見出し画像

自問自答

INTERVIEW/柳田如那

柳田如那が新作note『自問自答』を発表した。

2020年10月に『スリットスカートの切れ間から』をリリースした後、不定期ながらも新作noteを更新。2021年11月からパッタリと更新をストップしていたが、1年以上の期間を空けて、先月2023年1月に『人は川沿いを走る、走る。』を発表。そこを皮切りに、連続して記事を投稿してきた。

普段は漫才コンビ『ジネンジョ』として活動する中、どういう想いでnoteを書き続けるのか。また、ショート動画をはじめ、効率的に娯楽を消費できる短いコンテンツに需要があるこの時代に、何故あえて文字数が多く読まれにくい記事を投稿しているのか。新作のタイトルでもある『自問自答』というテーマを中心に、柳田如那の現在のモードに迫りながら、そのルーツを探った。

Interview & Text by・Jona Yanagida
Photo by・Hiro

‖「ただの自問自答なんですよ」


ーー2021年11月に投稿した
『味噌っかす』は、ゲームの話から派生し、誰もが一度は考えたことがあるような仮想現実説から、柳田さんの人生論のような展開が見られました。そこから約1年という期間を空けてまたnoteを再開された経緯からお話していただけますか?

柳田:はい。まずですね、『味噌っかす』についてはそんな、人生論なんて大それたことでは全然無くて、書いていくうちに自分の普段考えていることが少し出てきたというか。noteを通して「あ、俺ってこんなこと考えてたのか」と自分で自分に気付かされることも多くて。別に「こういうことを書こう」と最初に決めて書き始めるわけではないので、結果的にああいう文章になったという感じですね。それを読んで、少しでも読んでくれた人の絡まった心の糸をほどくキッカケになったら嬉しいですね。

ただ、そこから、書く気力が無くなってきてしまって。忙しいふりして忘れてたのもあるんですけど(笑)だけど今年に入ってから急に「あ、書こうかな」て思ったんです。で、久しぶりにnoteを開いて、書いていくうちに、「あれ?楽しいぞ」ってなって。「これは自分の心の糸をほぐすためにやってたのかもしれない」って気がついたんです。

ーー他人のために、サービス精神のつもりで書いてきたつもりだったけれど、結果的に自分の為でもあったと気付かされたと。それはお笑いに関しても言えることですか?

柳田:そうですね。お笑いも観てる人が笑ってくれたらいいなと思ってやってますけど、結局自分の為ですね。それに関しては子どもの頃から想う事があって。昔、小学5年生くらいの頃かな?急にクラスのやつらが「自己中」て言葉を使い出したなっていう時期があったんですよ。自己中心的、略して「自己中」ですね。なにかと和を乱す奴を捕まえては「それ自己中だよ!」て言う女子が居て。その言葉にすごい当時から違和感があって。そりゃそうだろと。みんな自己中だろと。誤解を恐れず言わせてもらうと、これは極論ですけど、利他的に見える行動も結局は辿って行ったらその利他的な行動をすることによって「自分の心が満たされる」っていう自己中心的な衝動だと思うんです。「人を喜ばせたら自分が嬉しい」というのもある意味自己中心的な考えですよね。「ここで目の前の人を助けないとその後、自分が後悔して気持ちが悪い一日を過ごす」という自己中もありますよね。その女子も「それ自己中だよ!やめな!恥ずかしいよそんな自己中なやつ!」て注意して自分の安心できる環境に戻したいという自己中心的な考えの人ということな気がして。いや、別にその行動が悪いというわけでは無くて。自分の意見をハッキリと伝えるのはとても大事なことです。ただ、「自己中」という言葉を悪口みたいに使っている事に違和感があったんです。物事にはやっていい事と悪い事はあると思いますよもちろん。そこには言うべきことは言った方がいい。絶対に。だからその女子も「あなたの自己中心的な行動はみんなの自己中を乱してるよ!みんなの自己を中心に戻してあげて!」とか言った方が、言いたいことが伝わるのかなって気がして。
つまり、お笑い芸人はみんな「人を笑わせて幸せにさせる事によって自分も面白いと思われたい」という自己中心的なやつらということです。「自分の好きなことをするから、好きに見てってや」て言う人もいるかな。

ーー昔からそういう考え、それこそ『自問自答』を繰り返す子どもだったんですか?

柳田:いや、子どもの頃は飄々としながら結構ひょうきんな子どもだった気がするんですけどね。でも思い返すと周りの小さな事には引っかかってたのかもしれませんね。

自問自答でいうと、18歳か、19歳くらいの頃かな…。ZAZEN BOYSさんの『自問自答』という曲を聴いた時に衝撃を受けてしまって。なんか…なんとも言えないモンを突きつけられて。何回も繰り返し聴いて。真っ暗な天井見つめて寝れなかったのを覚えてますね。そこからですね、自問自答するようになったのは。だからそう、今思ったのはこのnoteもただの自問自答なんですよ。

ーーZAZEN BOYSさんの『自問自答』がルーツだったんだすね。それから他の芸人さんとカラオケに行った時とかに、ZAZEN BOYSを歌ったりとかもあったんじゃないですか?

柳田:まさに。たしか今宮戎のマンザイコンクールに出る為に、同期の芸人と夜行バスで大阪に行ったことがあったんですよ。大阪着いて、時間潰す為にカラオケに入って、その時に初めて『自問自答』を歌いましたね。そしたら同期の樽見って奴に「ZAZEN好きなん?」て言われて、帰りの夜行バスでも好きな音楽について語り合いましたね。

ーー自問自答から他者と繋がれることもあると。その樽見くんとはその後、一緒になにかしました?

柳田:めっちゃ覚えてるのは樽見ん家に行った時に、ドア開けたらなんかそいつ、DVDで映画を観はじめてて、返事もせず止める気もなさそうだから俺も黙ってそのまま一緒に観たんです。で、その映画がめっちゃくちゃ良かったんですよ。今だに好きな映画ベスト5には入るんですけど。

ーーその映画というのはもしかして、ソフィア・コッポラ監督の『SOMEWHERE』?

柳田:そう!しかも途中から観たのになんか見入っちゃって。エンドロール見終わってから「めちゃくちゃ良いんかい」てツッコミました。

ーー途中から観たということは、その後すぐDVDを借りて最初から観直したんじゃないですか?

柳田:はい。もう一回最初から観ました。

‖「自分の中心を見せてしまった」


ーー『SOMEWHERE』は長回しのワンカットも多く、人によっては退屈に感じてしまう人もいるかもしれませんよね。

柳田:たしかに。セリフも少ないけど、でもちゃんと間も埋まっているし、僕は説明の少ないものの方が好きですね。

ーーそれでいうと、柳田さんのnoteは時代の逆を行くかのように文字数が多いですよね。それにはなにかこだわりがあったりするんですか?こだわりなんて深いもんはないと仰られるかもしれませんが。

柳田:こだわりなんて深いもんはないです。ただただ吐露していたら長くなってしまうんです。やっぱり読みにくいですか?

ーー私は好きですよ。映画は役者の演技で間を埋めることができますけど、文章は文字で埋めるしかないので。たしかに俳句や短歌のように限られた文字数によって、心地良いリズムと余白の美のような奥ゆかしさを感じる良さもあります。でもnoteは自由に書くもの。noteに詩を書いてもいいし、コラムを書いてもいいし、長々と誰かにラブレターを書いてもいいと思います。

柳田:でも長いから誰も最後まで読んでいないんじゃないか、と思うこともあるんですが。

ーー私は最後まで読みますし、普段から本を読んで文字に慣れてる方からしたらそこまで長くもないと思いますよ。私はよく移動中に読むことが多いです。若い子達はTikTokをはじめ、ショート動画などの短いコンテンツの方を好むんでしょうけど、僕の場合むしろ短いと物足りないなと思うことが多いです。あぁ、いま、文章の世界に入りかけたのにってところで終わっちゃうと寂しい。もっと世界に浸っていたいと思う文章に出逢えたら嬉しいです。映画でも良い映画を観るとエンドロールの最後まで観て、Cパートといいますか、エピローグといいますか、オマケのつづきみたいな映像があると嬉しくなりません?

柳田:コナンとかであるやつですよね。

ーーそうですそうです。余韻に浸りたいから無い方が良い時もあるんですけど、でも結構あのオマケのような映像が1番好きだったりするんですよね(笑)だから柳田さんのnoteのあとがきのような最後の文章も好きです。

柳田:ありがとうございます(笑)結構、本とかお好きなんですか?

ーー好きですね。活字よりも漫画の方が圧倒的に多いですけど(笑)本も読みます。小説は数える程しか読んだことないのでエッセイとかのが多いですかね。

柳田:初めて読んだ漫画って覚えてます?

ーー7歳の時に、兄貴が買ってきたドラゴンボールを読んだのが最初です。ひらがなは読めたんですけど、コマの順番とかがわからないから、兄貴に教えてもらったのを覚えてます。もうそっからどハマりして、あの時は本気で悟空になれると思ってました。もちろん、かめはめ波も撃ちましたし。出なかったですけど(笑)山に向かって「筋斗雲〜!」て叫んで呼んだりもしましたよ。あの頃は筋斗雲に乗れるほど純粋な心だったと思います。

柳田:僕も全く同じ事したことあります(笑)でも、今でも充分、純粋そうですよ。そうじゃないとインタビュアーなんてできないんじゃないですか?

ーーありがとうございます。純粋な気持ちで、本当にその人に興味を持つから、こうやって質問できるんですもんね!なんか勇気がでました。さっきの自己中心的な話で言うと、インタビューも相手の良い所を引き出そうとしてる時よりも、本当に自分が聞きたいこと、「知りたい」という自己中心的な欲求がある時の方が結果的に良い話を聞ける時が多い気がします。自分の中心を見せないと相手も中心を見せてくれないのかもしれません。

柳田:なるほど。興味深い話ですね。

ーー聞こえは悪いけど、本当に純粋な心って自己中心的な心なのかもしれませんね。ただ、その純粋な「知りたい」という欲が「自分の思い描いた結果であって欲しい」という自己中心的なものになってしまうと良くないのかもしれない。相手の中心を自分の自己中心に無理矢理引き寄せるような、「自分だけが正しい」という、周りを自分の中心と重ねてしまうようなインタビューにはしたくない。そもそもインタビューって会話ですから。人間関係そのものですよね。ちゃんとお互いの中心を尊重して相手と接する。自分の理想を押し付けない。結果的に自分の思っていた記事にはならなくても、その方が読んでいて面白いと思います。切り抜きのネットニュースなんて最たる例ですよね。わざと悪くみせるように好きに編集して。まぁこうやって、口にするだけなら簡単ですけど、できるだけ愛と平和と感謝という大事な中心だけは崩さないように、人と関われていけたらなと思います。人だけで無く、環境、地球とも人間はもっと対話するべきだと思います。地球の声をもっと聞いて。地球の中心と。中心なのでマントルですね。マントルの奥の核の声を聞いて。地球はあなた達を中心に回っていないから。もっと言うとその地球も太陽を中心に回っています。そしてその太陽も銀河という大きい渦の中の端っこにいて、さらにはその銀河系すらなにかの中心を回っている。私は今、天の川銀河を超えて、織姫と彦星の対談を記事にした後、その先の宇宙のど真ん中の、中心の声を聞いてみたいなとそう思っています。ビッグバンで産声をあげてから、宇宙の子どもの頃の夢なんかを聞いて、純粋な自己中心的な今後の展望を見てみたいですね。

柳田:僕も今日は自分の中心を見せてしまった気がします(笑)また次回作も期待しています。本日は貴重なお時間、ありがとうございました。

ーーありがとうございました。

柳田如那
Jona Yanagida

1993年生まれ、神奈川県出身。山々に囲まれた自然豊かな藤野町という所ですくすくと育ち、ぷりぷりと野糞をしながら幼少時代を過ごす。もぐもぐとご飯を食べて、のびのびと身長も伸び、どもどもと漫才をして、ゲラゲラと笑っては、しくしくと泣く。こねこねと子猫をこねては、さみゅさみゅと寂しがり、らびらびと養生しつつ、べもべもと反省したと思ったら、まいまいまいっちんぐマチコ活動中。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?