ゆっくり休むには"勇気"がいる(休職の経験談)
jinanです。
私はうつ病を発症して計1年くらい休職しているのですが、休職してから1番最初に困ったのが「ゆっくり休むってなんだ?」という事でした。
いくつかの精神科を受診したのですが、どの主治医からも「ゆっくり休んでのんびりしてください」と伝えられます。しかしですよ、改まってのんびり休んでみようと思うと
ゆっくり休むって、難しくない????
と、なったわけです。
さまざま試行錯誤していく中で、なぜ難しいのかを言語化できるようになったので、備忘録として残します。
有意義に過ごさなければいけないという固定概念
まず、なぜゆっくり休むことが難しいのかですが、ある固定概念が邪魔しているのだと考えます。それが「日々を有意義に過ごすべきであり、生産的な事をしよう」という類の固定概念です。
明確な文章として残っているわけではないが、なぜかこの考えが自分の根底にありました。おそらくそれは、学生の頃から努力し続けることが美徳であると教えられて育ち、社会人になっても成長を求められる環境に身を置いたことで、その固定概念が根底に根付いたのだと考えています。
"休む"は有意義じゃない?
上記の考えが間違っているとは全く思いませんが、その固定概念があるとどうしても「休む ≠ 有意義」と考えてしまい、ゆっくり休むことになぜか罪悪感を覚えるようになったのです。
特に社会人になってからは「休む暇があるなら、結果やキャリアアップのために勉強したら?時間が勿体なくない?」と常々思っていました。
有意義じゃなくても幸せに過ごせる
ただ、昔からそうだったかと言うと全くそんなことはありません。自分が夢中で人生を楽しんでいた幼少期を思い出すと、ちっちゃい頃から「今日1日を有意義に過ごさなきゃ!」とか「自身が成長するために今日もスキルを身につけなきゃ!」とか、考えていたでしょうか?
いや、まさか考えてないですよね。
わたしなんてドが付く田舎の出身なので、
とかそんなことばっかり考えていました。でも、今の自分では考えられないほど楽しく、想像力と希望に満ちた日々だったと思うのです。
上記から「有意義じゃなくても幸せに過ごせるのか。ゆっくり過ごしてもいいのか!!」と分かったのです。
それからというもの、少しずつ休むことへの罪悪感が薄れていき、「こんなにゆっくりしているのは不思議だけどいい時間だ...」と思えるようになったのです。
勇気を出して有意義をやめる!
休むことによる自身への恩恵は多大であり、今となっては「休むを知らないまま生き続けなくて良かった」と思うほどです。
それでも、日々を有意義に過ごさなきゃ...!と思っていた頃の自分にとって、ゆっくり休むのはあまりにも罪悪感の強い行為でした。
同じ考えを持たれている方は「勇気を出して有意義なことを止め、何もしない時間を作る」を実践してみて欲しいと思います。心に余白ができて、少しだけ前向きになれますよ。
jinan
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