どうやらおおかたの参考書は教科書を理解するためにあるらしい
はじめに
学習をサポートするしごとでよく書店にいく。さらにこのしごとに特化した業者からカラログなどが頻繁にとどく。このクニで市販されているテキストや参考書のおもなものにひととおり目を通したかもしれない。
するとあたりまえのようでいて意外と気づきにくいあることに感づいた。
きょうはそんな話。
大型書店で
この中核市にはとてつもなくフロアのひろい書店がある。開架にならぶ商品の本はとてもまわりきれないほど。学習サポートのしごとで使うためのテキストや問題集の更新がおこなわれるちょうどいまの時期には足しげく通う。
物理をのぞくすべての教科について勉強法をふくめてサポートするので、学習参考書だけで中学から高校生対象の書棚をくまなくみていく。そうやってあたまのなかのテキスト類の情報を更新する。
業者むけの店も
もちろん一般書店の参考書だけでなく、たまたまその近くにあるわたしのような職業向けの書店へとむかう。学習塾やわたしのような学習を支援するしごとむけの教材教具をあつかう店。すでに20年来のおつきあいになる。一般書店とくらべてじつに微に入り細に入りほしいものがならぶ。
ふつうの書店の参考書類を3段階程度の品ぞろえとすれば、ここにはじつに7段階ほどのレベルやわかりやすさのものがそろう。しかも最新のみならず、過去の名著もいまも棚にならぶ。こうした書物を所望する方がいまもっていらっしゃる。
この店の一画はサロン風になっていて同業者が商店主とともにたむろし、ここでは触れにくいことまで情報交換の場となっている。個人では得がたいアドバイスやニュースによりスムーズにしごとをすすめられる(抽象的で申し訳ないが)。
本質的には
手にとる多くの参考書や問題集。これらはいったい何のためにあるのか。20年このしごとをつづけてやっと得られた結論は、なんと単純明快。じつは教科書1冊を完全にマスターするためにある。
なあんだそんなことか。とあっさりかたづけてよいだろうか。じつはそうでもない。教科書をすみずみまで理解するにはそのうえの学校でならうことの一部もふくめたうえで履修したいわゆる「おとな」であれば比較的容易なことだが、これが生徒たちではどうだろう。
その学年の当事者にとって内容を完全に理解してものごとを解釈できるまでマスターするのはなかなか容易ではない。しかもそれを1年程度でやれというお達し。
おわりに
したがって世にはこれだけの参考書やテキスト、問題集のたぐいがならぶ。学校、塾などの支援の場でもって、この教科書の内容の理解に努める。
どんなに難問ですら学校でもちいる教科書や資料集・便覧のたぐいに表記があれば入試に出題できる。
もちろん中・高校生は教科書の理解だけやるために学校へむかうのではないのは承知のうえで記したつもり。こうしてあらためて書くとじつにたいへんな作業と思えてくる。
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