憂鬱な雨の夜の訪問者

高瀬 甚太

 雨の日は憂鬱だ。梅雨でもないのに降り続ける雨は、私を怠惰にし、動きを鈍くさせる。今日で三日目の雨だ。おかげで私はこの三日間、事務所から一歩も出ていない。
 三日目の午後、さすがに気が滅入った私は外に出ようと思い、ドアの前に立った。
 すると、それを待っていたかのようにピンポーンとチャイムが鳴った。
 慌ててドアを開け、「どちら様ですか?」と尋ねた。
 ドアの前に一人の老人がひどく濡れた様子で立っていた。傘を手にしていないところをみると、雨に濡れたまま、ここまで来たようだ。
 「極楽出版ですが、何かご用でしょうか?」
 二度目の問いで、老人はようやく返事をした。
 「お忙しいところお邪魔して申し訳ありません。私、藤田紀信と申します」
 老人の白髪の髪の毛から雨が滴り落ちている。白いコートも雨に濡れ、手にした黒カバンも靴もどうやらびしょぬれのようだった。
 「実は私、出版のことでご相談したいと思いまして……」
 雨の音が鼓膜に響く。降りは一層ひどくなってきた。私は老人を部屋の中へ招き入れた。
 「どうぞこれで髪の毛をお拭きになってください」
 バスタオルを手渡すと老人は玄関口で髪の毛をばさばさと拭いた。肩まである髪の毛はすべて真っ白で、一見、芸術家風の表情は、やせこけているせいか、アングルを変えるととてつもなく恐ろしい人相に見えた。
 部屋へ入ると、老人は「タバコを吸ってよろしいですか?」と尋ねた。
 基本的に禁煙だが、老人の勢いに負けて「結構ですよ」と応えた。その言葉を待つまでもなく、既に老人はタバコを手にライターで火を点けようとしていた。
 煙を吐き出した老人は、目を細め、「いやあ、さすがにたくさんの本がありますね」と感心した。
 「ところでご用というのは?」
 催促するように促すと、老人は、黒いカバンから旧いアルバムのようなものを取り出した。
 「このアルバムなんですが……」
 老人から手渡されたアルバムは、ずっしりと重く、ずいぶん昔のアルバムのような気がした。「開けていいですか?」と断ってアルバムを開けると、モノクロ写真ばかりが目についた。
 「戦後すぐに撮った私の家族の写真です」
 ペラペラめくると、なるほどアルバムの中に老人の家族とおぼしき写真が大量に貼られていた。
 「満州から帰って三年目からの家族写真の記録です。戦前に結婚した妻と妻の祖母、息子と娘二人、弟……」
 老人は感慨深げに写真に写った家族写真を指して語った。
 「ところで、出版のご相談と言われましたが、このアルバムを出版なさりたいわけですか?」
 それでなくても雨のせいで憂鬱になっている気分が、老人のせいでさらに憂鬱になってくる。早く用件を済ませて老人を帰したかった。
 「いえ、違うんです」
 老人は首を大きく振って否定した。
 「そこに写っている私の家族の記録を本にしたいのです」
 「家族の記録を本に……?」
 「はい、そうです。戦後から現在までの記録を本にしていただきたいのです」
 「どなたかが原稿を書かれているのですか?」
 「いえ、それがまだ――」
 老人は言葉を詰まらせて言った。アルバムを閉じ、老人に手渡しながら言った。
 「家族の記録を本になさるというのはとても素晴らしいことだと思います。原稿が出来ましたらいつでもご相談ください」
 椅子から立ち上がり、老人を追い出そうとすると、帰りかけた老人がドアの前で立ち止まって振り返り、
 「あのう……」と言った。
 その時の真剣な老人の眼差しに一瞬たじろいだ。
 「少しで結構です。私の話をもう少し聞いていただけませんか?」
 忙しいからといって体よく断ろうと思ったが、老人の強い視線に阻まれてそれが出来なかった。
 私は再び老人を中に招き入れ、椅子に座らせた。雨はまだ降り続いている。
 「満州から帰って来て一年目に息子が生まれ、翌年、翌々年と立て続けに娘が生まれました。その頃、撮影した写真が、先程お見せした一枚です。この頃、妻の弟が私たちと一緒に住んでいました。というよりも、妻の実家に私たち家族が住んだだけなのですが」
 話しながら老人は、新たな一枚の写真をアルバムから抜き取った。
 「この写真を見てください」
 やはり家族の写真だが、何かが違った。よく見ると、祖母の写真の背後に何かがいるような気がする。
 「その時は気付かなかったのですが、後でわかったことは祖母の写真の背景にぼんやりと写っているのは祖父だったということです」
 「祖父――?」
 「亡くなってずいぶんになる祖父が祖母の背後に写っている。そのことに気付いた私たちは驚きました。しかし、もっと驚いたのは、しばらくして祖母が突然、亡くなったということです」
 話しながら老人はまた、新たな一枚を取り出して私に見せた。
 「この写真は家族で海水浴に出掛けた時の写真です。息子は既に小学校高学年になっていましたし、娘たちも年子ですからみな小学生でした。この時も、妻の弟が一緒でした。妻は泳ぎが苦手だからといって水着を着ていませんが、弟は泳ぎが得意ですから写真撮影が終わるとすぐに海に飛び込みました。
 弟は二十代の後半で、鉄を扱う工場に勤めていました。見合いして結婚の日取りが決まり、幸せの絶頂の時期だったと思います。嫁になる女性も最初、一緒に来る予定でしたが、急用があって来れなくなり、弟はずいぶんガッカリしていました。
 海に飛び込んだ弟は、それっきり帰って来ませんでした。遺体さえ上がってこず、生きているのか死んでいるのかさえわからないまま、海に消えてしまいました。
 写真が出来上がった時、再び私たちは驚かされました――。弟の写真の背後をよく見てください」
 そう言って老人が写真を指差した。写真に写っている弟の背後に、シロっぽいものが浮かんでいた。じっと見るとそれは人の顔のようにも見える。
 「それは間違いなく祖母の顔なのです。祖母が亡くなった時、記念写真の祖母の背後に祖父が写っていたのと同様に、弟の写真の背後にも祖母が写り込んでいたのです」
 これは心霊写真なのか。私は戦慄を覚え、震えが止まらなかった。話には聞いたことがあるが、見るのは初めてのことだ。
 「それだけではないのです。この写真も見てください」
 三枚目の写真には老人と奥さん、子どもたちが写っている。子どもたちは二十歳を過ぎているように見えた。仲むつまじい記念写真を手に取ってよく見ると、息子の背後に何かが写っているように見える。
 「これは?」
 老人に尋ねると、老人は呟くような声で「弟です……」と言った。
 「私がその写真を目にした日、息子は仕事で東北へ出張していました。私は必死になって息子の無事を祈りました。祖母、弟、二人とも、記念写真を撮影した後に、その背後に映し出された祖父、祖母の顔に引き込まれるようにして命を失っています。
 でも、翌日、息子は無事帰ってきました。ああ、気のせいだったと喜んだのもつかの間、翌朝、元気よく仕事に出掛けた息子は――」
 嗚咽を漏らす老人を眺めながら私は複雑な心境でいた。こんなことってあるのだろうか。信じられない。不可思議な思いに囚われた。
 しかし、現実に、心霊写真が現れた直後、三人の命が奪われているのだ。確認するために三枚の写真を見比べてみた。一枚はかなり旧い写真だ。すり切れたような跡があるし、祖母の背後に写る祖父の心霊も疑おうと思えば疑える。
 二枚目の海水浴の写真はカラー写真だが、太陽の照りつけが強い。光線の関係で霊のように写った箇所があったとしても決して不思議ではなかった。
 三枚目はどうだ。現代に近い写真だからかなり鮮明だ。息子の背後には確かに何かがある。じっと見ると人の顔のようにも見える。老人の言うように弟の顔に見えなくもない。
 だが、どうしても信じられなかった。心霊写真の類は噂では何度も聞いたことがあるし、存在していても決して不思議ではない。だが、死を呼ぶ写真など聞いたこともない。
 「最後の写真です」
 老人はそう言ってアルバムの中から最後の一枚を抜き取った。
 花畑に出掛けた時の写真のようで、写真には、花畑を背景に老人と奥さん、娘二人、そして孫が三人、仲良く笑顔で写っていた。
 「これは何もないようですね」
 安堵して老人に言うと、老人は、「よーく見てください」と言い、奥さんの背後を指差した。
 老人の隣には奥さんがいて、その隣に娘、孫、老人の前に娘と孫二人。老人の差した奥さんの背後、気にしなければわからなかったが、気にすると白っぽい影が映っていて、そこになにやら人の顔のようなものが――。
 「息子の顔です」
 そう言われて見直すと、確かに息子の顔のようにも見えた。これもやはり心霊なのか。
 「奥さんはどうなりました?」
 心配になって聞いてみた。すると老人は、
 「それが元気なのです。どうもありません。私はその写真を見た時、てっきり女房の命が奪われる、そう思って夜も眠れませんでした。でも、その写真を撮ってから三年経ちますが、今も元気にやっています」
 なぜだろう。なぜ、奥さんだけが無事なのだ。不思議で仕方がなかった。
 老人は、そうした記念写真にまつわる不思議な話を本にしたかったようだ。本にして供養したかったのだろう。
 老人は、これまで語った話を復唱するようにして、再び家族の話を私に語った。それはとても長い話だったが、改めて聞くと興味深い話でもあった。
 
 「満州から自宅に戻ると、家は消滅し、辺りは焼け野原になっていました。妻は、ちょうど帰省していて難を逃れ、私は妻の実家で暮らすことになりました。
 妻の実家に住むようになった私は、役所に勤めるようになり、しばらく平穏無事な日が続きました。やがて息子が生まれ、娘二人も立て続けに生まれると、祖母や弟たちも含め、実家は賑わいを増しました。
 家族の絆は深く、幸福な時間が続きました。私たちの家族には一つの習慣がありました。それは三年に一度、家族の記念写真を撮ることでした。
 その日、子どもたちが幼稚園から帰るのを待ちかねて祖母と弟を交えて記念写真を撮ることになりました。撮影をしたその夜、祖母はいつもと変わらない様子で孫たちの相手をし、好きな三味線を弾きました。祖母が変調をきたしたのはその三日後のことです。
 夜中に突然うなされ、何度か大声でおじいさんの名前を呼びました。心配して寝床を覗きましたが、寝言を言ったのだろうと解釈し、朝を迎えました。
 翌朝、子どもたちがなかなか起きて来ない祖母を起こそうとして、冷たくなっていることに気付きました。医師に診てもらいましたが、突然死だということで処理され、祖母ははっきりとした病名もわからないまま、私たちの元を去りました。
 その前々日、上がってきた写真を見て、最初に騒ぎ出したのは息子でした。「知らないおじいちゃんが写っている」と大声で言うのです。息子が冗談を言っている、そう思って息子の指差す場所を見た私たちは全員、腰を抜かさんばかりに驚きました。祖母の背後に祖父が写っていたからです。
 それでも、きっと何かの間違いだ、ぐらいにしか思っていませんでした。そう見えてしまうのだろうと、私は息子や家族に説明し、怖がらせないようにしました。
 海水浴に行ったのは小学校が夏休みに入ってからのことでした。結婚を間近に控えた弟は最初、婚約者が参加できなくなったので参加する予定ではありませんでした。ところが小学生の息子が弟に一緒に行こうと強く誘ったものですから、弟は翻意して私たちと一緒に出掛けることになりました。
 その日、弟はなぜか落ち着きがありませんでした。車の運転も途中で代わったほどでしたから様子がおかしかったことは確かです。海水浴場へ来てからもそれは変わりませんでした。記念撮影が終わると、急いで海に向かい、飛び込むようにして波の中へ潜り込むと弟は、それっきり姿を見せませんでした。
 水泳が得意な弟でしたから、私たちは何も心配していませんでした。だから帰宅時間が近づいて、弟が姿を現さなかった時も、私たちは悠然と弟の帰りを待っていました。
 騒ぎ出したのは息子でした。「おじちゃん、溺れたんじゃないか」と言ったのです。私は一笑に付しました。でも、暗くなっても帰って来ないとなると、また別です。私は海水浴場の管理者に話して、捜索してもらうように頼みました。だが、大捜索の甲斐もなく弟は見つかりませんでした。
 記念写真が上がって、弟の背後に祖母の顔が見えた時は身体の震えが止まりませんでした。心霊写真だということもその時には既にわかっていました。その筋の先生に見てもらおうかとも考えましたが、そうしませんでした。弟の背後にある祖母の顔が笑っていたからです。心霊写真には賛否両論があることも知っていました。また、この写真が心霊写真だとわかったからといってどうなるでしょう。見せ物にはしたくない、そういう気持ちもありました。
 息子や娘も大人になり、それぞれ仕事を持ち、独立しましたが、それでも私たちの家族の絆は深く、三年に一回、記念写真を撮るという行事は継続していました。
 記念写真を撮ったその日のことです。私はなぜか胸騒ぎがして仕方がありませんでした。そのことを話すと息子や娘たちに笑われました。祖母の写真のことも弟の写真のことも、子どもたちはまるで気にしていませんでした。気にしていたのは私だけです。私は、また誰かの背後に心霊が写ったらどうしよう、そればかりを考えていました。
 写真を撮った翌日、プリントアウトされた写真を見て、私は飛び上がらんばかりに驚きました。よりによって息子の背後に弟の顔が映し出されていたのです。
 翌日から出張で東北へ出掛けた息子の安否が心配でなりませんでした。それで仕事先へ何度も電話をかけたぐらいです。
 翌日、帰宅した息子の顔を見た時は嬉しくて涙が止まりませんでした。やっぱり気のせいだったのだと胸をなで下ろしたものです。だが、安心したのもつかの間、次の日、息子は出勤途中、交通事故の巻き添えをくってこの世を去りました。 
 祖母に次いで弟を失い、そして息子まで――。この巡り合わせは一体何だろう、そう思って悩みました。でも、私に何が出来るというのでしょう。これから先もこんなことがあったらどうすればいいのだろうか――。
 記念写真はもう撮るまい、そう心に固く決めました。でも、ある日、妻が、突然、「ねえ、久しぶりにみんなで記念写真を撮りましょうよ」と言い出したのです。
 私はまた、心霊が写ったらどうするんだ、と妻を叱りました。妻は、
 「いろんなことがあったけれど、私たちはいい家族だったし、いい夫婦だったと思うわ。もし、弟や祖母のように、命を失うことがあっても、私は平気よ。大切な息子に会えるんだもの」
 と言って、私を泣かせました。
 記念写真を撮影する際、一つだけ気を付けたことがありました。今までずっと向かって右後ろに立った者の背後に心霊が写っていたので、今回はその場所に私が立つことにしました。
 いざ、写真を撮ろうとした時のことです。カメラをセットして決めた位置に戻ろうとすると、急に妻が私の場所に移動し、その場所を譲りません。私は、その場所は――と説明しようとしますが、妻は笑って動じませんでした。
 撮影が終わり、焼き上がったプリントを怖々見ました。すると危惧した通り、妻の背後に白っぽい影があります。その白い影をよく見ると息子の顔に見えました。
 妻にもそのことを話しましたが、妻は少しも驚きませんでした。それどころか笑顔さえ浮かべて、嬉しいというのです。妻はどんな形でもいい、息子が現れたことが嬉しかったのです。
 一日、二日、三日と私は妻の様子に気を配りました。しかし、妻には異変がなく、一週間、二週間経っても何も起こりませんでした。
 あれから三年経ちますが妻は元気です。なぜ妻だけが無事なのか、その理由がわからず、妻も不思議がっています。
 息子が妻のことを救ったのだという人もおれば、今までのことはすべて偶然で、元々、気のせいだったのだ、という人もいます……」

  老人は話し終えると、ゆっくりとタバコの煙を吐き出した。私は、写真を見た後だったので、老人の話が満更嘘とは思えず、しばらく最後に写したという記念写真を見つめていた。
 すると、その写真を見つめているうちに私の中で不思議な妄想が膨らんだ。
 手にした写真が消え、突然、目の前の老人が消えるという妄想だ。
 出版に携わっていると、時折、不思議な現象に出会うことがあった。その最たるものが霊的現象だ。今までにもそういうことが度々あった。
 訪問者や依頼者の強い願望が私の前にそうした現象を浮き立たせるという事実。もしかしたらこの老人もそうなのではないか――。そう思って、改めて老人を見つめ直した。
 しかし、老人はタバコをくゆらし続け、目を細め、アルバムを大事そうに腕に抱えて黙想している。その瞬間、私の考え違いだということを悟り、恥ずかしく思ったぐらいだ。
 「では、改めてまたご相談に上がりたいと思います、今日はこれで失礼します」
 老人は椅子から立ち上がるとアルバムをカバンの中に入れ、ドアに向かって歩き始めた。
 「わざわざおいでいただいたのに何のおかまいもなく失礼しました」
 そう言って送り出すと、ドアを閉め間際に老人は、意味ありげに深い笑みを浮かべ、スッと消えるように立ち去った。
 ドアを閉めた私は、老人が写真を一枚忘れていることに気付き、すぐに老人の後を追いかけた。通路にいると思ったが見つからず、急いで階段を駆け下り、建物の外へ飛び出したが、そこでも見つけることができなかった。
 雨降りなのに足の速い人だ、そう思いながら、この写真はどうすればいいのだろうと考えながら事務所に向かって歩いた。
 ドアを開けると、事務所の中に何かしら人の気配がした。慌てて部屋の中に入ると、先程の老人が椅子に座っていた。
 「申し訳ありません。忘れ物をしまして――」
 老人はそう言うと私の手から写真を受け取り、無言のまま再びドアを開け、外に出た。私は唖然として言葉もなかった。

 三日続いた雨は四日目にようやく上がり、快晴の朝を迎えることができた。昨夜の老人の訪問はひどい悪夢をみたような感じがし、一向に不安が消えなかったが、快晴の空を見ると少し心が軽くなった。
 気分が落ち着いた私は、急にコーヒーが飲みたくなり、自転車に乗って近くの喫茶店へ出掛けることにした。早朝の街を駆け抜けて喫茶店に入り、日刊紙を広げてコーヒーを口にした時のことだ。新聞の紙面を見て目を見張った。
 朝刊の三面記事の欄に昨日、私の元を訪れた老人が大きく写っていた。
 「亡くなった妻と共に三年間暮らした夫……」
 記事によると、七十代後半と思われる老人は、腐敗した妻の遺体をそのまま部屋の中に放置して三年間暮らしていた、とあった。娘が二人いたが、実家を訪問することが少なかったようで、異変に気が付かなかった。昨日、異臭に気付いた隣人が警察に通報、病死したと思われる妻の遺体を発見、その傍らで妻を介護するかのように夫が静かに見守っていた、と書かれていた。
 紙面を閉じた私は、コーヒーを持つ手が震え、足が震え、呼吸さえままならなかった。
 喫茶店のドアが開いて客が入って来るたびにゾッと胸を震わせた。この衝撃はしばらく止みそうになかった――。

〈了〉

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