高層マンション火災の謎を解く

高瀬甚太
 
 井森公平の事務所のすぐ近くで火災が発生した。高層マンションの十四階での火災であったため、消火に手間取り、ずいぶん長い時間、何台もの消防車がサイレンを流し続けていた。
 騒然とする火事の現場から焦げた臭いが立ち込め、集まった野次馬たちはそれぞれハンカチで鼻を抑えながら心配げに消火の様子を見守っていた。
部屋にいた七九歳の老婆が逃げ遅れて死亡したとの情報がもたらされたのは鎮火して間もなくのことだった。
 火災が起きた時、部屋には老婆が一人しかいなかった。老婆は、息子夫婦と同居していたのだが、息子は会社へ出ており、嫁は買い物に出て留守にしていた。そのわずかな間に火災が発生したのである。
 現場検証の結果、火元はキッチンのガスコンロとされた。老婆がガスコンロに火を点けて料理を作ろうとして、引火したようだというのが消防署の見解だった。
 よくある火災事故の典型的な例と思われたし、事件はそれで終わるはずだった。ところが、ここで一つ疑問が持ち上がった。
 一つは老婆と嫁の仲がしっくりいってなかった、ということだ。嫁姑の関係はどこにでもある家庭不和の要因で、取り立てて言うほどのことではないと思われたが、そうではなかった。この家の老婆と嫁の関係は最悪の状態を通り越していたと証言する者まで現れ、しかも老婆は認知症を患っていた。
次に問題になったのは保険の額だ。通常、マンションなどの火災保険は一定額のものが多いのだが、この家の火災保険の額は異常なほどに高かった。通常の火災補償の他にさまざまな補償が付けられていることがその一因だったが、火災の補償金額があまりにも高額だったことで警察が一時期、問題視した。
 通常、火災保険は火災や破裂、爆発などの補償の対象となる事故で、建物や家財が損害を受けた場合に保険金が支払われるものだが、この場合、保険会社が保険金を支払わない免責事由というのがあり、今回の火災がそれにあたるかどうかで検討がなされた。その結果、認知症を患っている老婆が起こした火災として、故意に起こした火災とは考えられず、早い時期に保険金の全額支払いが決まった。
 
 府警本部の原野警部が井森公平の事務所にやって来たのは、火災の起きた数日後のことであった。
 「相変わらず汚い事務所やなあ。掃除してんのか?」
 事務所に入るなり、原野警部は部屋の中を見回して嫌味を言った。
 「嫌味を言いに来たのなら帰ってくれ。こちらは忙しい」
 「そのわりには暇そうやないか。パソコンが動いてない」
 確かに暇にはしていた。だが、面と向かって言われると胸糞悪い。頭にきた井森は、帰ってくれ! と叫ぼうとしたところへ、タイミングよく原野警部が口を挟んだ。
 「そんな嫌味を言いに来たんやない。実は編集長に相談があって来たんや」
 原野警部はそう言って、新聞の切り抜きを井森に見せた。
 〈認知症老婆、家族の留守に火事!〉
 「これがどうかしたのか?」
 井森が尋ねると、原野警部は渋い表情で井森を見た。
 「よくある火災事故だが、何か引っかかるものがあって――。それで編集長に相談に来たんや」
 「引っかかるものがあるのだったら、自分たちで解決すればいいじゃないか。警察なんだから」
 「その通りや。ただ、忙しくてなあ。事件が次々起こるし、単なる火災事故にしか思えんこの事件に関わっておれないというのが現状なんや。そこで、暇な編集長に一つ、お骨折りをお願いしたい。そない思うてなあ」
暇な編集長というのは余計だ、と井森は思ったが、すぐ近所で起きた火災というのもあり、亡くなった老婆とも何度か道で顔を合わせ、挨拶程度交わしたこともあったから、興味はあった。
 「悪いが協力してくれないか」
 原野警部は井森に向かって頭を下げると、井森の返答を待たずに、勝手に話し始めた。
 「亡くなった老婆だが、嫁の話ではひどい認知症ということだったが、近所の人の話ではそれほどひどくなかったのでは、という声も出ている。病院で治療を受けていたことは確かだが、認知症の程度はそれほど重くなく、忘れ物がひどい程度の軽症やと医師は診断している。それなのに、あの嫁はかなりの重症だったと消防官に報告し、警察にもそう伝えていた。
 実際のところ、はっきりとはわからんが、嫁との関係はあまりうまくいってなかったらしい。母親は近所の人に嫁の悪口をようこぼしとったそうや。息子も二人の関係があまりにもひどいので、何度か母を施設に入れることを考えたようやが、なぜか嫁がそれに反対をした。その時の理由が、息子の話によると、嫁が最後まで自分たちが面倒をみようと言ったということや。始終喧嘩して仲が最悪やのに、最後まで面倒をみるという嫁の言葉にほだされて、息子はそのまま、母と一緒に住むことを決めたらしい。
 嫁は近くのスーパーへパートに出ていて、息子の給料だけでは厳しいものがあったようや。食事の支度は嫁がしていたそうやが、母親は、嫁の作る食事が気に入らなくて、自分の食事は自分で作っていたそうや。認知症の人間に料理ができるものかどうか、わしにはわからんが、嫁も息子もそう言っていた。
 問題はここからや。母親には夫が遺した資産がようけあったらしい。父の遺産で息子は今のマンションが買えたということやし、母親と一緒に住むのもその時の条件やったということや。そのために母親が資金援助している。
どれだけ母親が金を持っているか、これは想像だが、二億は下らんやろということや。母親は、何度か息子に言ったらしい。特別養護老人ホームに入りたいと。だが、この時も嫁が反対している。息子がおるのに、母親をそんなところへ預けたら恥や。うちらでちゃんと面倒みます、嫁は母親にそう言っていたようや。
 保険金と母親の遺産、これを目当てに嫁は母親を自分たちの手元から離さず、機会を狙っていたのではないか。これが俺の勘からくる推理や。
 実際、高額の火災保険に入ったのもここ一年前のことやし、母親が二、三カ月前に、秘かに特別養護老人ホームに説明を聞きに行っていたこともわかっている。このことから判断して、嫁が綿密に計画した末の殺人ではないか、こう考えたわけや」
 原野警部の推理を聞きながら井森は、どこかに矛盾点がないかと考えたが、話を聞いている限り、矛盾点は見当たらなかった。火災事故を利用した巧妙に仕組まれ、計画された殺害事件――。しかし、それを証明する手立ては果たしてあるのだろうか。
 「老婆の遺体解剖は済んでいるのだろ。結果は聞いているか?」
 井森が尋ねると、原野警部は顔を歪めて言った。
 「煙を吸ったことによる窒息死や」
 「老婆が倒れていた場所は部屋のどの辺りだ? まさかキッチンのそばではないだろう」
 「それが不思議なことにキッチンのそばや。普通、ガスレンジに火が引火したら慌てて逃げるもんやろ。それがどういうわけかガスコンロに近い場所で焼死体が見つかっている」
 「火を消そうとでもしたのだろうか」
 「どうやろか。わからんが、それもこの火災に疑問を抱かせる一つの要因や」
 「遺体の周囲にロープや紐などの類は見つかっていないか?」
 「ロープや紐?」
 「もしかしたら逃げ出せないように何かで足などくくられていた可能性がある」
 「一度、鑑識に聞いてみるが、今のところそういった報告はない」
 原野警部は手帳に確認事項を記入し始めた。
 「嫁は買い物に行っていたということだが、目撃者は存在するのだろうか?」
 「今回の事件は、あくまでも火災事故やから、そこまでの確認はしてへんと思う」
 「じゃあ、急いで目撃者の有無の確認を取って欲しい。それと息子だが、息子のアリバイも確認してほしい」
 「目撃者の確認は急いで取ってもらう。だが、息子はどうやろか。自分の母親にそんなことをするやろか……」
 「何にしてもアリバイの確認は必要だと思う。それと、母親がガスレンジで料理を作っていたということだが、どんな料理を作ろうとしていたのか、それを調べることはできるだろうか。今回の場合、焼死した人間が認知症であった、ということに重点が置かれていて、他のことがなおざりにされている気がする。火災事故を模した殺人であれば、料理など作る前にガスレンジに引火させて、予め動けなくしておいた母親を火災事故に見せかけて殺すことは簡単だろう」
 「やっぱり編集長も嫁がやったと思うのか?」
 「わからない。わからないが、調べてみる必要はあると思う」
 「わかった。すぐに調べさせる」
 「嫁が本当に買い物に行ったかどうか、息子が仕事の途中、どこかへ抜け出していないかどうか。母親の遺体の様子と遺体があった周辺の状況――、これだけでも先に調べてほしい」
 原野警部は、手帳にメモした内容を確認して、「早急に連絡する」と告げて事務所を出た。
 
 火災のあったマンションは分譲で、高層階は低層階に比べて高額だったが、高額であっても高層に住みたいと思う人が多いようで、高層階から順に売れていったらしい。火災事故を起こした山本忠雄の母親山本美津子は、息子の忠雄がマンションを購入する際、高層階に住むことを反対していたことがマンションの住人の証言でわかった。反対した理由は、山本美津子が極度の高所恐怖症であったことによる。
 反対を押し切ってまで高層マンションを購入したことを、母親はずっと嫁の山本麻衣が強硬に押し通したと思っていたようだが、実際はそうではなく、息子の忠雄の意志が強かったことがマンション斡旋業者への調査でわかった。
 ここまでは井森が調査してわかった事柄だ。それに加えて、山本麻衣のパート先であるスーパーや近隣の住人に山本麻衣の評判を調査したところ、意外なことがわかった。
 嫁の麻衣は、パート先でも近所でも評判になるぐらいの無口で、ほとんど人と話すことのない大人しい女だと、ほとんどの人間が証言した。だから、嫁姑の関係がいびつで、姑と喧嘩ばかりしていると聞いても、最初のうちは誰も信じていなかったようだ。
 ただ、人というのは見かけではわからない。喧嘩ばかりして仲がよくないと聞くと、そんなこともあるのだと、納得してしまうのも人間だ。問題は、嫁姑の不仲を誰が口外したかということだ。麻衣は無口で人と話すのを苦手にしている。そんな麻衣が姑との不仲を人に話すとは考えにくい。では誰が口外したのか。姑に間違いないと思ったが、近隣の人に聞くと意外にもそうではなかった。姑もまた、大人しく控えめな人柄で、自分の身内をけなしたりするような人間ではないことがわかった。原野警部から聞いた話とはずいぶん違うので井森は驚かされた。
 原野警部の話した内容とずいぶん差が出てきたので、この事件に関する不信感がさらに強まった。
 そうするうちに原野警部から連絡が来た。
 「嫁は間違いなく買い物に出ていた。この日は非番やったが、いつも働いているスーパーで買い物をしていたことがわかった。まず間違いないやろ。夫の忠雄だが、これも社内にいたことがわかっている。二人にはちゃんとしたアリバイがあった。それと、編集長の言うてた遺体の周辺だが、ロープ状のものが遺体の近くに散らばっていたことがわかった。嫁にも息子にもアリバイがあるのに――。不思議でしゃあない。ロープのようなものは、何か他のことが原因で落ちていて、やっぱり、母親は失火が原因で逃げ遅れて死んだ。どんな料理を作ろうとしていたのかについてはわかっていない。キッチンにそれらしいものは落ちていなかったということや。作る前、作る途中にしても、料理の材料が見当たらんということもおかしなことやと思う。だが、まあこれもすべて、認知症を患っていたようやからしゃあないやろ。そういう結論になってしもうた」
 原野警部はそう言って、「騒がせてごめんな」と付け加えて電話を切った。
 井森は納得していなかった。何かおかしい、この話にはまだ先があるような気がしたので、もう少し聞き取りをしてみることにした。
 近隣に再度聞き取りをしていくうちに、山本家の嫁か、姑のどちらかがお互いの悪口を言いふらしているとばかり思っていたものが、実際はそうではなく、言いふらしの張本人は、同じマンションに住む片山寛子という女性であることがわかった。
 片山寛子は、山本家と同じマンションの五階に住む四人家族の専業主婦で、夫は自動車販売会社のセールスマンで小学生の子供が二人いる。山本家と何の関係もないと思われる片山がどうして山本家の嫁と姑の関係を流布するのか、不思議でならなかった井森は、片山と山本家の関係を調べたが、どのように調べても、両家には何のつながりもなく、両家を結ぶものは何もないように思われた。やはり、単なる火災事故なのか、井森の思い過ごしなのか――、そう思って半ばあきらめかけていた。
 
 山本美津子の葬儀が行われたのは二日後のことだ。近くのセレモニーホールで午後1時から行われることを聞いていたので、井森も出席することにした。
 百人収容の会場には、すでに五十人ほどの人が集まっていた。そのほとんどが主婦のようで、男性は数少なく、葬儀開始まで半時間ほどあったせいか、椅子に座って耳を澄ましていると、何人かの女性の話し声が聞こえてきた。
 「山本さんのお宅、離婚するんですってね」
 「えっ、どうして?」
 「あのご夫婦、元々、仲がよくなかったそうよ。お母さんが亡くなったのを機に別れることになったらしいって、片山さんが言っていたわ」
 片山と聞いて、思わず、話のする方向に目を向けた。後列に会話を交わしていた二人の主婦がいた。井森は二人の主婦に尋ねた。
 「すみません。片山さんというのは、どなたですか。指を指さなくて結構ですので教えていただけませんか」
 二人のうちの一人、メガネをかけた主婦が、斜め右に視線を向け、
 「今、来客を案内している女性がいるでしょ。あの人が片山さんです」
 と小声で言った。その方向に視線をやると、にこやかな表情で客を案内している主婦がいた。年齢は三十代後半といったところか。黒の和服に身を包み、客を案内しているその姿は、山本家の関係者か、もしくは山本の妻のようにも感じられた。
 ――そうか! その姿を見て井森の中でひらめくものがあった。
 井森は会場を出ると、原野警部に連絡を取った。
 三度の呼び出し音で警部が出た。
 ――編集長、どないかしたんか?
 ――警部、急いで片山寛子を調べてもらえないか。
 ――片山寛子? それ、何の話だ?
 ――火災事故の件で、片山寛子という同じマンションに住む女性を調べてもらいたいんだ。事態は緊急を要している」
 原野警部は、わけがわからないと言ってぶつぶつと文句を言ったが、井森の緊急を要するという言葉が効いたのか、「わかった」と言って電話を切った。
 
 事情聴取を受けた片山寛子は、最初のうちこそ、人権侵害で訴える、名誉棄損だと喚いたが、故山本美津子の息子、麻衣の夫である忠雄がすべてを吐いたことを知らされると、観念したのか、泣き崩れるようにして、事件の全貌を告白した。
 
 ――山本忠雄と片山寛子の関係は、十数年前にさかのぼる。その頃、片山寛子は山本忠雄の会社に勤務していた。二人はその頃から関係ができていたようだが、すでに結婚して家庭のある忠雄とは不倫であったため、寛子は会社の誰にも知られることなく内密に交際を続けていた。
 優柔不断な忠雄にしびれを切らした寛子は、一度、忠雄と別離している。忠雄と別れた寛子は、見合いをして現在の旦那と結婚をした。子供を設けて、幸せに暮らしていた寛子だったが、分譲マンションを購入する説明会で、偶然、忠雄と再会をし、忠雄への愛を再燃させた。
 同じマンションの上と下に住むことになった寛子と忠雄は、誰にも気づかれることなく、逢瀬を続け、やがて二人は、お互いに今の家庭を捨てて、再婚する決意を固めた。
 もともと好きで一緒になったわけではなかった寛子は、夫との関係が冷えていて、子供の問題さえ片づけば離婚することに抵抗はなかったが、忠雄はそうはいかなかった。愛情面でいえば寛子に傾いていたが、妻の麻衣にはなんら不満がなかった。また、母親も麻衣を殊の外可愛がり、二人の仲は本当の親子のように仲がよく、そのため、寛子と再婚の約束をしたものの、忠雄はなかなか実行に移すことができずにいた。
 優柔不断な忠雄に決意させるため、寛子は、山本家を誹謗中傷するデマをことあるごとに近隣の住人に話し、嫁姑の関係が最悪であると信じ込ませた。その場合、寛子は、母親の美津子といかにも懇意にしているように装い、美津子の口から聞いた言葉だとして、近隣に話して聞かせた。
 麻衣をひどい嫁だと信じ込ませた寛子は、一日も早く忠雄と別れさせるため、麻衣の留守を利用して、美津子に取り入ろうとした。美津子が息子の忠雄に、離婚するよう言えば効き目がある、そう思ったからだ。だが、麻衣を気に入っていた美津子はその話には乗って来ず、逆に寛子を遠ざけようとした。焦った寛子は、自分が流布した美津子と麻衣の関係を利用して、強引に家族を破壊し、一日も早く忠雄と一緒になれるようにと画策した。それがあの火災事故であったわけだ。
 麻衣が買い物に出かけた隙を利用して、美津子が一人でいる部屋を訪ねた寛子は、最後通告とばかりに、美津子に、忠雄と麻衣を別れさせるよう懇願する。しかし、認知症が入っていた美津子は、寛子の話す意味がわからず、曖昧な返事を繰り返した。それを見た寛子は、馬鹿にされていると思い込み、逆上して、美津子の足を縛り付け、ガスコンロの火を点けたまま遁走した。
 火災の後、母を失った傷心の忠雄に近寄った寛子は、麻衣が火災に関係しているようだと、わざとらしく伝え、麻衣を中傷する。麻衣に怒りを覚えた忠雄は、一方的に離婚を言い渡すと、最初のうちこそ何のことかわからなかったた麻衣だが、姑のいない山本家には何の未練もなく、忠雄の申し出を受け、あっさりと離婚を決意した――。
 すべて寛子の思惑通りに進んだ計画であったが、母親が焼死して二日しか経っていないうちに、忠雄と麻衣が離婚するという情報を流布したことに間違いがあった。その情報を知るためには、よほど山本家と懇意にしているか、深い関係のものでなければならない。それを喜びのあまり流布してしまい、寛子は墓穴を掘った形になった。
 火災の後、寛子は忠雄に自分がやったことのすべてを正直に告白している。寛子にすれば、忠雄に対する愛情の所以であったが、忠雄は逆に怖くなった。また、寛子が喋った麻衣と母親との関係が嘘だと知ると、逆に麻衣に対する愛情が湧いてきた。麻衣がいかに母親を愛し、尽くしてきたか、それがここに至ってよくわかったからだ。
 離婚を早まったと思い後悔した忠雄であったが、時すでに遅しだった。麻衣は、葬儀の用意、準備を滞りなく行うと、忠雄に別れを告げてさっさと実家に帰ってしまった。
 そこへ警察がやって来た。忠雄に嘘がつけるはずがない。小心者の忠雄は、自分が無関係だということをアピールするために、寛子のやったことのすべて洗いざらい白状した。
 それを知った寛子は、忠雄の愛の希薄さを嘆き、涙ながらに今回の事件の一部始終を警察に自白した。
 
 喉に詰まった骨が取れたかのように、ようやく火災事故の一件が決着したことで、井森は晴れ晴れとした気持ちで仕事にかかることができた。火災の起きたマンションは早々と修復にかかったが、その後の山本忠雄、麻衣夫婦の噂は聞かない。片山寛子は、現在もなお裁判中である。結審は一カ月後と聞いている。長期の拘留は避けられないだろう。
〈了〉


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