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ムンクの「叫び」を模写したところさまざまな描法や画材を駆使して表現していると気づいた


はじめに

 油絵の模写をこれまでやってきたことは数週間まえに記事にした。さまざまな画家の絵を対象にした。なかでも描いてそれまで以上に関心をつよくした画家が何人かいる。そのひとりがムンク。

代表作といっていい「叫び」を模写。あれこれあらたな気づきがありとてもひきつけられた。

きょうはそんな話。

それまでの絵とのちがい

 ずいぶんまえの話になる。友人がある画家に興味があるという。その画家はエドヴァルド・ムンク。そして代表作は「叫び」一度でもみるとそのインパクトのつよさに目に焼きついてしまうだろう。わたしもそうだった。最初に見たのは中学生のころ。

これはあきらかに平常なせかいの絵ではないと感づいた。画家の心情が尋常でないようすがだれの目にもあきらか。画集をとじてもしばらくのあいだ、あの頬に手をあててからだをよじらせてなにごとか大声をあげるすがたが離れない。

何を描こうとしたのか

 だれにむかいなにを言おうとしているのだろう。それにあわせて周囲のせかいもふつうでない色づかいや空もよう。思春期のわたしには、急激にすがたかたちが変わりつつあるわたしという存在自体の不確かさやなにかわからない不安に照らし合わせて考えた。

模写をしたのはそれから10年ぐらいさきのこと。青年になったわたしにこの絵はまたちがう考えをよびおこした。北欧のフィヨルドやオーロラ。なにか白夜の薄暗さやうねるような独特の形状の雲、そしてまさに雲をつかむようななにか得体のしれないゆがんだせかいにうずまく形容しがたいもの。

舟だろうか、得体のしれないなにか。存在のはっきりしない他者。そうした化けものをみるかのような妖しさや断末魔の空間を垣間見たかんじ。

それをムンクは油彩の画材だけでなく、なにかでひっかいたりパステルかなにかべつの画材もつかい厚紙の上に重ねている。絵を描く際の画家の感情とはどんなものだったのか。はたしてこの絵を描くにあたり、平常心をたもちながら描けたのか。これだけ爆発するかのような表現、どんなおももちであれば描きつづけていられるのか。

模写をつうじてさえ、そうおもわずにはいられなかった。

平常心で

 この「叫び」、じつはこの画家によって何度かくりかえし描かれている。描く絵柄はほぼおなじ。なんどもこの絵のテーマにむきあった形跡がある。すくなくとも17,8年のあいだ。ときは19世紀末から20世紀初頭。世紀末の世情の底知れぬ不安を表現しているのかもしれない。

それだけでないのはたしか。彼自身精神を病み、こころの深淵というか奥深い底に秘められたなにかを垣間見てしまったのかもしれない。こころの内面を絵に表出するのに何度もチャレンジしたのかもしれない。

おわりに

 手もとにしばらくおいて何度か描きたしてようやく模写を完成させた。意外なことに絵のテーマとはちがい、あくまでも表現を知る対象として。そこには雲を描くにもさまざま線をみつけだし、試行錯誤をくりかえしたようすがみてとれた。

ひとずじなわではとうていいかないことは明白。表面的になぞっただけではおそらく絵から出てくる力強さまでは表現できない。

あまりに画家の技量というかものごとをつきつめていくことの道のりの遠さを感じた。


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