、泥酔しないと夜眠れなくなる。仮に眠れたとしても、寝ている間に救急車が何台通ったかを覚えているくらい眠りが浅かった。

そして、偏頭痛を発症したのもこの頃だ。長く続いた緊張が何かしらのタイミングで一瞬緩和した途端、モヤに視界が奪われ、言葉が出て来ず、強い吐き気が襲ってくるくらい頭痛の症状が出るようになった。今も時折ひどい偏頭痛に悩まされている。

まともに眠れず、その間も常にモノを考えてしまう。明るいはずだった私の性格もどんどんと暗くなっていってしまった。結果、一緒にいて楽しくないとの理由で件の彼女も私の前から去ってしまい、一生の後悔になってしまった。

ある日、朝起きると自分の周りの全てが文字に見える幻覚に襲われたこともあった。朝一、取引先に訪問しますと言って、そのまま心の病院に行き、薬を処方してもらうこともあった。

息詰まるような懊悩の日々を送るなか、心の安寧を取り戻したく、大きな公園の中を歩いていた時にふと言葉が空から降ってきた。
何故、人は仕事で心を病むのか、命を絶つ人も出てしまうのかについての答えだった。
「銀行員は外の世界で銀行と同じ処遇を得られる自信が無いから、会社を辞めることなく心が潰れるのだ」という言葉で、真実に辿り着けた気がした。

銀行員になるために弁護士のような資格は要らない、内定さえ取れれば誰でもなれる。そして、ある程度の年齢がいけば世の中の会社よりも高い給料がもらえる。ただ、その給料をもらえる理由に「その会社で勤めているから」という以上の根拠がないのだ。

これこそが、銀行が行員をコントロールするカラクリで、銀行員の厚遇と福利厚生を得られる事実にまるで根拠はないのだ。

宮崎駿の映画ではないが、そのとき私の「君たちはどう生きるか」の道は決まった。どこででも生きていける、わかりやすい「手に職」をつけようと。
25歳にして辿り着いたこの事実によって、私は生きかたを変えた。
資格もない、コアスキルも身に付き辛い銀行員という仕事において、「これが自分の価値の源泉だ」と言えるキャリアを積み上げることに舵を切った。

まるで自らをロールプレイングゲームのキャラクターのように見立て、持っているスキルを整理し、身に付けたいスキルを列挙した。どこででも食っていける能力ってなんだ?どこででも生きていける経験てなんだ?

まず辿り着いたのは、ファイナンス知識の深掘りと外国語だった。金融がわかって、外国語が話せりゃ多分死ぬことはないだろう。そう考えた結果、海外赴任を目指すことにした。

しかも、英語だけで戦うのではライバルが多すぎるし、レッドオーシャンであるため、「できなくても仕方ないけど、できるとめっちゃ価値がある」、アジアの言語を身につけたいと思い狙いをタイ・インドネシア・ベトナム・中国に絞った。

しかし、銀行内で学歴中卒の私がいきなりこれらの海外支店になんていけるわけがない。ファイナンス知識の深掘りをするためにも、海外に行くためにも、まずは法人営業のトップで大企業営業の総本山たる本店営業部を目指すことにした。本店営業部からであれば海外にもいきやすい。
そこからは気を抜けば会社を休んでしまいそうな重圧の中、クラッシャーからのかわいがりに耐えながら、人事面談でもたびたび次場所以降の希望として「本店営業部にいってからアジアの国々に赴任したい」と言い続けた。

本当に身も心もボロボロになったしんどい日々だった。毎朝、通勤で支店の最寄駅から歩いている時に、自分の働くビルのフロアを見上げては「いまこの瞬間にボンッ!って言ってビルが爆発しないかな」なんてことを考えていたが、ついぞ私のところにユナ・ボマーは来てくれなかった。

クラッシャー着任から間も無く1年が経過しようとしていたころ、突然にクラッシャーが転勤することになった。私の息詰まるようなパワハラの日々に思いがけず終止符が打たれた。

「最低でも私は副頭取になる」とどこかの海賊王みたいなことを豪語していたクラッシャーは、結論から言えば、行員を休職に追い込んだことを理由に飛ばされることになった。
私のいた支店で、クラッシャーの上司にあたる人物に支店長がいた。長年人事部に在籍し、人事部長まで務めた彼はお公家様のように柔和でとても穏やかな人であった。一時期は将来の頭取候補とも呼ばれた彼は、その当時の頭取が「営業を知らない奴は役員にさせない」との方針を急遽打ち出したことで役員にはならず、私のいた支店に支店長として赴任してきていた。

クラッシャーはこの支店長のことを「キャリアが終わったひと」として普段から軽んじていた。あとから知ったのだが、クラッシャーは着任時に「この店では部下を潰すことはないように」と支店長から釘を刺されていたのにもかかわらず、結果ひとりの行員を潰してしまった。これに、支店長は「私をみくびるな」と憤慨し強権を発動したとのことだった。

クラッシャーは「部長」のタイトルであったにもかかわらず、本部の「次長」として転勤することになった。通常、営業店の部長と本部の次長は同格であるのだが、これまでのクラッシャーの出世スピードと角度から言って、横スライド異動というのは明らかに左遷だった。

しかし、人というのは簡単に変われないらしく、クラッシャーは次の場所でも、さらにその後もずっとマネジメントスタイルを変更することはなく、部下を立たせ続け、理詰めで圧倒し続けていた。結果、クラッシャーは副頭取どころか執行役員にあがることもなく、彼が勝手にライバル視していた同期の別の人が副頭取になった。今彼は銀行の関連会社で役員をやっている。

では、いったいなぜ彼はそこまで苛烈なマネジメントスタイルを貫いていたのか、これには彼なりの哲学というか理由があった。私が彼の部下として仕えていたある日のこと、彼と2人で出張に出かけた時(その時は先輩がクラッシャー連れ出しのお礼としてキャバクラを奢ってくれた)、彼との会話の中で人の生き方の話題になったことがあった。私が人間としてクラッシャーと会話をした数少ない経験だったのでいまも鮮明にその場面を覚えている。

クラッシャー曰く、「人間は自らが生きるために数多の命を犠牲にして生きている。貴重な酸素を吸い二酸化炭素を吐きだしている。つまり、存在自体が業なのだ。この業が許されるためには、人は付加価値を出して生きねばならない。難解な書物を読み解き、実践し、これまでにない価値を生み出すことでこそ人間は生きて良いのだと考えている。」

だからこそ、彼から見て何も生み出さずボーっと生きているような人間を許すことができないのか、と私はなんとなくクラッシャーを理解することができた。周囲から見れば苛烈すぎるその価値観が彼を突き動かしていたのだ。

彼の考えを理解することはできつつも、これまでクラッシュされてしまった人たちや、彼らの家族のことを思うとなんともやりきれない気分になる。私はクラッシャーを馬鹿だとは思わないが、バランス感覚が欠けた知性は、本当の知性ではないと感じる。

おしまい

最初に受けたパワハラの話はこちら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?