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世界的なエネルギー研究者に原油価格の見通しを聞きに行った話

原油価格が上がってくるたびに思い出す話。

昔々、まだ筆者が学部生だった15年前ごろ、原油の先物取引を少しだけかじっていた。原油取引と言っても、中東までタンカーを繰って採れたてホヤホヤの香り立つ原油をバレルで買い付けるわけではもちろんなくて、じつはSBI証券とかで株やFXなんかと一緒に原油や小麦の権利売買もできるのだ。

当時、なにを思ってか株取引なんかを学生らしからぬ熱意でちまちまやっていて(もちろん少額で)、商品取引もその延長線上にあった。また、環境系の学部だったため世界のエネルギー需給には純粋に興味があったというのもある。日々、価格のチャートを睨めつけながらあれこれ考えて過ごしていた。

そしてある日、ふと思いついたのだ。そういえば、いま取ってる講義のなかに、石油エネルギーの世界的研究者の講義があったな、と。その人に、今後の価格見通しを聞いてみたらいいんじゃないか、と。

思いついたら、あとは早かった。当該の講義が終わり、教授が帰り支度をしているときを見計らい、教卓のほうへツカツカと歩んでいく。

開口一番、「あのーすいません、原油価格って、100ドル行きますか?」。

今思えば、相当失礼な話である。不純な動機でしかないし、切り出し方も全然なってない。何度思い出しても心の奥のほうが痒くなり、どうにもいたたまれない気持ちになる。無邪気と言えば聞こえは良いが、職業研究者に対するリスペクトに完全に欠ける、世間知らずのモンスター学生ど真ん中行動だ。

聞かれた方も、その純ならざる意図をすぐに看取したであろう。それでも、教授はこちらに顔を向け、屈託のない笑顔で、こう言った。

「行くよ、絶対に行く。」

いや、あれはやっぱり、ちょっとした悪巧みの目撃者のように、しかし少年のような無邪気さで、口元に少しだけニヤリとした微笑が混じっていたかもしれない。定年間近の世界的権威の、晴れやかで人間味のある笑い顔。

あの顔を、筆者はいつまでも忘れられない。思い返すたび、黒歴史の古傷が疼く。今できることといえば、心のなかで贖罪の念仏を繰り返し唱えたり、あの瞬間の先生の表情をできる限り好意的に捉え直したりするぐらいである。若気の至りと言って記憶の奥底に投げやってしまうには、ここ数年原油の高騰が多すぎる。


なお、その事件から数年後、原油価格は100ドルを超えた。

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