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転職体験記:出会いは選択肢を生み、迷いは行動することで晴れていく。

皆さま、こんにちは。
いつもはnoteのお題は気にせず好きな事を書いているのですが、自分の過去を思い出す良いきっかけとなったので1記事残しておこうと思います。😀

自慢にはならないかもしれませんが、筆者はこれまでにまぁまぁ多くの職種を経験し、今に至ります。
・飲食業
・家庭教師系バイト
・宿泊業
・雑誌編集業
・介護現場
・農業
・経営企画
・広報
・コンサル
・撮影カメラマン
・取材記者
(正職、アルバイト問わず羅列)
などなど、今はマルチクリエイターとか勝手に銘打って、要はクリエイトや広報、宣伝の何でも屋みたいな事をしてるのですが、言ってみればその下積み時代であったかなぁと思いかえします。


決められた枠組み内競争にくっそくだらないと思った学生時代

小さい事から本好きなのが幸いしたのか、勉強はそこそこできました。だけど単に人よりいい点数取って「ふふふ」とドヤるのが楽しかっただけで、意義なんてまるで理解してませんでした。

ひねくれている面倒くさいメガネ男子

勉強、運動、友達付き合いなど、なんか結局上下があって、上はここ、下はここ、みたいな事で高校受験の受験先まで先生と親が「ここら辺だな」と図表で差し示す始末。周りも当然のようにそれを受け入れて品行方正なのがたまらなく気持ち悪くて、天邪鬼な事もしていたなーと思います。
なので、「無理」だと言われてイラっとした難関校へ願書出して奇跡的に受かってみたり、なのに、せっかく受かったのに東京行くかーと卒業待たずに辞めてみたりと、今思えばずいぶんと親には心配かけたなぁと思います。

「貧乏脱却」と「カッコいい」をひたすら求め続けた東京時代

東京へ進学し、就職してまともに稼ぎだすまでの貧乏生活は、我ながらよく生きていたなと思うメチャクチャな生活でした。まず、自炊ができないので食生活がひどくなる(ふりかけをお湯に溶かして飲むふりかけスープとかけっこう思い出の貧乏飯)。そして学校よりも東京で遊ぶのが楽しすぎて睡眠時間が激減し、生活が一変しました。
食べるために飲食バイトはほぼ毎日入れてました。が、せっかく稼いだお金を生活のために使えばいいのに、いい服着てオシャレして、色恋と夜遊びにばっか使い込むクズでしたねw 

歌舞伎町、池袋、新宿あたりに出没するパリピメガネな脳みそ空っぽ男子

救いだったのは、デザインの勉強は真面目にできた事、そして東京での時間や食うための様々なアルバイト経験は、色んな物事へのセンス磨きや社会の現実を知るのに役立ちました。
そんなこんなありながらも、もう卒業後は後がない崖っぷちだったので、必死に就職活動し、なんとか大手出版業さんに新入社員として就職させて頂きました。
【入社時の面接でも作文でも書いた事】
・自分で飯を食っていくためにここへ来た
・デザイン学校卒なので編集業なら役に立てるかも

確かそんな事を書いていたように思います。当時の私を見捨てないで色々デザインを教え込んでくれたり、当時の会社上司などには今でも本当に感謝しています。切実であった「自分で食べていく」という目標はこうして達成することができ、このまま編集の仕事で6~7年東京生活でした。

今は語れぬほど超絶ブラックだったが当時はそれが普通

終電、仕事場の椅子で仮眠、タクシーで帰るかネカフェで寝るかなど、とんでもない長時間労働を経験したのもここでした。日が変わる前に帰れればラッキー♪ みたいな生活。でも、超絶タイトな締め切りや作業量に追われた結果、PC作業スピードや各知識・技術なんかは叩き上げられたため、これは今でもすっごい役立つスキルになってます。どことは言いませんが、日本中で売られる雑誌を扱う感じの所ですw

このままでいいのか、それともまた未知を求めるのか

さて、そんな東京生活も6~7年、このままの会社で、東京で生活していくかどうかを悩むようになりました。当初の目標であった「貧乏脱却」と「カッコいいを求める」はそこそこ自分の稼ぎで実現できるようになっており、次に目指すものがなくなっていたんです。結婚? 上を目指す? 独立する? なんだかどれもしっくり来るものではありませんでした。そして筆者はある事に気づくのです。
「なんか東京、都会も慣れちゃうと案外窮屈だなぁ」と。
あれだけ遊び倒して満喫してきた都会生活がなんだか息苦しくなってきてしまったのです💦。「何もないけど広くて伸び伸びな田舎」と「何でもあるけど窮屈で人ばっかな都会」の両方の環境で揺れた結果、筆者は田舎にUターンすることを決めて地元へ帰ったのです。

田舎暮らし。思い切って清々しいくらい真逆な仕事をしてみた

ほぼノープラン、なんとかなんだろみたいな勢いで帰郷し、まず困ったのが仕事の少なさw そっか、雑誌って、都会で作って全国にバラまくんだもんね、同じ仕事あるわけないか。
せっかくリスタートにしたんだし、やった事ない事やってみよう! と当初は確か土建業と介護、サービス業あたりに目星をつけ、最終的に「介護職」を選択し、当時の自分の友人からは「うっそマジで」と言われた記憶があります。

意外にも、全然全く抵抗なく仕事していけた介護職現場

正直、ほんとに辛かったらいつでも方向転換しようと思って始めた介護職ですが、筆者にはさほど抵抗のある職ではありませんでした。編集業の時は見る事ができなかった「人の笑顔や感謝」に直接触れられる現場、長く生きてきた人たちの言葉は、多分、無意味に焦って生き急いでいた自分にとってたくさんの教えがあました。
「短期的人生目標」ではなく、「長期的人生目標」が立てられるようになったきっかけがこの介護職です。さすが、90年から生きてきた人の言葉はマジで違います、そしてそんな人たちの最期に関われた事を今でもとても大事に思っています。
次に進む勇気と元気をくれたのは、地元のジジババ達の人生観溢れる言葉でした。役に立つかどうかは別として、全然今でも介護現場勤務できます、良い事も悪い事もあるけど、あんなに人生が凝縮され、80~100年も生きた人たちの「本音」が聞ける仕事は他にはありません。教科書なんかよりも断然興味深い「ここで生きてきた生の歴史」があったのです。

・手動でのトンネル堀りバイトがあった話
・養蚕業で金持ちフィーバーした話
・戦争に行って帰ってきた話
・米だきゃあいつでも裏切らずに美味しかった話
・海のお魚の刺身なんか長野じゃありえなかった話
・逆にジビエ(鹿、猪、野兎さん等)は日常的に食べていた話

などなど、面白い話もたくさん聞けました♪ なんせ生き字引の方々から聞いた話なので面白いです。これが案外、筆者が長野県内ならいつでもどこでも話題に困らない話題性のボキャブラリーにもなったりしています。

結果、多業種に強い地元系マルチクリエイターが爆誕する

・PCスキル、作業スピードの習得(東京で習得)
・地元の歴史を知り医療介護業界も経験済(地元で習得)
・ものづくりやクリエイト作業が得意(元々そんな人間w)
・業界常識にとらわれない提案や改善ができる(出会いの蓄積)
・特化ではないがマルチなので中小企業と相性がいい(転職経験のおかげ)

などなど、これを狙ったわけでもないのですが、結果として地方に多く存在する中小企業や医療介護施設さんと仕事するのに適した経験となっていき、今に至るわけです。爆誕というほど活躍してないですけどねw

うーん、我ながら意味不明な履歴w

まだもう1回転職があるかないかは正直筆者にもわかりません。
ただ、こんな変な履歴、もう自分で活かすしかないなとも思います。
普通の企業行ってこの履歴見せても、評価しにくくないですか? なんだかんだ特化資格や経歴って評価されやすく、あっち飛びこっち飛びの経歴って見くびられる事多いです。
「この仕事10年経験あります」と「あれとこれとそれ、2年ずつ経験あり」では、10年経験を重宝されがちです。
でも筆者は、そうかなぁ?そうかなぁ?といつも疑問なのです。特技はあるに越したことないのはわかりますが、色んな経験も大事だよーと思うんですよね。一本気でやってきた結果、以下のようになってるんだもの。

・経営センスが甘いので儲からなくて苦しむ医療介護業界
・良いもの創れるのに宣伝下手で埋もれる中小企業
・根性あるのに営業できない地元農業
・新しいもの嫌いでIT化や時代が進まない地域社会
・外を知らず中だけで解決しようとする地域ビジネス

田舎暮らししてるとこんな傾向も見る事多いです。ほんともったいない。
だから昔の筆者のように、若者が見限って出てくんじゃないのかな、と。

だから筆者は、筆者の昔のような構図を無くすためにも、
「地元を依怙贔屓(えこひいき)する外を知っている何でも屋」
でありたいなと思うようになりました。せめて、「都会も田舎も、どっちにも魅力があるからね」と選択の引き合いに出せる存在にしたいなと。
そんな「長期目標」が今の筆者のモチベーションになっています。

おわりに

IT技術や奇しくもコロナ禍で一気に浸透したリモートワーク等によって、都会でも田舎でもある程度変わらぬ仕事環境を作れるようになりました。
さらに働き方改革や少子高齢化、未曾有の物価高騰など、時代もどんどん変化しています。
なので、人材ももっと流動的で自由度の高いものに変わるべきと思います。
・昼間は商社勤務、夕方からジムトレーナー
・2~3社かけもち連動型の広報マン
・自分で作り、自分のECサイトで直売り農家しつつ保育所勤務
・看護師でありつつホテルマン
・介護職でもある市役所員
などなど、人材は囲い込むのではなく、地域でシェアしていくべきではないかなと感じます。地域全体が一個の大企業みたいな連携を取るイメージ。

もしかしたら、そんな時代への先駆けとなっているのがノマドワーカーさんや副業ワーカーさん、若者たちが少ない数でも活躍できる社会なのではないかなぁと思います♪

この先の未来、地域や都会にこだわらず、「どこでどう働こうかなぁ♪」と自分の好きな場所での生活をもっとワクワクしながら選びやすくなっているといいなぁと思います。


2024年3月追記

⬇️Notionでホムペ作りました♪ よかったら見てみてください。


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