國分功一郎による佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』の書評の紹介

今回は、次回の動画、紀伊國屋じんぶん大賞を読む。國分 功一郎『暇と退屈の倫理学』の予告編になります。

國分功一郎による佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』の書評を紹介します。
書評は以下のリンクから読めます。

https://ameblo.jp/philosophysells/entry-10803688934.html

以下、動画の文字起こしです。

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こんにちは。倉津拓也と申します。紀伊國屋じんぶん大賞を読む、という番組をやってます。次回は2012年の第二回大賞受賞作、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を紹介する予定です。そこで今回はその予告編として、國分さんによる、佐々木中『切り取れ、あの祈る手を』の書評を紹介します。

この書評で國分さんは、本書の内容について、破天荒に面白い、と書きます。具体的には、ルターがドイツ語で本を書いて書いて書き倒したことで、近代ドイツ語の創始者となったことや、ドストエフスキーやトルストイがロシア語で小説を次々と書いていた時期、ロシアの文盲率、自分の名前も読んだり書いたりできない人の割合は九〇パーセントを超えていたことなどを挙げています。
ちなみに本書で、佐々木さん自身も破天荒な話だ、として「大絶滅」の話をしています。これまで地球では5回の大絶滅があり、それでも我々は生きている。終わらない、何も。と語っています。
さて、ここで國分さんは内容に加えて、佐々木さんの文体、スタイルに注目します。『切り取れ、あの祈る手を』から引用してみましょう。

そしてある時に、私はさまざまなものを捨て始めたのです。美術館通いをやめました。映画を見るのをやめました。聴くことを止められるなどとは思いもしなかったけれど、音楽活動は止めました。テレビを見るのを止めました。雑誌を読むのをやめました。スポーツ観戦も止めました。なぜかタバコまでやめてしまってね。私がそれらをどれだけ愛し情熱を注いでいたかなどということは、みなさんにお伝えする必要があることとも思えませんけれども。そして、さまざまな情報を遮断することにした。

前著の『夜戦と永遠』で、佐々木さんはラカンの難解さについて論じ、その難解な文章を読むことを通じて読者はラカン的主体へと生成するのだ、としました。そして國分さんは、同じことを本書の文体についても言うことができ、佐々木さんはこの口調を通して読者が〈革命〉の主体へと生成することを求めている、とします。

そこで、「やや唐突かもしれないが」と断りを入れたあと、國分さんは佐々木さんのことを「現代の偉大なるデカルト主義哲学者」とします。あらゆる情報を遮断して、ただ本を読んだ佐々木さんの姿は、全てを疑った結果、自分が疑っていることだけは疑うことができない、という考えにたどりついたデカルトに似ているとされます。

また、その論述の仕方についてもデカルトとの並行関係が見いだされるとされます。論述には分析的方法と総合的方法があります。分析的方法とは、結果から原因へと遡ることで事柄を認識しようとする立場です。総合的方法とは原因から結果へと進むことで事柄を認識しようとする立場です。デカルトは分析的方法を好み、総合的方法を嫌いました。そして佐々木さんもデカルトと同じく、分析的手法をとっている、とされます。ここで國分さんが論点として取り上げるのが佐々木さんの国家論です。引用してみましょう。

ピエール・ルジャンドルの思考の独創的な核心はここにある。つまり、彼は国家の本質というものを暴力や経済的利益に切り詰めたりしない。国家の本質とは、「再生産=繁殖を保証する」ことである、という。つまり子どもを産み育てる物質的・制度的・象徴的な配備を行うことが、国家の役目なのです。

しかしこの国家論については、これは国家の本質というより、国家の本質より結果する帰結のひとつではないか、と批判されます。國分さんの書評から引用してみましょう。

分析的方法では、結果に過ぎないものが本質と見まちがわれる危険がある。見まちがいが起こる場合、それを引き起こしているのは論者の欲望である。その点で佐々木の国家論には注意すべきだろう。

そしてこのような分析的方法は、総合的方法よりも強く読者に働きかける効果を発揮している、と結論づけます。

國分さんはスピノザの研究者です。そして『スピノザの方法』のなかで、このようなデカルトの「説得」の哲学を批判しました。それでは國分さんは、そのうえでどのような文体、スタイルを選ぶのでしょうか。次に紹介する『暇と退屈の倫理学』も、大変特徴のある文体の本です。いくつか印象的なフレーズを引用してみましょう。

パスカルよ、人間が部屋のなかに静かに休んでいられないのは当然のことなのだよ!
ガルブレイスよ、よく聞け。君こそがこの「悲しみ」を作り上げているのだ。
コジェーヴよ、お前は自分がテロリストに憧れる人々の欲望を煽っていることがわかっているのか?お前の壮大な勘違いは決して無垢ではありえないのだ。

このような文体は、どのような意図をもって用いられているのでしょうか。そのようなことを考えながら、『暇と退屈の倫理学』を読むのも面白いと思います。それでは終わります。

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